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ゼネスト通信支援団から情報人権を守ることへの10年10周年を迎えた進歩ネットワークセンター
キム・ヨンウク記者
batblue@jinbo.net / 2008年11月16日23時23分
11月14日、情報人権団体の進歩ネットワークセンター(進歩ネット)は、10周年 記念式を開いた。MBのインターネット統制3大悪法への対策に忙しい中でももう ひとつの10年を準備する記念式だった。進歩ネットは今回の10周年をむかえ、 『自由と共有の年代記』という10年白書を発刊した。何よりも進歩ネット10周 年広報物の、「ストライキをすればサーバーを守り、共に夜を明かしました。 政府の掲示物削除の要求を堂々と拒否してきました。国家と資本から独立した ネットワーク」という文句が印象深い。夜を明かして守ってきた独立ネットワー クの10年を振り返る。 ゼネスト通信支援団、そして進歩ネットワークセンター 96年12月、労働法・安全企画部法かっぱらい通過に対する民主労総のゼネスト があった。当時はまだインターネット言論がなかった時期。保守言論は労働者 たちの巨大な闘争を徹底的に歪曲報道したが、真実を伝える経路は殆どなかっ た。2008年のキャンドルに対する空中波と保守言論の報道にキャンドル市民が 感じたことよりさらに大きな歪曲と無関心があった。いわゆる進歩的な言論は ほとんど皆無だった時期で、歪曲報道への渇きはさらに大きかった。 それで当時、情報通信に関心があった数人の人々が集まった。彼らは偶然、パ ソコン通信でチャットをしながら通信支援活動をしようといった。いくつかの 団体を中心に作られた通信連帯を中心として、情報通信運動活動家と関心があ る市民が集まった。『労働悪法・安全企画部法全面撤回のためのゼネスト通信 支援団』はそうして生まれた。そして通信支援団は主流言論が伝えないニュー スを各パソコン通信に知らせた。 通信支援団はゼネスト速報を各通信網のプラザ(自由掲示板)に伝える役割から、 毎日速報をまとめてニュースレターを発送した。ホームページも作り、英文の ニュースレターと英文のホームページも製作した。英文ホームページは多くの 国際連帯の成果を作った。当時、海外で国内のゼネストのニュースを最もよく 知ることができる経路が通信支援団の英文ホームページになった。海外の労働 団体は、通信支援団の英文ニュースを読んで韓国大使館の前で支持集会をした り、連帯メッセージを送ったりした。 そのうち通信支援団の内から現場に出て、誰かが速報を書けばいいと思った。 2008年のキャンドル市民のように、ボランティア活動家が集まり、実際にスト ライキの現場に出て行って速報を上げた。主流言論の記事のように洗練されて はいなかったが、労働者の声が入った生き生きしたニュースが通信網に乗って 広がった。その年、ゼネスト通信支援団は言論労組から民主言論賞を受けた。 まだインターネットが大衆に普及する前、通信空間で今の市民記者団のような 活動が認められたのだ。10年前、進歩ネットワークセンターのモチーフはこう して始まった。 進歩ネットのオ・ビョンイル活動家は「こうした通信支援団の成果は、97年末 の労働メディア・イベントにつながり、米国、英国などの労働ネットの活動家 が来て韓国でも労働ネットのようなものを作ろうと考えた」と、進歩ネット設 立の契機を説明した。その間、当時パソコン通信チャムセサンを運営していた 金某氏が通信連帯の活動家たちに、パソコン通信チャムセサンを寄贈するから 進歩ネットワークを作ろうと提案し、98年2月にその提案を受けて、設立準備を 始めた。 しかし設立準備はなかなか難しかった。ただ団体を作るのではなく、パソコン 通信チャムセサンというネットワークにさまざまな社会団体が入ってこなけれ ば意味がなかったからだ。知識人連帯活動をされていた故金晋均(キム・ジンギュ ン)先生が積極的に立ち上がった。