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LNJ Logo 本紹介:『静かな基隆港 埠頭労働者たちの昼と夜』
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〔レイバーネット国際部・I〕

9月末に台湾・基隆でおこなわれた島々のピースキャンプに参加したとき、スタッフから 《靜寂工人:碼頭的日與夜》(静寂の労働者たち:埠頭の昼と夜)という、基隆の港湾労 働者のフィールドワークを作品にした本をもらいました。2016年の本です。 基隆港は、戦前の日本共産党の指導者ひとりである渡辺正之輔が、1928年10月に上海から 船で基隆港に立ち寄った際、臨検に来た官憲との銃撃戦で亡くなった場所だったりします 。その年の4月に台湾共産党(日本共産党台湾支部)が上海で結成されてますが、渡辺は コミンテルン第六回大会に参加したメンバーらと上海で会合をしたのち、船で基隆に渡っ たところで銃撃戦で亡くなってます。激しい時代でした。9月のピースキャンプはそんな 激しいこともなく…。 で、いただいた埠頭労働者の本、時間がなくて読んでなかったのですが、最近、この本の 冒頭に収録されている「推薦の前書き」を読んだら、なかなか面白そうということで、ぼ つぼつ読んでいたのですが、先日、神保町の中国専門書店『内山書店』で、この本の日本 語版『静かな基隆港 埠頭労働者たちの昼と夜』(魏明毅、みすず書房、3200円)を発見 !昨年出版されていたようです。知らなかった…。 みすず書房公式サイト(もくじや訳者解題などあります) https://www.msz.co.jp/book/detail/09729/ 残念ながら日本語版には「推薦の前書き」は収録されてない。なんで! ということで、AIとか活用して訳してみました。 ホントはもうすこし格調高いというか滋味あふれる文体だと思うのですが、僕の表現力で は…。 ============== 『静かな基隆港 埠頭労働者たちの昼と夜』 魏明毅 著、みすず書房、2024年11月 以下、日本語版未収録の「推薦の序」の日本語訳。 もはや見知らぬ場所でなく(推薦の序) 王品芳、王奕蘋、陳薇仲 (鶏籠霧雨メンバー) 台湾全体を見渡しても、基隆のように市街地が港を抱いている町はめずらしい。駅を出れ ば海が見え、埠頭沿いを歩けば大型船のほかに、視界から決して消えないガントリー・ク レーンが連なる。 私たちが生まれた年から、埠頭はしだいに静まり返っていき、ガントリー・クレーンは天 へとその腕を伸ばし〔仕事がなく操業していない〕、強いられた静寂の現状に対して沈黙 の抗議をしているかのようであった。それを見た港湾労働者たちは、自嘲気味に「鳥を撃 ってるのさ」と言う。しかし、どれほど楽観的であろうとも、基隆港はまるで一夜にして 衰退したかのように、かつて港全体に溢れていた活気ある時代を抱いたまま、淤泥のたま った港湾へと沈みこんでしまっていた。 中学時代から、私たちはこの街の鼓動に合わせ、埠頭と市街地を中心に生活を築いてきた 。だが同時に、大人たちが口にする基隆は雨と停滞の町だというイメージも根付いた。彼 らは警告した——この二つの壁に囲まれた街から離れることこそが、より良い未来への道 なのだと。だからこそ、私たちの関心は「どう離れるか」に集中していた。毎日バスで埠 頭沿いを通り過ぎる時に見える静止したガントリー・クレーン、埠頭と町全体の停滞―― これほど巨大な存在に対して、私たちの心には微塵の疑問も湧かなかった。 二〇一四年になって、当時の「雞籠霧雨」のメンバーは先輩の紹介によって、ようやく明 毅の修士論文『基隆の港湾労働者──貨物船、情動、その社会生活』を最初に読むことが できた。明毅によるこの民族誌は、「基隆」そして「労働」を主たる関心として据えた数 少ない研究であることは疑いない。それを読んだことで、私たちは人類学によって視野を 開かれ、近すぎるがゆえに見えなくなり、次第に忘れ去っていた基隆港、そしてかつては 身体を酷使して貨物を運び「苦力(クーリー)」と呼ばれた港湾労働者たちを、あらため て見つめなおすことになったのである。 待機する日常 市街地の路地裏に点在する屋台、古いビルに密集するカラオケ店、駅周辺の狭い路地に並 ぶ小さなバー、そして茶店仔や清茶店、歓楽街が集まる鉄道沿いの通り――これらは基隆 育ちの者にとって見慣れた街の風景だ。しかし、ただ見慣れていただけだった。 こうした、親しみながらも極めて異質な基隆の町の風景は、私たちの好奇心や関心を一度 も掻き立てたことがなかった。無視することが当たり前となり、あるいは家の年寄りたち の言葉に込められた否定的なニュアンスから無意識に回避しているのか、あるいは「進歩 」へ向かう必要性から停滞した古い事物への抵抗感からなのか。こうして、それらは結局 、古臭く歪んだ風習や意味を持たない景観としてしか見られず、なぜ存在するのかを探究 する者はほとんどおらず、ましてや基隆港の重要な発展の歴史と結びつけることなどなか った。 