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韓国:知る権利かプライバシー権か
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知る権利かプライバシー権か

[人権オルム]権利の対立構図で隠蔽される人権の価値

ミリュ/ 2009年04月23日12時34分

知る権利か、プライバシー権か。おなじみの争点だ。『チャン・ジャヨン リス ト(以下リスト)』や『軍浦連続殺人事件(カン・ホスン事件、以下軍浦事件)』 は、最近この争点にへの社会的論争を触発した事案だ。まだ大勢は『リスト』 はプライバシー権に、『軍浦事件』は知る権利に手をあげるようだ。これは、 人権の観点から妥当な結論だろうか? 同じような構図だが、互いに違う世論の 方向は、人権の後退を憂慮させる困った現実だ。公開されるべきことと公開さ れてはいけないこと、知らなければならないことと知ってはいけないことをめ ぐる論争でまた人権の原則を探さなければならない。

『知るべきではないものなど』の裏にある『知らなければならないものなど』

被疑者の身上が不注意で露出した瞬間、予測できない人権侵害が相次いで発生 するという点を韓国社会は多くの試行錯誤を経て学んできた。2005年警察庁は 『人権保護のための警察官職務規則』で、報道機関に関する基準を作った。同 年7月に施行された『言論仲裁および被害救済などに関する法律』は、「他人の 生命・自由・身体・健康・名誉・私生活の秘密と自由・肖像・姓名・音声・会 話・著作物および私的文書その他の人格的価値などに関する権利」を侵害して はならないと規定している。人権侵害を予防するために、捜査機関と言論が被 疑者の身上をみだりに公開してはいけないという社会的合意が作られたのだ。

しかし『軍浦事件』で警察は実名を公開して、言論は彼の写真を公開した。そ の上、3月25日に法務部は被疑者の身上公開を認める『特定強力犯罪処罰に関す る特例法改正案』を立法予告した。こうした接近の背景に『知る権利』がある。 しかし、身上公開で犯罪者個人が誰かという好奇心は充足させられるかもしれ ないが、さまざまな特定強力犯罪が作られる社会構造的要因について知る権利 はむしろ制限される。個人の身上を通して、特定強力犯罪への恐怖を言論が浮 上させる間、治安の不在に対する政府の責任が巧妙に薄められるのも問題だ。 これまで韓国社会が積み重ねてきた人権基準の成果が揺らぐだけでなく、私た ちが知るべきではないものなどを打ち出したまま、私たちが本当に知るべきこ とが隠れている。

『知らなければならないものなど』を隠す権利?

だが、『リスト』は相変らず捜査機関に閉じ込められている。1、2人の名前が 国会と報道機関とインターネットで飛び交っているが『公開』はされなかった。 そして朝鮮日報社の無差別的名誉毀損訴訟とポータル サイトの掲示物遮断措置 などで表現の自由までが侵害されている。相反する2つの主張がすべて人権を後 退させる理由は何だろうか。法務部は前に話した改正案を立法予告して「国民 の知る権利と被疑者のプライバシー権のうち、どの価値を優先するのかの問題」 と話した。しかしこうした説明は、むしろ私たちが守るべき『価値』を隠す。

『リスト』の公開に反対する人々はそれが『私的領域』だという理由を挙げる。 しかし『性』に関連するという理由だけで全てを保護することはできない。 『リスト』が解決の糸口を投げた『性上納』や性暴力事件は、隠密なことであ る前に、消えるべき『犯罪』だ。刃物でダイコンを切るように公私の領域を分 ける談論は、女性の人権を侵害する根深い接近だ。家庭暴力が長い間人権議題 として扱われもしなかった歴史を見てもそうだ。家父長権力と国家権力が対立 して、女性の人権は消えてしまう。『プライバシー権』を女性主義的に再構成 することが切実に必要だ。

もちろん無罪推定の原則はここでも守られるべきで、無罪でも有罪でも人間の 尊厳を根本的に傷つけることはあってはいけない。しかし反女性的な社会を変 えるためにこのような社会的犯罪がどう捜査され結論が出され解決するのか、 犯罪を減らす方案は何かなどは、私たちすべてが共に知らなければならないだ ろう。『リスト』の公開はその出発線だ。捜査機関を監視するために、権力に よって横行した犯罪への根本的な解決を模索するために公開されなければなら ない。そのリストが、人権侵害の現実を告発するために故チャン・ジャヨン氏 が私たち皆に残した情報だという点ももちろん考慮されなければなるまい。

