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団結と連帯の長い呼吸で民主労組を守る戦い

[今日、われわれの闘争]世宗ホテル労働組合(1)

シン・スニョン(全国不安定労働撤廃連帯常任活動家) 2014.09.22 16:01

[編集者注]とても多くの労働者たちがとても長い間戦っている。 ますます長期闘争事業場が増え、やっとつかんだ勝利の知らせを聞いたのはずいぶん前のことだ。 以心伝心で連帯の気持ちを分けあって頑張るが、難しい戦いは主体の役割になり、孤独に続く。 絶えず自らを慰め、新たに決意して、今日も明日も戦うが、時には忘れられ、時には無視される労働者たちの話。 全国不安定労働撤廃連帯が[今日、私たちの闘争]でチャムセサンの読者と分けあおう。共に戦い、共に勝利する日まで、人間らしく生きたいわれわれすべての連帯を望んで伝える。

高強度の労働と低賃金、雇用不安が表わす観光韓国のバラ色の未来

ドアマン、ルームアテンダント、バリスタ、ソムリエ、シェフ、コンシェルジュ、 ホテルで働くさまざまな労働者を称する言葉だ。 彼らに付けられた華麗な名前は、ホテル労働者の疲れて苦しい労働と劣悪な労働条件を隠してしまう。 勤務時間中、ずっとリムジンバスとタクシーが吐き出す媒煙をかぶり、 ホテルの入口を守らなければならなかったり、 顧客を案内するために一日中感情労働に苦しみながら真っすぐに立っていなければならないとか、 ベッドカバーを取り替えるために一日に何回も重いマットレスと取り組まなければならないという労働の実状は、 ホテルを考える時に簡単には思い出すことはない。 しかし私たちが暮らす世の中と同じように、ホテルも労働者がいなければ、一瞬も維持することができない空間だ。 ホテルの主要な機能である宿泊のための客室サービスをはじめ、 飲食品や宴会および各種の便宜提供機能には、非常に多様なサービス労働が集約的に結びついている。

1980年代、アジア競技大会とオリンピックの開催などで急成長を始めたホテル産業は、 「煙突のない工場」と呼ばれる観光産業育成政策の中で発展し続けてきた。 だがこうした政府の戦略の中に「労働」は全く考慮されなかった。 産業の発展による機械化と自動化の限界が明らかなホテル産業で、 労働者の存在はいわゆる「サービスの質」を判断する核心的な要素だが、 むしろ費用削減の障害と置き換えられるばかりだった。 ホテル業界は早くから実習生・修習制度などを活用して長期間契約職・非正規職を使い、 正規職が担当していた主要業務を代替し、 選別的正規職転換を求職の経路に定着させてきた。 こうしたホテル業界の労働力管理方式は、 現場の統制を強めて部門業務の分社と用役・外注化を進めるのが容易な条件を作った。

1990年代末には民主労総創立前に設立されたホテル労組が全国民間サービス産業労働組合連盟の前身である民主観光労連に大挙して加入して組合員数が5000人を超え、 2000年にはロッテ、スイスグランド、ソウル・ヒルトンの3社のホテル労組が非正規職の正規職化と適正人員確保を要求するストライキを行った。 彼らのストライキは労組の力量によって、一定期間が経過した後に正規職化を約束する形態で終わり、 実質的に正規職と同一業務に対する非正規職雇用を認める結果として現れた。 短ければ40日程度、長ければ3か月も続いた長期ストライキだったのに、 外国為替危機以後に産業全般に広がる非正規職化の流れを断ち切るには力不足だったのだ。 その後、ホテル業界は競争的かつ全面的な外注化と非正規職化を進め、 それに比例して民主労組は勢力を失った。 ホテルの現場には、高強度労働と低賃金、そして常時的な雇用不安が定着した。

2013年9月27日、第40回観光の日をむかえて民主労総全国民間サービス産業労働組合連盟は、文化体育観光部の前で記者会見を行った。 「華麗なホテル! 惨めな非正規職! 非正規職を撤廃しろ! 外注化を撤回しろ!」 韓国訪問年に来訪観光客1000万人達成など、「観光韓国」を自賛する政府に観光産業成長に寄与してきたホテル労働者の現実の改善を要求する叫びが鳴り響いた。 各種の国際大会の誘致と持続的な韓流ブームの効果などで、 観光産業はバラ色の未来を展望し、ソウルの中心部には金融会社・航空会社まで参入する一流ホテルの建設ブームが起きているが、 少数の管理者を除く全部門の労働者を非正規職で埋める新規ホテルが登場するなど、 ホテルの現場は労働の墓、労働権の不毛地に転落している。 そして、こうした現実のまん中に、明洞の真中で戦う世宗ホテル労働組合がある。

