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渡部通信(10/7):自由主義・ファシズム・社会主義
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●渡部通信(10/7):明けない夜はない(333)<若者を再び戦場に送るな!(83)自
由主義・ファシズム・社会主義>

10月4日の自民党総裁選で、極右ともいわれる高市早苗氏が総裁になった。 彼女は経済面では安倍氏のアベノミクスを受け継ぐと言っている。 またイデオロギー面でも安倍氏同様、天皇主権の戦前の「日本主義」に近い。 外交面では戦前に日本帝国主義の侵略で大きな犠牲を被った 東アジアの国々とギクシャクするだろうが、 特徴的なのは台湾が極めて喜んでいることである。 これは、「台湾有事は日本の有事」「戦う覚悟を持て」と言った 麻生氏の路線を前面に出し、G7やNATOと一緒になって 対中・露・北朝鮮との戦争準備をさらに強化するだろうことを 期待してのことである。 ところで、何度も戸坂潤の『日本イデオロギー論』の助けを借りて恐縮であるが、 彼はその本の最後の「自由主義・ファシズム・社会主義」という項目で、 次のようなことを述べている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日の日本の社会思想と云えば、自由主義とファシズムと社会主義との三つである。 これを単なる思想としてみれば、自由主義・日本主義・唯物論の三つだと云ってもいい。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そして、当時の「自由主義」については次のようなことを述べている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 独占資本主義の時代に這入ると共に、各人の資本家的自由は、 資本家の内でも特殊に少数な寡頭大資本だけの自由にまで、 或いは寧ろ資本家自身の一身的自由の代わりに 資本そのものの自由にまで、変質して来た。 今や資本主義そのものが、その経済的自由の精神を保ちながら、 しかも現実の形に於てはこの自由の社会的制限として、 統制経済を導き入れて来た。 ・・で今日の日本では経済的自由主義は思想としては 殆ど全く無力になったと見ていい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 第二は「政治的自由主義」である。・・・ 政治的自由主義は大体、民主主義(ブルジョア・デモクラシー) のことだと云っていい。・・ ・・・ だが気分的自由主義の何よりの強みは、社会の一部の常識を代表しているということだ。 そういう限りの一種の大衆性を有っているということである。・・・ そしてこの常識は明らかに小市民の一部のものの所有であり、 主に言論能力を有った中間層の一部の政治的常識に照応しているものだ。 気分的自由主義の大多数が、新聞記者出身であるのは決して偶然ではない。・・ 処(ところ)が、より広範な政治的常識、普通選挙の今日殆ど一切の平均値的な 政治意識の所有者の常識、に相応するものは、この言論的自由主義ではなくて、 この言論を中心とするかのように見えてしかし皮肉にもそれとは 何の実質的な関係もない処の現在の議会政治的デモクラシー(「立憲主義」)なのである 。 ・・独裁制に対する議会制度が、俗に自由主義だと考えられている。・・・ 大事なことには、議会やブルジョア政党そのものが、議会制度の名目と、 又実際には或る程度までの実質とにも拘わらず、そういう政治的形式とは独立に、 自由主義ではなくて他のものになっている。 これは云わば議会制度を採用した処の一瞬のファシズムなのである。・・ にも拘らず現下の日本では、この立憲的ファシズム全般をなお「自由主義」のものだと 考えている。そこに大きな錯誤があるのだ。・・・ 現在の自由主義の第三の理論的動機は、文化上の自由である。 これを仮に「文化的自由主義」と呼ぼう。 これは文化の進歩発展、ヒューマニティーの発揚、人格の完成、等々の内に、 自由の最後の哲学的根拠を見出す。・・・ ・・そしてこれに平行し得る各種のブルジョア観念論哲学(西田哲学・人間学主義・その 他)が またそれだ。ニーチェやキルケゴールやハイデッガーも日本では、 ファシズム哲学としてではなく、 正に文化的自由主義の哲学として受け取られているのを注意すべきだ。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーー 次に「ファシズム」については次のように述べている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーーー ・・一般にファシズムは独占・金融資本の必然的な社会的政治的体制なのであって、 現実的には、大ブルジョアジー自身(従って又大地主自身)の利害を代表するものであり、 その限り地主・ブルジョアをその地盤とするのではあるが、 しかし一般にファシズムに特有な一性質として、 この現実的な地盤がその観念上の地盤とは社会層を異にしているのだ。 それでこの一種の政党的ファシズムは、普通選挙に見られるように、 平均的な(政治的知能に於ても平均的な)中間層の利害を代表するかのように、 中間層自身によって考えられている処のものなのである。・・・ 政友会は周知の通りより多く地主的政党であり、民政党はより多く資本家的政党であるが、 その現実的な地盤を異にするに相応して、この観念的な地盤をもまた異にしており、 前者は農業人口中間層(即ちいわゆる「農村」)の、 後者は商工業人口(即ちいわゆる「商工業者」)の観念を選挙母胎にしている。 従ってそれだけファシズムとしての外貌に相違はあるのだが、 それは事実上大した相違ではない。 