98年4月から本格的に準備会を持って、2-3 か月の間に各団体運営委などを訪問し、独立ネットワークの必要性を説明した。 社会全体が情報化ブームだった時で、多くの団体が趣旨には共感するが、独立 ネットワークの必要を感じていなかった。ほとんどの団体はナウヌリや、千里 眼のような商業パソコン通信ネットにCUG(閉鎖利用者グループ/現在のインター ネットカフェのようなもの)を持っていた。各団体は、主に進歩ネットがシステ ムの安定性とサービスの質を保障できるのかと疑問を持ったという。そのよう な紆余曲折の末、98年11月14日に進歩ネットワークセンターを設立した。 設立当時、進歩ネットはパソコン通信チャムセサンを基盤として同好会開設、 利用者加入処理、情報変更、掲示板開設の運営で忙しかった。主に通信サービ ス事業が主な活動だった。当時のチャムセサン利用料は3300ウォンで、総利用 者約700人のうち有料の利用者は300人ほどだった。 初期にはネットワークで人を集めることが重要な事業だった。99年初めに民主 労総がCUGをナウヌリからパソコン通信チャムセサンに移し、99年末に利用者が 2千人程度に増えた。 だが2000年を前後に、ナウヌリ、ハイテルなどのパソコン通信から、ダウムや フリーチャルといったインターネットへの転換が始まる。超高速インターネッ ト網の急速な拡散でインターネットが普遍化し、パソコン通信は斜陽の道に入 り込む。進歩ネットも2000年11月14日、パソコン通信からウェブベースに転換 する。今のwww.jinbo.net(進歩ネットのメインホームページ)はこの時に姿を 表し始めた。 2004年進歩ポータル戦略、劣悪な財政と急速なインターネット環境変化、そして独立ネットワーク 進歩ネットは2004年、本格的に進歩ポータル戦略をたてる。しかしオ・ビョン イル活動家は、進歩ポータル戦略が半分しか成功しなかったという。それ以前 は進歩ネットに人を集めるより、基本的なサービスと進歩陣営のセキュリティ、 インターネット検閲問題などに集中していた。 「ポータルのように人々が集まり、談論が形成される所がある。私たちがその ような場所の役割を果たさなければならなかったが、そうした部分はできなかっ た。その時に進歩ポータル戦略をたてた。当時、ウェブメールと個人が使える メッセンジャーなどを基本として提供し、社会運動情報に特化した検索サービ スを計画した。またメディアチャムセサンでニュース、映像コンテンツ戦略を たてた。この3つを軸に計画したが、半分の成功だった」 半分だけの成功の理由は何か。まず検索などは、多額の資本が必要な事業だっ た。ちょっとした検索でも、検索エンジンには数千万ウォンが必要で、失敗に 終わり、メッセンジャーも開発を放棄した。結局その戦略で残ったのは、進歩 ブログだ。進歩ポータル戦略は、2005年にブログを中心とするコミュニティ戦 略に変えるという結論が出た。 「今評価すれば、私たちが世の中の変化に合わせて何かの企画を変え、方向は 良かったのだが、それを裏付ける技術的・財政的力量の限界があった。金がな く、独自の技術で開発するには2-3年かかる。苦労はしたが、多くの成果を残せ なかった」 多くの成果を出せなかったというが、進歩ネットは見えない所で多くの役割を 果たした。進歩ネットのメーリングリストとウェブメール、ホスティングなど の進歩的な共同体も無視できない技術的成果だ。特に捜査機関の無茶な情報提 供の要請に、進歩ネットは協力しない。2002年の発電ストライキの時はサーバー 押収捜索を阻止したり、手配された労働者がポータルサイトのメールに接続す る時に位置が把握されるが、それとは別に進歩ネットのメールは警察の捜査に 恣意的に協力しないため安全だった。進歩運動で進歩ネットの技術力は、資本 の技術力と比べれば人材と財政の限界によって不十分だが、その役割を認めら れていた。 情報人権を守る10年、新しい10年のための悩み 進歩ネットは、初期は主に社会運動団体の情報化教育とサービス業務をして、 活動家たちはアイデンティティを悩むことになる。