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障害5級、彼はなぜ太陽の光を奪われたのか?

ハンギョレの「美談」記事…「瞬間的外出」に隠された不都合な真実

ハ・グムチョル記者 2015.06.01 11:29

太陽の光は本当に有難い存在です。 万物を蘇生させる生命の根源であるこの太陽の光は、私たちにとって何の使用料も要請しない平等な存在です。 最近のように日差しが暖かい日には親切な散歩の友達になってくれたりもします。

しかし、太陽の光は誰にも平等なのではないという事実を、 最近ある新聞の記事で知りました。 もちろんこの記事を作成した記者の目的は全くそんな事実に気付かせる目的ではなかったのでしょうが。

▲26日のハンギョレ報道、〈「太陽の光」が懐かしかった障害者、一緒に散歩した警察の善行に「ほろり」〉スクリーンショット

記事は典型的な「美談」を扱っています。 5月26日のハンギョレの報道(「『太陽の光』が懐かしかった障害者、一緒に散歩した警察の善行に『ほろり』」)によれば、 ソウル市傍花洞のある賃貸アパートに住むキム某氏(64)は112通報センター(注:日本の「110番」)に電話をして 「ここにきて助けてください」と話しました。 連絡を受けた江西警察署空港地区隊所属の警官が通報のあった家に行ったが人の気配がなく、 隣人たちを通じて体が不自由な障害者が一人で暮らしているということを知るようになりました。

キム氏に電話で玄関の暗証番号で聞き、家の中に入った警察は、彼が下着もきちんと着ることができずにひとりで横になっているのを見ます。 キム氏は昨年1月に脳出血で倒れた後、からだを支えることができず、悪いことにベッドから落ちて、からだが固まってしまいました。 そのために彼はとても長い間、薄暗い部屋の中だけで過ごさなければならなかったと記事は伝えています。

この時、キム氏は「ずいぶん前から太陽の光を見られなくなって、日差しを受けたくて申告しました。 こんなことで申告して、本当にすみません」と話したといいます。 これに対して警官は、キム氏に下着などを着せて車椅子に座らせ、太陽の光を浴びられるようにしてあげたという、「美しく温かい」話です。

しかしFaceBookでこの記事に接したインターネットユーザーの反応は、 記事の温かい雰囲気とはちょっと違いました。 自分も障害者でもあるイ・サンホ前ソウル市議員は記事を共有しながら 「ありがとう… いや佗びしい…」と短い文を残しました。 なぜこんな話をしたのでしょうか? 真実は記事の中にあります。

キム氏は現在、右腕しか動かせない状態で、身体障害5級判定を受けたといいます。 5級ならいくつかの減免・割引恩恵のほかは受けられる福祉サービスが殆どありません。 この人にとって一番至急な障害者活動支援サービス(現在1〜2級だけが該当。 今年から3級にも拡大)はもちろんですが、 障害者コールタクシー利用対象(1〜2級だけが該当)でもありません。 記事では言及されていませんが、所得保障のための障害者年金対象(1〜重複3級までが該当)からも除外されます。 こうした状態なので、キム氏の日常生活支援は年下のいとこが出入りしながら助ける程度でした。

キム氏の事例を通じ、われわれはこの国の障害者福祉の構造的な問題点をあますところなく発見できます。 右腕だけ動かせる、日常生活に大きな不便を味わっている障害者がなぜ、何の福祉恩恵も受けられない障害5級の判定を受けたのか? 現政権が叫ぶ「ぜひ必要な人に提供される連携型サービス」というものと矛盾していないでしょうか? サービスの必要度とは無関係に障害等級を分け、機械的にその等級に合わせてサービスを提供するこのシステムに問題があるのではないのでしょうか? 常識的に判断すれば、当然こうした問いに対する返事を見つけて記事を書くべきではなかったのではないでしょうか?

しかし記事はただ通報を受けて出動した警察の「善行」だけに焦点が合わされています。 通報を受けて出動するのは警察の当然の任務で、警察は任務を果たしたにすぎません。 自分の任務を全うした公務員に拍手することは十分にできますが、 それが明確に誤った現実を指摘することもない程、急迫していたのかは疑問です。

それで結局、その記事ではキム氏が福祉の死角地帯で何か月も太陽の光を奪われたままで暮らしていたという事実は隠されたまま、 警察の「暖かい救いの手」(?)によって下着を来て(!)家の外に出て、しばらく太陽の光を受けたという事実だけが強調されます。 誰にでも平等な「太陽の光」を浴びるために「こんなことで通報して、本当にすみません」という言葉まで言い、警察を呼ばなければならない、 キム氏に加えられたあまりにも不当な権利侵害がなぜ記事にはなかったのでしょうか?

記事はここから一歩進んで、警察の言葉を借りて読者に自らを振り返ることを薦めたりもします。 記事は警官が「私たちの目によく見えない所で暮らす隣人に関心を持ってほしい」、 「われわれは望めばいつでも太陽の光を浴び、望む場所に移動できるのに、 如何に多くの不平不満を抱いて暮らしているのかを振り返らせた」という話を忠実に伝えました。 警察が今回のことで受けた感動を読者と分けようと思っているようなのですが。

障害者に対する世の中のこうした視線に対し、骨形成不全症にかかって暮らす障害者で、 オーストラリアの有名コメディアンだったステラ・ヤング(Stella Young、2014年12月死亡)が「感動ポルノ(Inspirational Porn)」と一喝した事実を思い出します。 障害者を物のように対象化し、ただ自分の境遇が彼らと比べて、いかに「幸運」なのかに胸をなで下ろす態度を皮肉る言葉です。 それと同時にステラは話します。 「私は(あなた方に)感動をあたえる素材になりたくない。」

障害者のみじめな現実や、難しい条件を克服した何らかの成就も、 こうしてマスコミにより非障害者に感動を与えるための素材として使われる理由はどこにもありません。 障害者の人生に対するマスコミのこうした古い視線、 もう少しジャーナリズムらしくなるべきではないでしょうか?

付記
ハ・グムチョル記者はビーマイナーの記者です。この記事はビーマイナーにも掲載されます。チャムセサンは筆者が直接書いた文に限り同時掲載を許容します。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2015-06-02 22:19:05 / Last modified on 2015-06-02 22:19:07 Copyright: Default

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