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韓国:弱者のために生きるというキム・ウネ大統領府副報道担当者
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弱者のために生きるというキム・ウネ大統領府副報道担当者

[記者の目] 「くやしい死」をなくすという初心はどこに

イ・コンマム記者 iliberty@jinbo.net / 2009年01月21日21時15分

「食堂でスンデ汁一杯を前にすると、両方の目をとても閉じられずに離れた、 じっと天井を凝視した人々が度々目の前にぐるぐる回った。知らない所で、私 たちが見えない多くのところで起きているくやしい事件の事情が思い出された。 今の覚悟が色あせて、意志の色があせそうな時、今日を思い出し、絶えず自ら を鞭打って天に恥じることがない記者になろうと私は誓った。ひそかに倒れて いった多くの人々の死が無駄にならないように、強者に強く、弱者に弱い、冷 静な手と、しかし暖かい目を持つ記者になろうと」。

キム・ウネ大統領府報道官が2001年に出した本〈私は感動を伝える記者になり たい〉で書いた言葉だ。この本は記者を希望する女性の必読書として有名だ。

しかし大統領府副報道担当者、キム・ウネ氏が1月20日に吐いた言葉は、彼女を 尊敬してきた多くの記者志望者を失望させただけでなく、国民すべてに失望を 抱かれた。「今回の事故が過激デモの悪循環を切る契機になればいい」。強者 に強く、弱者に弱い人になりたいという彼女の目には、撤去民は見えなかった。 世の中で最も弱者として暮す撤去民が。

彼女は1993年にMBCに入社し、その年の末から社会部記者として2年以上警察に 出入した。女性警察記者としては当時最も長い警察記者経歴だった。放送局で 初の政党出入女性記者になった。1999年4月、ニュースデスクのメインアンカー に抜擢され、初の記者出身女性アンカーという呼称も得た。

彼女は2000年代初め、ある放送局の番組に出演して警察記者新人時代を回想し て、殺されたある女性の死体解剖検査場で死体を前にして「再びあなたのよう な『くやしい死』を無くす」と決心して死ぬほど走ったと話した。彼女は不良 施工で一瞬にして崩壊した三豊デパートの崩壊現場で、大邱地下鉄ガス爆発事 故現場でも、敏腕記者として猛活躍した。

20日の明け方、殺人鎮圧に倒れた遺体も、彼女が今でも警察に出入りしていれ ば必ず出会った「くやしい死」だ。龍山の漢江大通り5階建物の屋上、櫓まで 作って生きたいと泣き叫び、火で焼かれて遺体になったくやしい人々だ。

キム・ウネ副報道担当者は、1月19日、李明博大統領がソウル地方警察庁のキム・ ソッキ長官を警察庁長官に内定すると、「法秩序確立の適任者」と評価した。 キム・ウネ副報道担当者の以前の表現のとおりなら、今の法は強い者のための ものだ。再開発組合組合員の半分が賛成さえすれば、いつでも強制撤去ができ る『都市および環境整備法』は、弱い借家人のための法ではない。不法集会と 規定すれば、そのまま不法集会になってしまう『集会およびデモに関する法』 は、国家暴力に立ち上がった弱者の市民のための法ではない。

彼女が今するべきことは、1994年にある遺体の前で自ら誓った「意志の色があ せそうな時、思い出そうという今日」を思い出すことだ。その「今日」が今日 だ。15年前の決心さえ生きていれば、事業家の金持ちの夫と100億ウォン台の個 人財産ぐらいは大きな問題ではない。

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news/view.php?board=news&id=45182">原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
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Created byStaff. Created on 2009-01-27 02:43:14 / Last modified on 2009-01-27 02:43:15 Copyright: Default

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