▲2013.9.27.第40回観光の日、観光ホテル労働者記者会見[出処:民主労総サービス連盟]

「神様のホテル」、人事権と御用労組で飼い慣らした現場

昨年「神様の学校」という独立映画が小さな反響を呼んだ。 「私学不正に対抗する愉快なドキュメンタリー」と紹介されたこの映画は、 2013インディドキュ・フェスティバルで上映され、大漢門をはじめあちこちで共同体上映されて話題を集めた。 2013年のソウル独立映画祭で招請部門「新しい選択」賞を受賞し、 今年の春には京畿道とDMZ映画祭で優秀ドキュメンタリーに選ばれた。 チョン・サンジン監督は2002年に世宗大学校に入学し、不正財団に対抗して不正理事長の朱明建(チュ・ミョンゴン)の復帰を防ぐために戦い、さまざまな重懲戒と告訴・告発の末に2011年、強制卒業させられた。 彼は「神様」に抵抗する10年間の私学不正退出運動の過程をドキュメンタリーで表わした。 「神様」は世宗ホテル闘争でも光る名前、私学不正の代名詞、まさに朱明建(チュ・ミョンゴン)だ。

世宗ホテルは世宗大学校法人の大洋学園が100%の株式を保有する収益事業体、世宗投資開発が運営主体だ。 世宗大学校の設立者である長男の朱明建は1978年に経営学科教授職を始め、学内の問題に深々と介入し、 各種の紛糾の最大の原因提供者として名声を輝かせた。 1980年代末、民主化に合意した学内構成員により退出させられたが、 青瓦台秘書室などの政官界の人々との関係を利用して1996年に理事長に復帰した後、 各種の不正と不正を行って、結局父母の暴露が呼んだ社会的波紋で2004年に教育部の監査を受け、 2005年に理事長の席を退く。 この時期に朱明建は兼職が禁じられた理事長の身分で財団傘下のすべての系列会社の会長に就任し、 世宗ホテルも各種の横領と不法、そして私有化の陰謀で汚された。

世宗ホテルは1965年に設立された長い歴史を誇るホテルだ。 1975年、冷酷な維新の時期に若い労働者たちが客室の扉を閉ざして行ったハンスト闘争の末に労組を設立したという伝説のような話が伝えられている。 しかし当時、軍未了状態だった労組委員長は、使用者側と兵務庁の協調で徴集され、 労組は無力化されたという悲しい伝説だ。 その後、世宗ホテル労組も他のホテル労組と同様に御用の道を歩み、 使用者側に立つ労組の委員長は事実上、現場の不満をなだめて遮断する役割を果たしてきた。 現場の統制に使用者側が活用するもうひとつのカードは人事権だった。 多様な職種が結びついたホテルの特性上、保障されるべき業務の固有性と安全性は、 人事権という名の不当な人事発令で壊された。

絶対的な権力を振り回す朱明建の影響はホテル全体に影響を及ぼし、非常識な部署転換や人事発令が事実上、高速昇進や左遷の意味で行われ、違和感を作り出した。 そんなことがあるときは、現場の雰囲気は落ち着かなくなり、 使用者側と歩調を合わせる労組と非道徳的な経営陣が作り出す見えない派閥づくりが行われた。 2003年にホテルの経営権争いが起き、2004年には客室・交換・広報部などで働いていた職員をむちゃくちゃにかき回して発令する事件が発生した。 そのまま受け入れられなかった20〜30人の職員が集団で年次休暇を使って業務を拒否し、 二日間の事実上のストライキを繰り広げた。 だが労組が防御しない偶発的な集団行動では人事命令を撤回させることはできず、 社長から再発防止の口約束を受け取った労働者たちは、くやしい心を抱いたまま職場に復帰した。 当時、労組には使用者側により徹底的に官僚化された13年目になる労組委員長がいた。 世宗ホテルの労働者に必要なことは、人事権で踏みにじられる労働の権利を共に守って行く民主労組だった。

▲2011.10.15.民主労総所属で初めて参加した集会、韓米FTA阻止決意大会[出処:世宗ホテル労組]

