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韓国:新しい民衆言論創刊:[創刊の辞]「チャムセサン」を開く
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[創刊の辞]「チャムセサン」を開く

「チャムセサンは解放のための本当の門を開く」

チャムセサン

もうひとつの未来の名前、チャムセサン

2005年五月朔日、メーデー、われわれはチャムセサン(真の世の中)を開く。 「チャムセサン」は、私達が指向する世の中の名前であり、この世の歩みを早 めようとして作った媒体の名前だ。どんな世の中が、チャムセサンなのか? 人間の人間による搾取、自然の人間による破壊が消える世の中、私たちが互いに 平等で自由に生産して活動できる世の中、互恵と連帯を基盤にそれぞれが 思いきり自分のエネルギーを使える世の中、支配とともに虚偽も消えた美しい 世の中だ。われわれは、まだそんな世の中はきていないことを理解する。 しかし、それが今日、私達がこのチャムセサンを開く理由でもある。

チャムセサン! これは私達が未来に向って打ち上げる希望の矢だ。もうひとつの 私たちの未来の名前、チャムセサン! この名を付けることで、 われわれは生まれようとしている世の中に対するわれわれの念願を込める。 もちろん名前だけで私達が望む世の中ができるのではない。それでも私達が もうひとつの未来を願うのなら、その名前をつけることは欠かせない。 チャムセサン! この名前で、われわれは少し離れたところで もじもじしているチャムセサンを呼ぶ。

チャムセサンは民衆言論

チャムセサンはどんな言論を指向すべきか? 支配の偽善を排撃して、 解放の真実を開かなければならない。今日私達の社会の議論の道は詰まっている。 不当な支配の不当な論理と偽り証言が乱舞している。 虚偽と真実とを区分することが、いつの時よりも難しく、複雑になっている。 それでも偽りをはね除ける力は、ただ真実一つだけ、 チャムセサンは世の中の真実を正し、その真実を語らなければならない。 しかもひとつ、この真実は逼迫する民衆の真実でなければなるまい。 今日、私たち民衆は、搾取と差別と抑圧の荷物で苦しんでいる。 チャムセサンは、解放を渇求する民衆の声に応える 本当の言論にならなければならない。

そうだ、われわれは民衆言論を自任する。これまで民衆言論は、あまりに少なく、 弱かった。韓国の議論の道を支配しているのは、相変らず保守言論だ。 彼らは民衆を搾取する勢力を支持することで自分が利益を上げるのだから、 当然、民衆側ではない。民衆の真実を無視しているのは、1980年代末以後の 形式的民主主義を基盤に発足した、いわゆる改革的言論も同じだ。 彼らはこの十数年にわたり、民衆収奪を強化してきた新自由主義支配勢力の 偽りの発言を助長し、傍観してきた。

最近、新しいメディア環境として登場したインターネット言論も、 民衆の真実を正しく伝えることができない。 解放の真実を伝えようと努めた痕跡が全くないわけではないが、 ここまで大きくなった発言権と較べると、あまりに弱い努力でしかなかった。 われわれは、そうした言論の地形に介入する。 われわれは進歩と変革の大義にしたがう民衆的路線を明確にする。 チャムセサンは民衆言論だ!

チャムセサンは、民衆解放の支持者として、民衆運動の発展をも支援する。 今日、民衆の進歩運動は注目すべき進展をしてきたが、克服すべき問題も少なくない。 政治と経済と社会文化のあちこちで努力して勝ち取った進歩的な成果は散り、 民衆運動は相変らず保守勢力の支配の戦線を突破できない。 民衆の力は分散され、民衆運動の内部には相互不信の姿も目につく。 われわれは、民衆が一糸不乱な陣形を揃えなければならないとか、 互いの批判を遠慮するべきだと信じるのではない。 しかし、進歩的社会運動が互いに監視と批判を怠るのではなく、 暖かい連帯の心を持つ努力は常に重要だ。 チャムセサンは困難な境遇で行われる民衆の努力と、かろうじて勝ち取った 成果が共鳴して進歩の効果を出すように、連帯の成果ができるように努力する。

同時に、チャムセサンは民衆側ではない陣営とは明確な線を引く。 われわれは民衆を搾取し、差別し、弾圧し、抑圧するあらゆる勢力との 断絶を宣言する。 われわれは、資本と国家、ブルジョア市民社会からの自由を宣言する。 われわれは、階級と性と人種・民族と世代などの社会的な分割線を支配する 勢力とは決して妥協することなく、これらの戦線のあらゆる進歩的闘争と連帯する。 われわれはまた、帝国主義勢力から来るあらゆる反民衆的侵略と圧迫とも戦う。

民衆を信じて民衆と共に

民衆言論の基盤は民衆だ。私達がすべきことは、つまり何よりもまず民衆のための 声を出すことだ。われわれは今後、民衆の多様な権利を主張するだろう。 民衆には語る権利、不平を言う権利、正す権利、要求する権利、戦う権利がある。 われわれはこうした権利を要求し、勝ち取ろるために立ち上がった人々と 共に闘う。貧しい人々が食べて生きる権利、喜びを享受する権利、幸福になる権利 を主張する。われわれは民衆言論だ!

