本文の先頭へ
LNJ Logo 韓国:[2005チャムセサン問題](10) -反世界化闘争の記録
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 1136323749573St...
Status: published
View


傲慢な世界化と民衆の躍動的闘争

[2005チャムセサン問題](10) -反世界化闘争の記録

ラウニョン記者 hallola@jinbo.net

世界化に対する議題、そしてこれに対する実践闘争がこれほど具体的に、活発 に組織された年があったかと思う程、2005年はずっと反世界化闘争が続いた。 規模の組織化や単位を跳び越えることも出来ない事案別闘争に限定された惜し みは残るが、少なくとも新自由主義世界化がいかに民衆の人生を破綻させるの かについての争点が宣伝され、世論を喚起させて、具体的な闘争を組織した一 年として評価できよう。

分岐点になったサービス交渉阻止闘争、水-エネルギー国際討論会による私有 化の問題の議題化、結節点になった釜山APEC反対闘争、そして香港市民社会を 激情的に揺るがした反WTO闘争まで。息つまるような2005年を振り返ろう。そ して、まだ香港に残されている11人の拘束者への記憶も。

高まるWSF、もうひとつの世の中を作る努力

今年の世界社会フォーラム(WSF)はその誕生の地のブラジル・ポルトアレグレ で、1月26日-31日まで進められた。国内150人の活動家ばかりでなく、ルラ、 チャベス大統領をはじめ、全世界から16万人を越える反世界化活動家が参加 し、多様なフォーラムと決意大会を進行した。

WSFは第1回15000人、第2回50000余人、第3回10万人が参加し、第4回インドに は132か国2000余団体、12万人がムンバイに結集するなど、参席者数だけでな く、数百個のフォーラムまで、大会規模の面でも急成長した。そして第5回の フォーラム参加者数は史上最大規模で、フォーラム全体参加者は155000人、開 幕パレードの参加者は20万人に達した。

しかし成長する図体と規模に比べ、一回だけの集いに限定され「行動と実践の 欠如」という側面からの否定的評価も提起された。「世界社会フォーラムが、 国際活動家会議が開催された」とことに対する意義と空間生成の意味を越え、 理論的・実践的分析と闘争、新しい議題の発掘、戦略の討論、今後の闘争の戦 略的計画を通した反資本世界化共同実践闘争のための悩みが提出された。

世界社会運動ネットワーク(Social Movements International Network)では、 社会運動総会で香港WTO反対闘争、320国際反戦行動など、当該年度の主な議題 を選び、共同闘争を決意する闘争要請文を提出した。

WSFは毎年周期的な行事という意味を越え、世界社会運動ネットワークの中心 地として、具体的な実践を交換し、反資本世界化運動の戦略基地として成長し ている。そして2006年には地域、大陸別の世界社会フォーラムが開催される予 定だ。昨年6月、スリランカで進められたアジア地域懇談会では、アジア社会 フォーラムの1次開催地としてパキスタンのカラチが決定され、以後東南/東ア ジア社会フォーラムを2006年5月以後、8月以前に開催することを決定、開催地 は今後5大陸別の会議で決めることにした。

枯れない反戦運動、「平和な世の中に向かう国際行動」

米国のイラク侵攻2周期を迎えた320国際反戦共同行動が今年も進められた。 WSFの議論をベースとして、世界の反戦運動組織が共同のウェブサイト (www.march19th)を開設し、各国で組織される3月20日集会現況をまとめて拡散 させた。

3月20日、米国反戦連合団体のA.N.S.W.E.Rは、米国のボストンで2000人、シカ ゴでは6000人、サンフランシスコでは25000人が、ロサンジェルスは20000人な ど、米国の各地で大規模な反戦集会が進められたという便りを伝えた。また、 こうしたアメリカ国内の反戦運動は、シンディ・シーハンのような「平和のた めの戦死者家族の会(Gold Star Family for Peace)」などが組織され始めて、 反戦運動の新しい転機をむかえ、2005年下半期の大規模反戦運動の流れを作り 出した。

韓国でもイラク派兵反対非常国民行動を主軸として3.20平和週間、イラク戦争 と世界、韓国社会の討論会、平和博物館運営、反戦映画祭、女性平和行動、平 和のための乱舞などを進行した。また6月にはトルコのイスタンブールでイラ ク国際戦犯裁判(WTI)が進められた。

また故キムソニル氏1周忌を迎えて大規模集会が開かれ、タハムケは反戦討論 会を、社会党は朝鮮戦争勃発55周年迎えて韓半島平和定着のための市民平和の 折り鶴キャンペーンを行った。

反対して当然、サービス交渉2次譲歩案提出阻止闘争

WTO DDAサービス交渉2次譲歩案の提出日は、5月30日だった。韓国政府は余地 なく2次譲歩案の期限に合わせて提出した。当時二大労総と民主労働党をはじ め全国民衆連帯、公連帯、自由貿易協定WTO反対国民行動、汎国民教育連帯な ど主な労働政党、社会団体が「WTO DDAサービス交渉対応共同闘争企画団」を 構成し、5月の共同闘争を決意しなて討論会を始めとする第一歩を踏み出した。 そして連日外交通商部前と世宗文化会館の前で集会を開いた。

彼らは2次譲歩案提出とサービス市場開放の問題は、単に該当の産業労働者だ けの問題ではなく、公共サービスの縮小と商業化と私有化拡散という民衆の生 活を破綻させる全社会的な問題が量産されるものだと主張した。

