| 韓国:ある建設労働者の話 | |
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「ノガダ」たちの連帯[コラム]ある建設労働者の話
オ・ドヨプ(作家)
odol@jinbo.net / 2009年06月04日9時26分
今日、美しい愛を語ろうと思います。正規職労働者と非正規職労働者の連帯も 難しい時期に、移住労働者と美しい連帯をした理由を。まだちゃんと労働者と 呼ばれないまま『ノガダ(土方)』として過小評価される建設労働者たちが、傷 だらけの腕で作り上げた連帯を。彼らと会っているとき、周囲はずっと、本当 に暖かい初夏の日差しでいっぱいでした。 私は月給を受け取れば『ああうれしい』という気がするのではなく『これを稼 ぐためには、こんなに働かなければならない』というため息がまず出てきます。 建設現場は真夏には三斗の汗を流さなければなりません。真冬にハンマーで、 零下のかちかちに凍りついた指を打ちでもすれば、その痛みは言葉で表現でき ません。この苦痛をあじわってこそ、この金が稼げる、月給を手に握れば喜び より涙が先に出ます。-建設労働者ファン・ヒョンス氏 先輩たちがこう言います。大工は釘の頭が見えなくなるまで槌を打つと。薄暗 くなるまで槌打ちをしなければ、一日の稼ぎが手にできないという言葉ですよ。 どういうことは分かりますか? 労働者たちは下請けの下請け、その下請けの下 請けを受けて働きます。段階を経るたびに取られるだけ取られた下請け単価が 日当ですから、体を酷使しなければなりません。他人より労働強度を高めて、 他の人々より長く働くしかありません。労災は建設業が最も多いのです。一年 に700人ほどが建設現場で働いて死んでいきます。いくら先安全・後施工といっ ても、その数は減りません。強度の高い長時間労働をするほかはない下請け体 制をなくさなければ、建設現場での死の行列は続くんです。だから多段階下請 けをなくし会社が直接雇用しろと要求しているのです。-建設労働者チン・チュナン氏 2009年6月の最初日、安山駅すぐ近くの公営駐車場隈で建設労働者と会いました。 赤黒く焼けた顔を見た瞬間、彼らの飯になり、生になる労働のつらさが直ちに 読みとれました。 建設労働者たちは夏にはエアコンが回り、冬には暖房する職場を望んでいるの ではありません。他人のように旗日はみんな休み、月給をくれと主張している のでもありません。もちろん他人より高い賃金をくれと言うのでも、賞与金を 望んでいるのでもありません。労働法に出ている、他の会社員が当然享受する 権利を今すぐ全部を享受させろというのでもありません。私を働かせる会社が 私を雇ってくれというのです。建設現場の多段階下請けは不法だから、法の通 りに雇えということです。法にもあるこの当然の建設労働者の希望は、建設現 場では守られていません。 昨年(2008年)の冬、京畿道光明のあるアパート工事現場に一つのチームが入り ました。もちろん下請けです。下請け単価で働いても日当を取るのは大変です。 それで、このチームは会社に直接雇用をしろと要求しました。解雇され、1か月 ほど出勤闘争して、1月24日に直接雇用を勝ち取りました。他の下請けチームが 直接雇用されたチームを見て、うらやましがりました。本当に楽しく働いて人 間扱いされて働けます。その現場に移住労働者で構成されたチームがありまし た。このチームも『下請けはだめだ。働いて金を稼ぐのでなく、体を壊すだけ だ。直接雇用をしてくれ!』と要求をしたんです。それが4月7日です。私も移住 労働者の側に立って一緒に戦いました。4月15日に出勤すると、「君たちは解雇 だ」。解雇された日、どしゃ降りの雨になりました。移住労働者をはじめ解雇 された人どうし、どうするか話して次の日に集会をしました。夕立ちが降る中、 移住労働者も韓国労働者も、夕立ちで服がぬれるのは同じでした。-ファン・ ヒョンス氏 移住労働者がチームが組合に入り、闘争をしたのはこれが初めてです。何日も たたずに移住労働者が諦めてしまうかもしれませんでした。金さえ稼げば出て いく人だと思いました。先入観があるんです。実際に共に闘ってみると、同じ 大工で、同じ建設労働者でした。40日以上闘争して、本当に彼らのことを考え 直すようになり、彼ら自身も、自分がこんなに戦うとは思わなかったと言いま す。いずれにせよ互いに組合を信じ同僚を信じて戦いました。国籍は違っても 同じ労働者だという信頼の力が勝たせたのでしょう。-チン・チュナン氏 移住労働者のおかげで自分の労賃が削られたと思う建設労働者は多いです。