さらに、われわれは民衆の中で、民衆と共に闘う。私たち民衆は、互いに 家族であり、友人であり、同志であり、恋人だ。 われわれは共に、貧しく、哀れで、くやしく、卑賎だ。 私たち民衆の日常は、悲しみと悔恨と憤怒、情熱と喜びと興趣を 互いに分けあうことだ。 われわれはこの感興を共有して民衆の観点と判断で世の中を見て、 民衆の念願を込めて世の中を変えたい。チャムセサンはしたがって、 多くの民衆的な感覚と素地、能力が結合する場にしなければならない。 われわれはこうした真の世界を作るために、民衆とともにさらに深く感じ、 さらに鋭く見て、さらに情熱的に語り、実践する。

われわれは信じる。民衆には途方もない力がある。チャムセサンは民衆以外の 誰かが投げ与えてくれる贈り物ではない。ただ私たち民衆の力で 作らなければならない。私たちには十分、その力がある。 民衆には夢と希望があり、あらゆる良いものを生産する生のエネルギーがあり、 互恵と連帯の心があり、喜びを共にする感性と情熱、判断力と素地があり、 これら全てを発揮する文化的な力がある。われわれはまた、批判的視覚で 代案を提示する能力があり、より良い世の中を作ろうとする希求、 胸の深い所から泉がわきあがる新しい世の中に対する念願と、 それを企画する想像力がある。民衆は能力そのものだ。

チャムセサンはこうした能力で解放のための本当の門を開くだろう。 われわれの真実は、民衆の感性と知性と気質と道義から、その力が出る。 われわれは民衆的な本当の力がどれほど大きいのかを立証するだろう。 私達が書く記事とコラムと論説、チャムセサンに載る文字とイメージと音声は、 したがってすべて真実を真実で語るだろう。 われわれは敬遠されてきた民衆の真実、地下水となって流れるこの本当の生命の水を 育てあげ、偽善とウソで落ち着かない支配者の顔にばら撒くだろう。

多様な民衆を多様に表現

本当の力、その源泉は純粋性だ。われわれは王様が裸だと語ったのは 子供だったことを記憶する。純粋性が子供をして検閲と沈黙、そして支配の鎖を 解いて投げた。私たち民衆も本当の足かせを解きほぐす天真燗漫な子供だ。 そして民衆は、無限の発展の可能性を持つ子供のように、多様な能力がある。 真実を語る方法も創意的で多様だ。チャムセサンは、民衆のこうした能力で 多様な本当の言語を発掘するだろう。われわれは時には峻烈であるが、 時には愉快に、時には悲痛に、時には戯画的に世の中と会い、民衆と会い、 支配者を眺める。チャムセサンは、民衆が語り、書く能力を自ら育てる 教育の場になることもあるだろう。

そうだ! われわれは民衆だ。われわれはあちこちからあふれ出てくる。 われわれは労働者、農民、貧民、女性、障害者、移住労働者、青少年、老人だ。 われわれは学生で、主婦で、非正規職でフェミニストで、同性愛者だ。 われわれは雇用と土地、家を失った、くやしくて貧しくて可哀相な人々だ。 われわれはそうして生を改善しようとする素朴な市民でもあり 世の中を変革させようとする革命家だ。 われわれは搾取され、周辺へと追いやられ、抑圧されているが、 同時に抵抗して人間らしい生を作るために 「もうやめろ!」と言って立ち上がるあらゆる少数者だ。

チャムセサンの私たちも、そんな人間だ。私たちも労働して生産して活動して、 私たちも苦悩して悲しんで憤怒する。民衆の夢とエネルギーが私たちの中にも 深く入っている。ごうごうとあふれる民衆のエネルギーで、われわれは今日、 チャムセサンを開く。本当の大きな門を開き、支配の虚偽を剥こう。 民衆の生命力を奪おうとする全てのものと闘争しよう。 そして私達が失ったものをとりもどし、われわれの活力を見せよう。 われわれは湧き出てくる。 そうだ、われわれは民衆であり、民衆言論だ! 誇らしい私たち、行こう進もう、チャムセサンに向けて!

2005年05月01日11時51分

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2005-05-02 19:53:32 / Last modified on 2005-09-05 05:16:25 Copyright: Default

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