明毅の研究は、語り手の物語を通じてこれらの背景に隠された手がかりを補完し、基隆港 が喧騒から衰退へと向かう歴史的脈絡を、かつてない大縮尺の地図のように、緻密かつ豊 かに私たちの眼前に展開する。これらの日常的な町の風景が、突然私たちの心の中で鮮や かに蘇った。2015年、私たちは明毅と共に彼女のフィールドワークの地へ戻り、かつて無 数の港湾労働者が行き交った生活空間を実際に歩いた。いっけん平凡でこれまで気にも留 めなかった町並みから、港湾の繁栄を垣間見ながら、当時港湾で仕事をし、生活した男た ちと女たちを思い描こうとした。 その日、私たちは明毅に連れられて鉄路通りから歩き始め、歓楽街を通り抜け、茶店に入 っておばさんたちと茶を淹れ、おしゃべりし、歌を歌った。そして仙洞地区で港湾労働者 が住む集落空間を肌で感じ、埠頭近くで屋台を営むおばさんやおばあさんと話しながら、 港湾の内外で働く人々が持つ私たちとは異なる独特の社会空間と生活文化を垣間見た。そ の後、鶏籠霧雨のメンバーはいろいろな世代の港湾労働者、その配偶者や子どもたちとも 接触した。インタビューや雑談の中で、彼ら/彼女らが基隆港の巨大な変遷に抱く嘆息、 そしてあの「紙醉金迷(金に目がくらむような)時代」が築き上げた生活文化が、彼らの 人生と感情に与えた重大な影響を、感じ取らないわけにはいかなかった。 港湾労働者は、かつて基隆で最大の労働者グループだった。彼ら/彼女たち、そして彼ら が置かれた文化的領域、そして時代の激変によって受けた衝撃は、公式の歴史解釈におい ても、基隆に関する研究においても、あるいは現代の人々の港湾に対する印象においても 、ほぼ同様に扱われてきた――つまり、忘れ去られてきたのである。彼らはただ黙って見 られるのを待ち、楽観的あるいは悲観的に時代の巨輪が基隆港の往日の輝きを取り戻すか どうかを待ち続けた。それは彼らの人生の物語の中で最も大きな部分を占める「待つ日常 」そのものだった――コンテナトラック運転手がコンテナを受け取るのを待ち、埠頭の荷 役労働者が仕事が来るのを待ち、港湾労働者の配偶者と子どもたちが家族の帰りを待ち、 そして待つうちに何かを失っていく… …。 「彼らと私たち」 いまでは、一日の仕事を終えて基隆港に戻る通勤バスを降りると、私たちの目に映るのは 、もはや何千人もの港湾労働者の姿ではなく、空高くそびえる巨大な赤いガントリー・ク レーンの列である。 20世紀末、効率と管理を掲げた「埠頭の民営化」が進められて以来、基隆港は劇的な変 貌を遂げた。1970年代、新自由主義は国境を越え、亜熱帯の島々の北に位置するこの港を グローバル化の緻密な網に組み込んだ。資本と政策によってもたらされた昼夜を貫いたこ の埠頭の繁栄は、国際航路の変化と、より安い貿易・労働コストの地域の出現に伴い、新 自由主義のブラックジョークでも語るかのように、1990年代になると同じ論理で基隆港と 港湾労働者を、グローバル化した多国籍貿易ネットワークから容赦なく放り出した。 この衰退を「救う」ため、国家は新自由主義の精神に基づき、「埠頭の民営化」を進め、 埠頭を資本家の手に委ねた。降りやまぬ雨だけでなく、より過酷な労働、そして労働の細 分化や外部委託という動きが基隆の港湾労働者たちの顔を打ち続けた。民間の荷役会社の 数少ない「コネ」や技術を持たない者は、この「自由競争」の労働市場から完全に排除さ れた。 明毅のこの本は港湾労働者の民族誌であり、あるいは人類学の学徒として「自らを他者の 日常に投げ込み、初めての世界に身を置き、真実をもって他者に近づき理解しようとする 」彼女の深い観察記録である。この本が私たちの眼前に突きつけたのは、これまで知らな かった基隆港の姿であり、同時に私たちが置かれた位置を認識させるものだった。実は私 たちは彼女が描いた港湾労働者からそれほど遠い存在ではなかった。 基隆港を記憶するには、この港湾労働者たちと彼らの苦境を記憶しなければならない。基 隆の子どもとして、そして新たな世代の賃金労働者として、『静かな基隆港』は私たちに 追跡と反省の起点を与えてくれた。労働者の歴史を視ることを通じて、私たちは誤って個 人に押し付けられた帰属概念を解体し、大時代の構造が覆い隠す壁を剥ぎ取り、基隆港と 労働との深いつながりを見出すだろう。これは彼らの苦難の経験を真に映し出すと同時に 、私たち自身の労働の意味、そしてこの困難な時代においてどうあるべきかを考えさせる だろう。 労働者はひとつだ。しかしこの一体性は同質で無機質な集合名詞ではなく、同じような境 遇にあり、同じような抑圧にともに抵抗できる、一人ひとりの生身の人間たちだ。それは 、港湾労働者であり、コンテナトラック運転手であり、茶店のおばさんであり、通関業者 の従業員であり、あなたであり、私である。 (以上)

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