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韓国:忘れてはいけないセウォル号、変わった社会をどう作るのか
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忘れてはいけないセウォル号、変わった社会をどう作るのか

[寄稿]怒る大衆の流れに一緒にする時

ミョンスク(人権運動サランバン常任活動家) 2014.05.24 08:05

セウォル号惨事からすでに39日目、まだ不明者16人は愛する人の元に戻れない。 彭木港には今も彼らを待つ家族がとめどなく海を眺めるばかりで、 毎日冷たい海から帰ってこない人々の名前を呼ぶ声が聞こえる。 青瓦台には聞こえなくても、われわれはこの叫びを、この声を聞かなければならない。 まだ不明者がいて、なぜまだ彼らが空しく水の中で、船で死ななければならなかったのか、 解けないことが多いからだ。 まだセウォル号を忘れてはいけない。 それでなければ変わった社会を描けない。

どう未来を描くのかは現在にかかっている

セウォル号惨事以後「韓国社会」に怒る市民は多い。 「自分自身」に怒る人々が多い。 申し訳ないと言って行動に立ち上がる個人が一人二人と生まれた。 人々がそれぞれの方式で追慕し、政府に要求しながら、 キャンドルを灯して行動している。 2008年のキャンドル闘争がそうだったように、 自発的な個人の行動が、組織された運動より一歩先に立った。 じっとしていないとデモ行進をする人々、清渓広場でハンストに入った神学生たち。

[出処:チャムセサン資料写真]

どのような未来を描くのかは現在にかかっているからか、 追慕に乗り出した市民らはセウォル号惨事への根本的な質問を投げかけ、共に解答も求めている。 5月8日と18日に開かれたセウォル号惨事青瓦台万民共同会でもそうだった。 人々は話した。 資本の利益だけを追う政策の下では、海上警察は動けなかった。 命を救うすべての資源を持つ政府は、その資源を使わず空しく船を沈没させ、 その上、それを多くの人に生放送で目撃させた。 だから人々は眠ることができず、食事も取れず、ただ涙を流すしかなかった。 人々はセウォル号の沈没の原因になった規制緩和と、官僚と企業の不正な癒着関係を語り、 セウォル号惨事の原因となった国家官僚主義について話した。

涙を流しながら尋ねた。 「これが本当に国家なのか。 なぜわれわれはあの命が消えるのを見ているしかないのか。 なぜ国家は彼らを救わなかったのか!」と問いかけ、 このままではいられない、これ以上じっとしていられないとし、通りに出た。 本当の民主主義が始まったのだ。 個人の私的な利益追求を越え、人々が立ち上がったのだ。 韓国社会に「公共の価値としての人間の尊厳」とは何か、 「一緒に暮らすこと」とは何か、さらに根本的に語られ、行動が始まった。 ランシエールの言葉を借りれば、民主主義とは司法-政治的な形態の体系でもなく、 社会の形態でもない、民の権力であり、民主主義運動は限界を超える二重的なものとして公共領域で人間の平等をあらゆる分野に拡大する運動だ。 セウォル号惨事を契機として民主主義が広がっているのだ。

退陣か、責任追及かを超えて怒りを組織せよ

街頭に出た人々のスローガンは違いながらも似ていた。 ある人たちは「朴槿恵政権の責任追及」を叫び、ある人たちは「朴槿恵退陣」を叫んだ。 ある人たちは追悼行事をしたし、ある人たちはデモ行進をした。 この事態を見る立場は多様で、この局面をいかに解いていくかの立場も違った。 民主主義は本来、混沌としていて混乱した秩序を見せることだ。 正解はない。 ただ自らの信頼で、それぞれに行動しても互いに同僚の愛を忘れずに戦うことだ。

重要なことは、現在の局面で大衆の怒りをしっかりと集め、汚い「貪欲の体制」、 「資本の体制」に突破口を開くことだ。 亀裂は正面突破や側面突破、迂迴路、または混乱させることでも作り出せる。 各自が保守言論の攻撃に馴致されてはいけない。 そうして亀裂を入れなければならない。 資本の秩序をひっくり返せなかったとはいえ、直接選挙制で代表される少なくとも形式的な代議制民主主義を生み、 憲法に経済民主化を取り入れた87年闘争の最低の成果を取れるのだ。 いやその程度は望まないのかも知れない。 少なくとも規制緩和、生命安全業務の非正規職化や権限剥奪、官僚と企業の結託を弱められるのではないだろうか。 だから今、必要なことは、なぜ人々が怒るのかを知り、その怒りに共感し、 「セウォル号惨事」に象徴される規制緩和としてあらわれた生命軽視、貪欲の秩序を拒否するように組織することだ。