民主労組、そして複数労組、民主労総への転換と38日間のロビー占拠ストライキ

使用者側がむちゃくちゃに振り回す人事権に対応できない現場で、 何の役割も果たさない労働組合には意味がなく、我慢を続けてきた労働者たちの不満が積もっていった。 過去に御用労組を変えようとして競選で当選した労組委員長は、 地位の保全だけに安住した15年を終わらせて不出馬宣言をした。 2006年2月、労組の民主的運営と非正規職の正規職化を公約に掲げたキム・サンジン候補が新しい労組委員長に当選した。 長期間、積もった労組委員長に対する否定的なイメージを解消し、労組を労組らしくする努力と変化が始まった。 主要事案に対する組合員賛否投票が行われ、労働者の権利と民主労組の重要性を呼び覚ますための組合員教育が始まった。

一方、教育部の監査で不正が表面化して朱明建が追い出された後、 2005年の夏に世宗ホテルも臨時理事体制で経営陣が更迭された。 労組は2007年に交渉で約50人の非正規職を正規職に転換し、契約職として1年勤務した後に面接で正規職に転換する内容の団体協約を結んだ。 当時、施行され始めた非正規職保護法が期間制として2年以上働けば正規職に転換するように規定していて、 ホテルの現場の非正規職化がすでに急速に広がっていた現実を考慮すれば、 事実上、非正規職のない職場を作る破格の合意であった。 臨時理事体制が続いた4年間、世宗ホテルは係長級まで実施した年俸制を給与体系に戻し、 外注化と非正規職化などの雇用不安要素を最小化する合意を維持した。 しかし「良い時期」は長くなかった。 2009年7月、朱明建が帰ってきた。

朱明建が会長に復帰する直前に締結された雇用安定協約の効力は認められることになったが、 その後、使用者側は部署の統廃合と組織改編などを繰り返し強行して構造調整の布石を敷き始めた。 2011年の初めから、また人事権により労組幹部を攻撃して、 団体協約で締結された非正規職の正規職転換の約束を無視した。 夏になり、団体交渉を延期しながら時間を引き延ばし、7月には複数労組の世宗連合労組設立と共に本格的な交渉懈怠と部署長を使った組合員の抜き出しを始めた。 9月には販促チーム職員に支払われていた販促手当てを費用処理方式に強制的に変更し、 事実上賃金を削減、これに反発する4人の世宗ホテル労組組合員の不当配転を強行した。 不当配転の当事者だった組合員の1人は辞表を書き、 3人は人事発令を全面拒否して抵抗した。 民主労組を瓦解させると決心した使用者側は、これ見よがしに組合員を狙った不当労働行為を続けた。

世宗ホテル労組は8月にソウル中央地法に団体交渉応諾仮処分を申請し、9月末の臨時代議員大会と10月初めの組合員投票で争議対策委への転換と民主労総への上級団体変更を決める。 仮処分勝訴の判決により、12月に交渉が再開されたが2012年1月2日に最終決裂した。 1月3日、世宗ホテル労組は全面ストに突入した。 約70人の組合員のうち約50人が参加したロビー占拠闘争は、 労組設立37年目の初めての全面ストライキだった。 闘争経験がない新生民主労組にとっては恐ろしい選択だったが 「非正規職の正規職化と不当配転撤回、適正人員補充と構造調整阻止」の要求は戦うことなく勝ち取ることはできず、 皆のために勝利しなければならない戦いだった。 ストライキは予想より長びいたが、対立と苦痛が深まるだけに決意と同志愛もまた固かった。 離脱者も出たが、時間が経つほどにさらに多くの仲間が喜んで連帯した。 38日間続いた闘争は2月8日、 「非正規職の正規職転換と不当配転者の懲戒量刑の前向きな検討と雇用安定協約遵守明文化」を骨子とする労使合意で終わった。

▲2012.1.13.全面ストライキ11日目[出処:世宗ホテル労組]