主な仕事が電話を受けてサー ビスを開設したり、利用者の問い合わせを解決することだったためだ。多くの 団体と活動家も、相当部分進歩ネットをサービス業者として認識していた。 2000年に進歩ネットは運動団体としての性格を強めるために政策局を新設し、 本格的な検閲、統制と闘い始める。もうひとつの軸としては、メディア運動の ひとつの陣地としての役割も果たしていく。 メディア運動はチャムセサン放送局で始まる。2001年4月10日、大宇自動車構造 調整阻止に立ち上がった労働者たちが機動隊の盾と軍靴で無惨に踏みにじられ る。この日の警察の暴力行為は、言論の無関心の中に埋まるところだった。し かし進歩ネット・チャムセサン放送局が参加する『2001大宇自動車 全面ストラ イキ闘争映像中継団』(http://dwtubon.nodong.net)はこの映像を撮影し、動画 は一瞬で広がった。単に文と写真では表せない程残忍だった警察の暴力は、金 大中政府の性格を生き生きと表わした。この事件は独立したメディア活動が新 しいメディアであるインターネットと結合し、メディア運動の新しい方向を示 すものだった。96年のゼネスト通信支援団のように労働者民衆の便りを伝え、 政権の暴力性を暴露する役割は、このように進歩ネットが持つメディア運動的 な性格につながった。 進歩ネットはそして2002年を経て、また技術的にも労働社会運動陣営に重要な 役割を果たすようになる。多くの団体と労働組合のサーバーをホスティングし、 労働者ストライキ時には進歩ネットという独立ネットワークの長所が現れたの だ。警察の無分別な情報提供要求と掲示物削除要求と闘い、労働者の正当な声 がネットワークから消えないように闘った。 情報運動と独立ネットワーク、新しい10年のために 独立ネットワーク10年、そして多くの情報人権問題と闘ってきた10年だが、進 歩ネットはこれからの悩みのほうが大きい。すでに2004年進歩ポータル戦略が 半分の失敗だったということは、独立ネットワーク戦略の半分の失敗と言える からだ。2008年のキャンドル集会の時、多くのネチズンが資本が作ったネット ワークに民主主義の広場を作ったが、相対的に表現の自由が保障される進歩ネッ トは静かだった。論争とコミュニケーションを語っていた進歩ネットという独 立した空間では大衆的な接点が作られることはなかった。 しかしキャンドルによって、逆説的に独立ネットワークの必要が切実になった。 「むしろ今はアゴラにいた人たちが独立ネットワークが必要だと言い始めてい る。それでハントマや民主主義2.0のように、検閲から自由なネットワークが必 要だという人が多い。ところがそこで進歩ネットは代案として認識されていな い」。まだ代案として認識されない進歩ネットの悩みは、これからの新しい10 年にどう対応するのかが気になる。「もっと大衆的なネットワークになるとす れば、そこに合った組織体系、財政、技術力もなくてはならない。例えば運営 システム自体が変わる。ネットワークが大きくなるほど独立性が弱まるかもし れない。だが、大衆的なネットワークではなく、他の文化を持つ運動社会のコ ミュニケーションのための独立したネットワークとして残り、こうした設定を することもできる」 とにかく進歩ネットは、今のキャンドルに関するインターネット統制法案対応 に総力を集中している。オ・ビョンイル活動家は「来年の総会で単純に2009年 の計画ではなく、これから数年をながめて長期的に活動と組織の展望を捉えて 行く」とし「現在の状況で、進歩ネットの役割と必要な部分などを考え、メディ ア、サービス、政策などの区分も評価する必要がある。また財政構造、活動家 の補充、再生産の問題などをどう解決するのかも悩み」と述べた。すべての展 望を開いておいて、すべてをひっくり返して評価し、新しい10年を準備してい くという。 翻訳/文責:安田(ゆ)
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