『価値』を隠す権利の対立構図

知る権利とプライバシー権は、現実では絶対に純粋に衝突しない。懸案により あらゆる権力関係が作動することもあり、さまざまな人権的な争点がからんで いる。『軍浦事件』と『リスト』だけでなく、似た構図で展開するさまざまな 事案には明確な傾向がある。何の権力も持たない被疑者たちは、世論の俎上に 上がり、あらゆる身上情報が顕われるが、権力の中心に立つ者らはむしろ捜査 機関と言論からプライバシーを保護される。性暴力事件でもプライバシー権の 方が擁護される傾向があり、企業に関する情報を要求する時も『秘密』の方が 擁護される。このように、『知る権利対プライバシーの権利』という対立構図 は『資本と家父長制という権力』を保護する方式で作動している。

『知る権利』は権力に対抗し、人権を守り、実現するために必要だ。私たち自 ら自由に選択して自主的に生きていくために、私たちの生に影響を及ぼすもの への情報に接近することは必須だ。性暴力のようにジェンダーやセクシュアリ ティの根本的な不平等関係から発生する問題が、『私的領域』に閉じ込められ、 われわれは相変らず性暴力の危険が蔓延する社会で暮している。家一軒を用意 するために、数十年間金を使わずただ集めなければならない状況で果たしてそ れが適当な価格なのか、われわれは分からない。毎日のように飲む薬が発癌可 能性物質を含むという発表を突然聞かされ、輸入される牛肉が安全かどうかを 判断できる情報は与えられない。

『人間を抑圧する権力に対する抵抗』という価値が削除された権利は、うわべ だけだ。権力を保護する形で作動する権利間の対立の構図を解体し、人権の価 値を守り実現するために必要な権利の相互依存性と不可分性を表わさなければ ならない。女性の人権、健康権、労働権、住居権、プライバシー権、情報接近 権など、さまざまな権利がどんな方向で組織されるかを見なければならない。

『権利と権利』の衝突でなく、何のための権利の制限なのかを問え

知る権利とプライバシー権のお馴染の構図に閉じ込められてはならない。われ われはこれを『権利と権利』の衝突ではなく、人権の価値を守るために要請さ れる権利が何かであり、それにともなう最低限の制限はなにかという形で接近 しなければならない。人権の実現と侵害をめぐる社会構造に介入するために、 それぞれ権利の保障と制限が何を指向するのか、人権の実現に向かって進む過 程でどんな寄与をして、どんな制約を加えるかを調べなければならない。とも すると、非常に中立的のように見えるこの構図が、非常に党派的に作動する現 実から手を離す恐れがある。したがって『知る権利』や『プライバシー権』を 他の権利との関連で把握しなければならない。

プライバシー権は他人の視線から自由な行動が可能にし、隠したい情報で侮辱 や軽蔑されない権利だ。この権利が自由な『暴力』を可能にする根拠に使われ てはいけない。『リスト』に上がった人物が誰かを知ることは人権を侵害する 権力の正体を表わすために経るべき過程だ。彼らがたとえ犯罪事実がないと明 らかになっても、これからまた発生する類似の人権侵害を予防するために何が 必要なのかを模索できる。

しかし被疑者の『身上を知る権利』そのものを主張できるだろうか。それは人 権を侵害する権力に対抗するものなのか、人権を侵害する権力に支えられてい るのか。『知る権利』は好奇心の充足でなく、さまざまな他の権利を実現する ために必要な権利だ。公開するかどうかを決める権限を持つ者は、概して権力 に近い。知らせない者と知らせる者、社会的にすでに公開された情報を隠す者 とそうではない情報を表わす者、彼らに対して私たちが本当に知るべきことが 何かを明確にすることが権利の対立構図に隠蔽された価値を生かすのだ。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2009-04-26 00:20:20 / Last modified on 2009-04-26 00:20:23 Copyright: Default

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