5月8日の青瓦台万民共同会に参加した人々が青瓦台に行かなかったとすれば、 遺族たちが青瓦台に行かなかったとすれば、 果たしてKBS社長が詐欺に近いとはいえ公開謝罪をしただろうか。 朴槿恵退陣を叫ぶ教師たちをはじめとする市民の動きがなかったとすれば、 果たして現政権が空っぽとはいえ対策を出し、対国民謝罪をして、南在俊国家情報院長と金章洙国家安保室長を飛ばしただろうか。 今は現政権が自分に戻ってくる矢を最小化するよう努力している局面だ。 政府が圧迫を感じなければ、セウォル号惨事は解決しない。 だから矢を権力の中心、朴槿恵大統領に向ける時、 セウォル号惨事の真相究明と責任者の処罰が行われる可能性も高くなる。 さらに、少なくとも惨事の原因である規制緩和政策を中断させることはできるだろう。

[出処:チャムセサン資料写真]

政治と6.4地方選挙

そしてセウォル号惨事をきちんと解決するために 「朴槿恵」を入れるなという表蒼園(ピョ・チャンウォン)氏の忠告は、 この懸案の性格を縮小させることでしかないだろう。 また朴槿恵退陣を叫ぶ人々の多様な意味を単純化し、政府への圧迫を中断しろという意味でしかない。 セウォル号惨事は政治的な性格を持っている。 沈没の原因である規制緩和は持続的な政策であり、 惨事の原因である政府の生命軽視と無能な官僚主義は政府の運営基調だった。 双竜自動車で解雇された人々が25人も死んでも政府はゆっくりとしか動かが、 密陽765KV送電塔建設に反対するイ・チウ、ユ・ハンスクお年寄りの死にもびくともせずに政府は工事を強行した。 一度でも命の死に悲しみ反省して、国政方向を変えたことがあるか。 これ以上、このままではいられない。 政治というのは、どの政党が執権するのかの問題だけではなく、 この社会秩序、体制をどう率いて行くかを含む問題だ。 企業の利益だけを中心に回っていく体制を今こそ変えるという問題意識が広がっているのに、 これがどうして政治的な問題ではないというのか。

しかし皮肉にも、セウォル号は政治的に追い立ててはいけないと話す人々は、 みんな政治に関心を持っている。 彼らはセウォル号が政治的な問題に変質すると叱責しつつ、 今回の地方選挙でセヌリ党の支持率が落ちると心配する。 表蒼園氏も「6.4地方選挙がセウォル号の影響を受けず、無難に」行われるべきだという。

彼らが語る政治とは何か。 もちろんここで話す政治は狭い政党政治-議席数確保だ。 彼らは韓国社会の貪欲の秩序を変える(広い意味の)政治には関心がなくても、 自分の議会進出に影響を与える(狭い意味の)政治には関心が強い。 なぜ新政治民主連合が数百人の命を奪った惨事にじっとしているだろうか。 まさに政治に影響を与えるかと憂慮しているからだ。 したがって私たちがすべきことは、 セウォル号惨事が見せた韓国社会の不条理に抵抗する戦いを作り続ける事だ。 静かな時間を揺るがすことだ。 この流れを6.4地方選挙の後まで推し進めなければならない。

そのためには、簡単に日常に戻ろうとする彼らの頭を、気持ちを変えなければならない。 惨事を忘れさせては、また惨事がおきるほかはないことを想起させ、 人々を通りに、街に出てくるようにしなければならない。 一緒に出てきて道路で「悲しみの深さ」に共感し、「怒りの強さ」を感じさせなければならない。 路上で感じた身体的感応は、一緒にいた人々を集め、 その感応が一緒にいなかった人々に伝えられるものなのだから、 われわれはずっと時間を揺さぶり続け、場所を占拠して、事件を起こさなければならない。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2014-05-26 06:03:20 / Last modified on 2014-05-26 06:03:21 Copyright: Default

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