反WTOの象徴、農民闘争

UR(ウルグアイラウンド)から続いた農民の闘争は、2005年に光を放った。結局 きちんとした対策もなく裏面合意で汚されたコメ批准案が国会を通過し、農民 の怒りは極みに達した。政府を恨んで農薬を飲み自殺する死の行列が続き、さ らに集会では警察の過剰鎮圧により故チョンヨンチョル、ホントクピョ農民が 死亡した事件は、下半期の烈士政局闘争につながった。イギョンヘ烈士2周忌 追慕集会、国会進入闘争、農民ゼネスト、コメ積み上げ闘争、香港遠征闘争な ど、農民たちは反WTO闘争の象徴になった。

また、9月に大法院3部は「学校給食条例、WTO協定に違反」と確定判決した。 これは学校給食問題が単に農産物流通と販売と地域社会の条例規定に限定され た問題でなく、WTOという世界貿易体制で発生した問題だということを呼び覚 まし、WTOの危険性を見せる事例になった。まさに農民が闘争するしかない農 業構造調整の問題、農業に関する全てを商品化する新自由主義世界化の問題、 そしてWTOに対する危険の警告がまさに韓国大法院判決を通して立証されたの だ。

快挙、文化多様性協約採択

10月、国連教育科学文化機構は「文化コンテンツと芸術的表現の多様性保護協 約(文化多様性協約)」を圧倒的な票差で採択した。154か国の代表が参加した 総会で、参加国は賛成148、反対2、棄権4で文化多様性協約を国際協約として 採択した。最後まで反対した米国は、国際会議で史上例のない「村八分」にさ れた。

ユネスコの文化多様性協約は単に「文言の採択」ではない。スクリーンクォー ター文化連帯のヤンギファン事務局長は、協約採択について「WTOが文化の領 域を市場化、私有化しようとすることを阻止したもので、今後はWTO、FTAなど の国際交渉で『文化を一般商品と同じように取り扱ってはいけない』というこ とを見せた快挙」と評価した。

また、多様性協約採択によってWTOサービス協定に含まれる水、エネルギー、 教育、保健、医療など、商品にするべきではない公共領域において「例外の突 破口を作れる」余地を残した。

WTOの尖兵、APECに反対する。

反APEC闘争は4月から準備された。労働社会団体は4月「貧困、戦争と差別を呼 ぶAPEC会議にいかに対応するか」の初めての討論会を開き、「WTO香港閣僚会 議阻止闘争のステップになるAPEC闘争」の意義をとらえ、「釜山闘争を全国闘 争に、南韓民衆闘争の総集結を要する闘争」のイメージを決めた。

戦争と貧困を拡大するAPEC反対国民行動(準)が6月1日に公式発足し、続く6月 には済州コンベンションセンター前で通産長官会議を糾弾する集会をはじめ、 釜山でのAPEC反対討論会の開催、慶州での高級事務レベル会議糾弾記者会見を 開催するなど、全国的な闘争流れを作り始めた。

また、釜山市民行動は、釜山を拠点に多様な大衆宣伝戦を、そして自発的参加 者たちで構成された文化広場を着実に進めた。全国行進後の一週間、釜山集中 闘争が進められた。軍と警察が市内各地に配置した準戒厳状態の釜山でAPEC反 対集会に参加した参加者は集会を開催し、コンテナを綱で引き倒して川岸の闘 争を展開した。

香港反WTO闘争はまだ進行中

12月、韓国が黄禹錫事態に揺れていたとき、香港は韓国民衆闘争団に熱狂して 熱病にかかっていた。5月に韓国を訪問した香港民衆同盟の活動家との議論を 基礎に、8月新自由主義世界化反対民衆行動を求心として12月の香港闘争が準備 された。

一週間、韓国民衆闘争団の1500人余りと会った香港現地の市民は、暴徒として の姿ではない韓国民衆闘争団の切実な闘争に共感し、ますます同化していった。 三歩一拜以後、香港市民の態度は「見物」ではない「直接参加」へと急反転し、 「WTOに反対する」、「韓国民衆闘争団を支持する」という声を出し始めた。

2万余人が参加した閉幕集会では、韓国闘争団を支持する香港市民のピケがあ ふれ、贈り物、水、ある海外同胞はモチを作り農民宿舎に配達した。別の海外 同胞は、韓国式の弁当を特別注文して、キムチでいっぱいの弁当を状況室に配 達した。観塘裁判所前で野宿座り込みを行い、拘束された14人の早急な釈放を 要求することもした。韓国民衆闘争団が見せた香港での闘争で、寝ていた香港 市民の躍動的闘争が目覚めていた。

そして香港での反WTO闘争はまだ進行中だ。ヤンギョンギュ民主労総参加団長 をはじめ、不拘束状態で帰国できない10人の韓国人拘束者がまだ香港に残って いる。年を越した残念な状況だが、彼らの無罪釈放を期待する。

そして...

この他、多くの闘争と内容の討論会が開催された。代表的な例としては、6月 の「水とエネルギーは人権」という旗じるしでアジア地域の労働・社会運動が 出会う席が用意された。この席で、各国の水とエネルギー私有化の事例を共有 し「共同宣言」を発表して、今後の連帯を模索するための約束をした。

また去る30日の本会議で済州特別自治道関連の3法案のうち、済州島行政体制 などに関する特別法案と地方自治法改正法律案だけが処理され、済州特別自治 道設置および国際自由都市造成のための特別法案は、次の会期に処理されるこ とになった。この済州特別自治道法霧散のための公聴会阻止闘争と討論会など も、済州島とソウルなど、地域を超えて進められた。

2006年01月03日16時31分

原文

翻訳/文責:安田(ゆ)


Created byStaff. Created on 2006-01-04 06:29:09 / Last modified on 2006-01-04 06:29:10 Copyright: Default

関連記事キーワード



このフォルダのファイル一覧上の階層へ
このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について