例えば一方が国体明徴(尤もこれはもっと他のファシスト層からの借り物だが)・ 積極財政(これも実は虎の威の威を借る狐だ)と行けば、 他方は国防・財政・産業の三全主義と行くだけの差だ。(1936年2月中旬の事情)。 第二のファシスト層は官僚ないし新官僚である。・・日本の官僚は(・・)封建的ないし 半封建的な勢力とブルジョアジーとの漸進的一致の線に沿って発達してきたもので、 今日これが純正ブルジョアジーに対する半封建的分子として頭を再びもたげて来たことが 、 いわゆる新官僚ということであり、それが官僚的ファシズムの政策に他ならない。 ・・・・ ファシズムの国際的共通性は、初め資本主義打倒のスローガンをかかげて 科学的社会主義に対する反対勢力を結成し、やがて次第にこのスローガンをぼやかし、 遂に全く反対な効果を有つスローガンにすりかえることだ。・・・ ・・・ 日本的ファシズムのイデオロギーを一時一等華やかに展開したのは、 右翼国粋反動的ファシズムであった。それにも拘わらず、初めこのイデオロギーは、 その一つ一つを取って見ても理論的に一向体系的真実を持ったものでもなく、 まして全体を統一した世界観の構造などは持っていなかった。 精神主義、農本主義、日本国民主義、アジア主義、東洋主義、その他々々に分裂して 帰する処を知らなかった。 処がこの勢力が外見上多少下火びなると共に、各種ファッショ団体の整理統一と併行して 、 やがてそのイデオロギー自身の統一化がもたらされた。 それは皇道主義を経て遂に国体明徴主義にまで帰着したのである。 ・・だがしかし、ここまで帰着して見ると、 これはもはやただの一つの言葉でしかないのであって、何等の体系的思想でもないという わけである。 ・・ただ吾々はこの際と雖も右翼思想団体のこの統一運動と併行して生じた処の、 右翼愛国主義的労働組合の発達を見逃してはならぬ。 日本産業労働クラブや総連合の動きがその例だ。 一体ファシズムは現実的地盤と観念的地盤とが喰い違っていて、 従ってそのイデオロギーは特別に観念的であり即ち又特にイデオロギッシュなのだが (もっと正当にはデマゴギッシュと云った方がいいかも知れない)、 処がそのイデオロギー自身が他の意味で凡(およ)そイデオロギーの 資格を欠いている。思想として現に何等の筋の通ったシステムを持てないのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そうして、戸坂は次のように述べている。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ー ・・では日本的ファシズムとは如何なる特色を有ったファシズムか(・・)。 ・・日本に固有な封建的残存勢力(・・)を基礎条件とすることによって 初めてその上にファシズムの一般的条件を打ち立て得た処のファシズム、 或いは、この封建的勢力がファシズムの形態を取った処のもの、 という風に概括出来るだろう。・・無論この日本ファシズムの一般的な分析を ここで企てる余裕はない、だがこれこそ、社会主義にとって明日からでも取りかからねば ならぬ 最大の実践課題なのだ。この課題が前に云った自由主義の進歩性の検討という課題と 直接に連絡していることは、のべるまでもない。 つまりそこに自由主義とファシズムとの現実的な関係があるのだ。 そしてこの関係づけにこそ、今日の日本の科学的社会主義の、何より実践的な 課題があるのだ。 反ファッショ共同戦線、ないし戦線統一の問題がそれで、 労働運動に於ても文化運動に於ても、この政治的な課題は少しずつ社会主義的に 解決されて行きつつあると見るのが、最近のこのいわゆる反動期における 一種の進歩性に就いての理解ではないかと思う。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー そして最後に以下のようにこの本を結んでいる。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 今日は反動期だと云う。マルクス主義も自由主義さえも退潮した、 日本はファシズムの世の中であり、又ファシズムへの道が唯一の残された方向だ、 などとも云われる。 だがそれは全く皮相で卑俗な通念だ。社会主義はこういう機会を利用してこそ、 思想運動としての深度・身近さ・大衆化の素地を養うのだ。 この素地を俟(ま)って、社会主義の政治的出発はいくど新たにされてもいいのである。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 戸坂潤はその後、「唯物研究会」(1932〜1938)で指導的な役割を果たし 自由主義やファシズムと闘ったが、1938年治安維持法違反で検挙され、 1945年8月9日に長野刑務所で亡くなった。 しかし、この『日本イデオロギー論』は、今でも、 私たちが現在起きていることを理解し、行動する上で、 きわめて重要な示唆、指針を与えているのではないだろうか。 ************************************************************ 「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス https://houinet.livedoor.blog/ 千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ http://hinokimitcb.web.fc2.com/ 「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト http://hinokimi.web.fc2.com/

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