| 韓国:国民殺傷政府は存在の理由がない | |
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体制が問題、対応もそれに合わせて[寄稿]国民殺傷政府はもはや存在の理由がない
コ・ミンテク(社会主義労働者政党準備会)/
2009年01月21日12時45分
龍山撤去民はガザ地区のパレスチナか? イスラエル政府によるガザ地区への無差別爆撃が全世界の公憤を呼んでいるな かで、それと似た恐ろしい出来事が韓国の龍山で再現された。いや韓国の龍山 で行われた大惨事は、それよりはるかにとんでもない事態だ。百歩譲って、イ スラエルのガザ地区の虐殺が、もちろんイスラエル政府の行為はどんな理由で も容認できないが、とにかく異なる民族の相互武装勢力間の衝突という外観ぐ らいはあるのに対し、龍山の大惨事は自国民に向けた、それもせいぜい(?)対策 のない撤去に対する抗議と防御に対して軍事作戦そのものの警察特攻隊を投入 し、鎮圧作戦を繰り広げたという点でそうだ。 龍山撤去民の住居権と生存権は当然保障され、保護されなければならない。こ れが全てに優先する第一原則でなければならない。国家と政府が存在する理由 も、まさに国民の生命と安全を保護するためだと耳が痛くなるほど聞いた。李 明博政権は、金剛山観光に出かけたある民間人の死に対して『自国民の命を守 ることが、政府が最優先でするべきこと』と述べ、南北関係を全面中断するこ とさえ躊躇しなかった。それがいかに偽善的な態度だったのかが今、如実にあ らわれている。李明博政権は、龍山の撤去民たちをまるでイスラエル政府がガ ザ地区のパレスチナに対するように軍事作戦をほうふつさせる程の鎮圧作戦で、 命と生活の基盤を根こそぎ奪い取る行為をはばからなかった。 資本の利権のために撤去民を障害扱い ご存知の通り、龍山地区は途方もない再開発が進められている。三星物産、デ リム、浦項製鉄などの建設資本はこれにより、天文学的な利権を得ることが保 証されている。ソウル市と李明博政権はこれによる雇用と成長動力の創出を語 る。彼らには撤去民の住居権と生存権など眼中にもない。資本と政権は撤去民 を国民または人と見ず、再開発を遮る単なる障害物程度に扱っているだけだ。 いったい誰のための雇用創出で、何のための成長動力創出なのか? 彼らが語る 雇用と成長動力創出とは、結局多数の労働者民衆の生のためではなく、少数の 巨大資本の利益創出と政権維持の単なる修辞に過ぎないということが、赤裸々 にあらわれた。多数の労働者民衆の生存と人生を保護して向上させることが目 的なら、今回のような大惨事は起きないのが当然だ。 今の国会にはいわゆるMB悪法がたくさん上程される予定だ。李明博政権はこれ を経済危機克服のための法だと強弁している。李明博政権とハンナラ党、そし て巨大資本権力は、ひと声で全国土に建設と開発の槌音が鳴って広げることに より、経済危機を克服しようといいつつ、そのために法と原則を打ち出してい る。いや世の中に経済危機を克服するために、なぜ法と原則を強調しなければ ならないのか? 経済危機を克服するというのにどこの誰がそれを拒むのか? 彼 ら自らが、経済危機克服とやらが結局多数労働者民衆の利害を完全に踏みにじ ることだということを暴露しているではないか! だから彼らはすでに多数労働 者民衆の抵抗と闘争が起きることを十分に待機している。彼らが法と原則を強 調する理由が正にここにある。今回の龍山大惨事もそうした結果が現実になっ てあらわれたのだ。 予告された殺人、やっと始まったばかり 龍山大惨事があまりにも胸が痛く、その惨状があまりにも残酷で、まるでこん なことが龍山だけで行われた非常に特殊なことで、またソウル警察庁のキム・ ソッキ長官個人の出世欲が呼んだ偶発的な事件だという点に言論は焦点をあて ている。しかし龍山大惨事と本質的な意味で違わないことはすでにあちこちで たくさん起きている。 非正規職労働者の命を奪い取った闘争は昨日今日のことではない。今でも尾浦 造船労働者は殺しを強要される闘争にやむを得ずすがっている。死にまではし なくても、ほとんどそれに近い事態が知らず知らず、私たちの周辺で毎日起き ている。今は多数労働者民衆全体が経済危機の前で生存と人生を極端に脅かさ れている。今回の事態に対し、それが本当に明日のように受け止められ、怒り が込み上げるのもまさにそのためだ。悲劇的な死にまで追いやられるとは、そ こまで想像もしなかったのが、むしろ安易だったとさえ思う。李明博大統領自 身が前の国会での混乱について国会にその責任を転嫁したことがあるが、キャ ンドル集会を強硬鎮圧したソウル警察庁のキム・ソッキ長官を警察庁長官に内 定したことでわかるように、今回の事態の胴体はまさに李明博政権だ。今回の 事態はすでに事前に十分に予定されたことだったし、予告されたことだった。 警察は今回の事態の原因を撤去民に返している。籠城開始25時間で、冬に、 人命被害を最小にする何の対策も用意しないまま強制撤去、鎮圧作戦に出たこ とだけが問題なのではない。それは今回の事態が持つ暴力性をもっとよく表わ す例に過ぎない。しかも今回の事態で資本と政権の態度は全く変わらないのは 明らかだ。もしそんななことが出来るのなら、今回の事態は起きもしなかった だろう。警察は今回の事態に抗議するキャンドル集会参加者にも再び暴力解散 を行った。遺族も確認していない状況で強制解剖検査が前例のないほど早い日 程で進められた。