労組弾圧と枯死作戦に抵抗し、遅くても共に行く

少数労組としてできる最善を尽くした全面ストライキだった。 ストライキが長くなって離脱者が生じ、期待を下回るストライキ効果と使用者側の威嚇は不安を加重させた。 勝利の確信が揺れるたびに訪れる対立と混乱は少なくなかったし、 救社隊になった同僚と対抗しながら衝突する状況は苦痛だった。 だがそのような過程を共に勝ち抜いた組合員たちにとって、 ストライキは明らかに「労働者の学校」だった。 ストライキを始める時にシュプレヒコールをあげる腕もぎこちなかった組合員が、 一か月ほどの期間で闘争する労働者に生まれ変わった。 団結と連帯の重要性を心深く刻み、仲間の貴重さを熱く体験した。 ストライキが終わる最後の瞬間まで残った三十人ほどの組合員の多くが民主労組を守るしんばり棒として今も現場を守っている。

しかし使用者側は合意を履行しなかった。 ストライキ後に2人の不当配転者に停職6か月と3か月という重懲戒が下され、 再審を経た後も1人を1か月に軽減しただけだった。 金科玉条のように振り回した人事権をまた持ち出して、2012年6月、 正規職に転換すべき非正規職労働者を解雇した。 表面的には解約が理由だったが、ストライキに参加した事実が不敬罪として作用したことを誰もが知っている。 続いて2013年3月には組合員2人と労組幹部の妻で20年以上、経理業務だけを担当してきた非組合員を不当配転した。 労組幹部の妻は既存の業務とは全く関係がないばかりか健康上の理由で遂行できない人事命令だったために拒否したが、 地労委の救済申請が棄却されると懲戒委員会を開いて解雇した。

長期闘争で累積した疲労感と消失した組織力は回復もしていない状態だったが、 世宗ホテル労組はまた闘争を決意した。 交渉権がない少数労組という状況では不当配転を解決する方法はなく、 訴訟が進行中の不当解雇も時間が必要な戦いだ。 だが闘争の火種をよみ返らせて民主労組を守る現場の筋肉を鍛える方法は、避けることなく戦う道しかない。 世宗ホテル労組は2013年5月20日の「民主労組死守決意大会」を始め、 今まで毎週木曜に夜の集会を開いて誠実で馬鹿力を出して日常闘争を展開している。

38日間の全面ストライキから2年半の時間が流れた。 これまで世宗ホテル労組の組合員たちは、近くの闘争事業場は言うまでもなく、 蔚山、密陽、牙山、沃天、全州、亀尾など、闘争があって連帯が必要なところにはどこにでも駆けつけて連帯してきた。 「連帯の仲間ありがとう、明日もまたきてね!」 底辺から沸き出る気持ちをそのままスローガンにして叫びながら頑張った経験を、 ストライキ闘争で感じた貴重な連帯を忘れることなく、 生活として長い間鍛練されてきた。 あらゆる事かけた切迫した戦いで信じられるのは「私たち」だけだという真実を悟った仲間たちにとって、 連帯はもう自然な生活になった。

前に締結した雇用安定協約は2014年7月で満了し、8月28日に世宗連合労組は特別激励金100万ウォン支給、 賃金凍結、年俸制拡大、契約職の正規職転換廃止、組合員加入範囲縮小などを主な内容とする2014年の賃金団体協議改正に使用者側と合意した。 賃金と労働条件の深刻な後退をもたらした職権調印の知らせに、 静まっていた現場がざわめいている。 もちろん、安易に近い将来、可視的な変化があると期待することはできない。 だが雇用の首根っこを握る使用者側の顔色を伺って民主労組を無視し、 不利益と弾圧を恐れて共にする勇気を出せなかった労働者たちの中には、 かすかな希望として世宗ホテル労組の組合員たちを思い出す人たちが明らかにいるだろう。

▲2013.6.13.世宗ホテル労組木曜集会[出処:世宗ホテル労組]

優秀な民主労組が闘争で、あるいは変質で次々と壊され、離れてしまったホテルの現場で、 30年御用労組を民主化してしっかりと戦うために上級団体を民主労総に転換し、 無期限の全面ストライキで最初の闘争の火ぶたを切った世宗ホテル労組の動きは異例だ。 しかし、時間に逆らっているように見える世宗ホテル労組が歩んできた道は、 誰かがあまりに早く放棄したり、先におじけづいて帰ってしまった道かもしれない。 激烈な極限闘争ほど根気と底力で耐える闘争も本当に難しい時期だ。 することができる小さなことから、しっかり基本を固めていく、 団結と連帯の長い呼吸で民主労組を守る世宗ホテル労組の仲間たちの闘争を支持する。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-09-24 04:51:04 / Last modified on 2014-09-24 04:51:05 Copyright: Default

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