ス トライキの時、移住労働者が代替人材として投入された2007年の大邱建設労働 者ストライキを思い出し、移住労働者を敵対視したりもします。 全国建設産業労働組合に加入した組合員は、労働者が不当な目にあった時は、 きちんと連帯します。でも今回、移住労働者が建設現場から不当に追い出され たという知らせを聞いたときは、初め冷淡でした。良くない先入感のためです。 1か月たった5月16日に初めて京畿中西部地域の建設労働者が連帯集会を開きま した。その日も初めての集会の日のように雨が降っていました。移住労働者と 共に雨にぬれて集会を終え、移住労働者への偏見を捨てました。 建設労働者の雇用がなくなったのは移住労働者のためだと言いますが、事実は そうではありません。外国人労働者が低単価で建設現場で働くと言うでしょう。 そうしたのは移住労働者ではなく内国人たちなんです。下請けチームどうしが 競争で単価を下げて物量を取るんです。単価が下がるから人件費を減らすため 移住労働者をチームに入れて働かせて。移住労働者が下請けチームで13時間、 14時間と働いて大工仕事を習ったんです。ちょっと仕事を習えば、移住労働者 も下請けチームを作ります。下請け構造が移住労働者を建設現場に低賃金で呼 び入れたのであって、移住労働者が低賃金を取るために建設現場にきたのでは ありません。移住労働者のおかげで単価が下がったのではなく、競争をあおる 下請け構造が単価を下げたのです。結局、建設会社だけが雪だるまのように利 益を膨らませているのです。-チン・チュナン氏 今回同席した移住労働者の中で私より若い仲間が4人います。4人で集まって一 杯やりながら話しました。移住労働者は内国人にあまりアニキと言いません。 裏では悪口で言うけれど......、率直に言えば、お互い悪口を言う間でしょう。 『つらい時、私たちが出て行くかもしれないけど、私がつらいときはアニキが そばで捉まえてください』。これが私にアニキと言うんです。胸がじんとしま した。『稼ぎもしないのに、闘争の時は闘争して.......』ため息をつきながら、 私に聞きました。『5月30日には終わるのでしょうか?』、『なんとかその時ま でには終わるようにしますよ』私が話しました。その時、つらかったです。4月 25日に直接雇用合意書を作ったから、約束を本当になんとか守ったわけです。 事実最後にちょっと揺れた仲間もいました。でも自分たちのやる事をやって着 実に一緒に戦いました。連帯して闘ったので、互いに胸に積もった不信はみん な消えました。移住労働者から私が学びました。労働者は言葉が違い、皮膚の 色が違っても一つだということを。-ファン・ヒョンス氏 光明の三換カミュ アパート建設現場の話です。40日ほど移住労働者と一緒にやっ た美しい連帯の末に彼らは直接雇用合意書を作りました。闘争の間、涙ぐまし い多くの話はあえて書き移しません。6月4日、彼らは直接雇用労働者として初 出勤します。彼らがこれから一日に三斗も流す汗の雫がさらに美しい話と世の 中に知らされますから。 今、素朴だが、とても大切な建設労働者の希望を聞いて、話を終える。 お金よりは生命でしょう。あと1万ウォン稼ごうとして命を失う所が建設現場な んです。昨年、鉄筋をしていた労働者が、床が油で塗られたことを知らずに作 業場から墜落しました。落ちた所に鉄筋が立っていて、そのまま腹部を貫いて 亡くなりました。鉄筋をたてたら先端にキャップをかぶせなければなりません。 キャップがかぶっていれば墜落しても、少なくとも腹を貫いて死ななかったで しょう。救急車がきても車を入れる空間がないじゃないですか。クレーンでそ の人を上げました。人が荷物になって、資材を上げるクレーンにぶらりぶらり ぶら下がって上がってくる...... (目がしらが赤くなって喉元がひどく震え、 しばらく言葉になりません)。これがみんな直接雇用されて労働する構造でなく、 下請けで金に命をかけて働かなければならないからです。-ファン・ヒョンス氏 今回、一緒に闘った移住労働者のうち、自分の国に帰る仲間もいます。残念で す。3年たてば帰らなければならないでしょう。その仲間たちがいつまでも組合 に残って一緒に働けばいいのですが。彼らが他の移住労働者も建設現場に連れ てきて、内国人と移住労働者が差別なく一緒にドカタ仕事ができたらいいですね。 ずっとです。-チン・チュナン氏(2009. 06) 翻訳/文責:安田(ゆ)
Created byStaff. Created on 2009-06-07 15:23:56 / Last modified on 2009-06-07 15:23:57 Copyright: Default このフォルダのファイル一覧 | 上の階層へ | |