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韓国:貧民街とサントリーニ
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貧民街とサントリーニ

[チェ・インギの写真世の中](6)朝の釜山市ヨンソン洞ヒニョウル道で

チェ・インギ(貧民活動家) 2012.05.19 17:49

地方に出張に行くたびに、宿舎を見つけるのは容易ではない問題です。ご存知 の人もいると思いますが、釜山駅の反対側はいわゆる外国人しか入れない専用 バーが並んでいる所です。恐らく港なので、こんな文化がずいぶん前から定着 したのでしょう。近所をうろついてカンビールとスルメを買い、適切な宿舎を 見つけて入りました。

ほとんど徹夜であれこれしているうちに時計を見ると5時を少し越えた時間でし た。また釜山駅の前に出てタクシーを拾い、ヨンソン洞に向かいました。知ら ない村に行くときは、新しい環境への不安と興奮を同時に感じます。

タクシーの運転手はこんなに早くなぜヨンソン洞に行くのかと、隣の席の私を 不審そうに見て尋ねます。ただ行ってみたいというと、何か見たいものがある のかと言って、私のカメラをさっと見ます... 二三言の話をして、大きな橋を 渡り、またしばらく走って、坂道のどこかで降りました。

鋭い風が襟を食い込む早朝です。仕事に出て行く人のために早く開店した食堂 が眼につき、朝食を取りながら夜が明けるのを待ちました。相変らず日が昇る 兆しが見えず、また食堂のドアをあけるて出かけます。

道路に沿ってさらに上がると白蓮寺(ペクリョンサ)という寺が現れます。今、 家はなくなり、薄暗い道が続いています。遠く海の浮かび上がった船のあかり と南港大橋が目に映ります。浜辺に停泊している船の姿がかすかに見えます。

寺で寒さを避けた後、降りて少し歩くと浜辺にぶつかった路地があります。塀 一つを挟んで静かに明かりをつけた部屋の暖かさが伝わってきます。前日の疲 れを振り払って起き、出勤の用意をしたり家族の食事を作る姿が描かれます。

浜辺に降りて長々しい階段の様子は、映画やドラマによく登場する場所です。 リズムに乗って曲がる階段の発見は、見知らぬ所で出会う喜びです。まだ日が 昇るまでにはもう少し待たなければなりません。今回は道路と反対の高い階段 を上がり、また海側をながめます。映画の一場面が思い出されます。屋上に白 い洗濯物がかかり、若い夫婦が欄干に座って赤い夕焼けをながめる想像をまた します。ちょうど扉をあけ、登校する制服を着た学生が私を発見して上下に目 を通すと、矢のように路地の内側に消えます。

今、周辺がぼんやりと明るくなります。日が昇る直前の風は本当に新鮮だとい うことを全身で感じながら、シャッターを押していると... 突然カメラが動か なくなりました。

バッテリーが空になったようです。ソウルからここまできたのに、困りました。 一枚写して取り替える、ということを繰り返します。ヨンソン洞のヒニョウル 道を歩いて、また浜辺とぶつかるところに来ました。もう少しで出発しなけれ ばなりません。力強く一日を始める人々の姿が見えます。水タンクの横で風を 避けて、ぼんやりと立っていると、あるおばさんが頭からつま先まで睨んで 通り過ぎます。本当に怪しいようです。

この村ができた理由は何でしょうか? 釜山が大きな都市に拡張されたのは日帝 強制占領期間と朝鮮戦争が起きた後で、特に避難民が釜山に押しかけ、彼らが 定着して、さらに大きな都市に成長したのです。ところが釜山は地理的に浜辺 を挟み、山に囲まれたところです。そんな理由でソウルではニュータウンと 再開発で見えなくなった貧民街が釜山のあちこちにまだあります。

話しが好きな人々はヨンソン洞を韓国のサントリーニだといいます。写真で見 れば、それほど美しい所です。だが眺望権とやらが存在する前から、釜山駅や 近所のチャガルチ市場などで生計を立ててきた人々が一人二人と集まり、住み 着いたところだといいます。浜辺が住民に与えらる素敵な風景は、多分ファン タスティックな姿に違いありません。路地塀の向こうの青い空とパッと開いた 海が広がり、遠く南港大橋の間を出入りする船の姿は壮観そのものです。ちょ うど太陽が登りました

もうソウルに出発する列車の時間までいくら残っていません。すっかりなくなっ たバッテリーで写した何枚かの写真で残念な気持ちをなだめて、足を移しまし た。こうして村に関心を持ち始めたのは、最近のことです。清渓川復元工事が 始まって人々が押し出され、これを記録に残そうと思ってカメラを購入し、 露天商と再開発地域を探しているうちに、こんなに中毒になってしまいました。

カメラを持って路地に入ると、私だけの想像にしばしば落ち込みます。この町 にはどんな理由が隠れているのだろうか? 古い窓枠の間と流れ出る子供たちの 笛の音と、塀に書かれた落書き、そして大小の話が集まっては散る町の入り口 の小さな雑貨屋まで、気にならないものはありません。これらは一方的な開発 では決してできません。長い間、人々の暮らしが作り出した価値は、何よりも 尊重されるべき文化なのです。

この地域の住民たちは、あの素敵な海をながめながら、一日を過ごすのでしょ う。だが海を友として、絶壁の上に掛けられたお守りは、いいつまで苦しい彼 らの生活の礎でいられるのかは疑問です。今年ここをまた訪問した時、まるで レゴのようにきれいに建てられた海岸の家を崩し、あちこちに大きな一戸建て 住宅を作る姿が見られました。もうあの素敵な風景も、以前からここで暮らし ていた人のものではないというかのように、残念なことに開発までいくらも残 っていないという知らせも聞こえてきます。

原文(チャムセサン)

翻訳/文責:安田(ゆ)
著作物の利用は、原著作物の規定により情報共有ライセンスバージョン2:営利利用不可仮訳 )に従います。


Created byStaff. Created on 2012-05-20 07:29:58 / Last modified on 2012-05-20 07:30:05 Copyright: Default

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