したがって今回の事態はこれから進められる長い経済危機の 中で行われる事に対する予告篇で、その開始でしかない。資本と政権、および 多数労働者民衆の間での衝突と激突がいかに深刻な状況になり、彼らの間の対 立と対立が決して和解できる性質のことではないことを今回の事態が雄弁に語っ ている。 龍山大惨事は単に韓国民主主義の後進性の発露だけではない。 李明博政権は前のキャンドル政局ですでに国民から政権の正統性を失った。法 的には政府が維持されているが、政治的、道徳的次元で李明博政権は少なくと も多数の労働者民衆には植物政権でしかない。選挙により執権した政権だが、 李明博政権はすでに国家暴力を立てなければその維持が難しい状況に置かれて いる。いやすでに李明博政権自ら国家暴力を最大の武器として積極的に活用し ている。 ところが一部ではこれを西欧と比べ、韓国民主主義が直面する後進性を見せる 例としてあげ、李明博政権が持つ独裁的な性格を示す証拠としている。また、 一部ではそうはいっても街頭での闘争や直接民主主義を主張するのはむしろ民 主主義を威嚇する行為だと言う。二つともまるで民主主義が正常に稼動さえす れば問題がないというかのようだ。しかし新自由主義も民主主義の名の下で行 われている。資本主義の下で強行される搾取と収奪、抑圧と排除が支配階級が 金科玉条と思う民主主義の中で起きている。帝国主義の態度、無差な戦争と殺 戮は、すべて民主主義体制で行われている。 今回の惨事は決して民主主義が正常に稼動しなかったから起きたのではない。 韓国の民主主義が特に後進的だから起きたというだけでもない。むしろ本質的 なことは、資本主義体制における矛盾が尖鋭にぶつかっているという点だ。そ のために資本と政権の暴力性がさらに猛威を振るっているのだ。その意味で今 回の惨事は韓国社会の階級対立とその対立がいかに尖鋭にぶつかっているかを 示す生き生きした例だ。したがって単にこれをブルジョア民主主義の進展とい う狭い観点で見る理由はない。 李明博政権退陣闘争は反資本主義闘争と結びつかなければならない。 1月20日、緊急に構成された(仮称)龍山撤去殺人鎮圧対策委員会は、記者会見で 李明博政権退陣に言及した。現在の状況は李明博政権退陣闘争に全面化する展 望だ。1987年以後もたった一度の例外もなく、『政権退陣』闘争があった。朴 正煕、全斗煥政権ではない、選挙で執権した歴代政権で、特に金大中、盧武鉉 の自由主義政権でさえ、政権退陣闘争は続いた。李明博政権退陣を叫ぶ声は前 のキャンドル政局で、特別に運動勢力によらず、すでに大衆的次元で出てきた。 誰もが知るように、当時のキャンドル政局でBSEは単に雷管でしかなく、その胴 は少なくとも反新自由主義を背景にしていた。政権退陣は反新自由主義の象徴 的、集中的な標的だったのだ。韓国での政権退陣は、その出発はブルジョア民 主主義下での独裁政権への抵抗という意味で出発したが、ますますブルジョア 民主主義体制そのものに対して問題を提起する性格に発展した。これは前に話 したように韓国社会が処している階級闘争の性格を反映するところから来る自 然な経路だ。 今回の龍山の大惨事が、もし人命殺傷がなく、資本と政権の意図のとおり電光 石火のような鎮圧作戦だけで終わったとすれば、われわれはまた多くのことを 見られないままただ李明博政権が行った暴力性を表わす目録をもう一つ追加す ることで終わったかも知れない。しかし今回の大惨事に対し、その残酷な劇的 要素にだけ陥ってばかりいても、事態が持つ真実または本質を見のがしてしま う。韓国社会はすでにブルジョア民主主義そのもの、資本主義体制そのものを 問題にせざるをえない次元まで階級対立と対立が広がっている。したがって、 これに対する対応もその次元で行われなければならない。 特に、世界的次元での経済危機の中で、韓国の様相は帝国主義と比べ、はるか に深刻で尖鋭に現れざるをえない。この10年間、韓国社会で最も核心的に問題 になったのは非正規職問題だった。これと共に二極化、20対80社会、88万ウォ ン世代などが韓国社会を集約して表現した。しかしこの程度は今や何でもない ような状況に至っている。正規職が享受した(?)相対的安定も今や幕を下ろした。 双竜自動車事態はその開始でしかない。 今回の事態を契機として、李明博政権の退陣を叫ぶ声と闘争がさらに高まらざ るをえない。特にこれから続々と出てくると予想される李明博政権の反労働者 的、反民主的態度とからみ、そうした要求はさらに増幅される。したがって、 李明博政権退陣を掲げる問題はこれ以上論争の種ではない。ただし李明博政権 退陣を叫ぶ声の中には多様な政治的見解が混じっているかもしれない。しかし 少なくとも、反新自由主義、さらに反資本主義闘争と結びつく時、その政治的 な意味を生かし、闘争の持続性を担保できる。しかしこれは単に当為や論理の 提起だけでは現実にならない。これを主張し、提起する勢力が立ち上がって、 これを実質的に現実化する時、始めて説得力と力が得られる。 news/view.php?board=news&id=45172">原文(チャムセサン) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-01-27 02:34:04 / Last modified on 2009-01-27 02:34:06 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |