

朝ドラ「あんぱん」が26日終了した。中園ミホの脚本、今田美桜、北村匠海らの熱演に拍手。「虎に翼」に劣らぬ秀作だった。
手塚治虫の「ながい窟」を読むために京都国際マンガミュージアムを訪れた際(21日のブログ参照)、手塚の関連本を眺めていたら、手塚の死を悼む「朝日ジャーナル」臨時増刊号(1989年4月20日発行)があった。その中にやなせが寄せた短い言葉があった。
「もし彼が漫画家というレッテルでなかったら、文化勲章はもちろんとしてノーベル文学賞を受賞していたはずだ」
手塚に対するやなせのリスペクトがうかがえる。
一方、今月15日付の京都新聞で、やなせたかし門下の永田萠さん(イラストレーター)がこんな回想をしていた。
<才能があるのかないのか自分でもよくわからない若い人たちに、どうして「チャンス」を与えてくださったのか?といつかやなせ先生に尋ねたことがある。するといつものお茶目な口調で言われた。「萠さん、ボクの人生で一番不幸なことは何だったと思う?」。奥さまが先立たれたことかと一瞬考え口ごもっていると、ニッコリ笑って「それはね。同時代に天才・手塚治虫がいたこと!」。そして続けて「だからボクは、売れないヒトの悲しみがよくわかるんだよ」>
「人生で一番不幸」とは独特のレトリックだろうが、手塚に対する複雑な思いがうかがえる。
やなせが編集長をつとめた雑誌「詩とメルヘン」の編集者だった梯久美子さんが『やなせたかしの生涯』(文春文庫2025年3月)の「あとがき」でこう書いている。
<忘れられないのは、先生の「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」という言葉です。
誰もが認めるすばらしい作品を世に出すことよりも、身近な人に親身に接し、地道に仕事をして、与えられた命を誠実に生き切ることのほうが大切だ―それが先生の考えであり、生き方でした。>
「天才であるより、いい人であるほうがずっといい」。この言葉には、温厚な人柄のやなせの胸の奥で燃え続けていた手塚へのライバル心がうかがえる。
「正しい戦争なんてあるわけないんだ。そんなのまやかしだよ。まやかしの「正義」のために敵も味方も仲間も大勢死んだ」
「あんぱん」の忘れられない名言であり(6月29日のブログ参照)、やなせの持論だった。
一方、手塚もこう言っている。
「どんな国も、それぞれの“正義”をふりかざして戦争をしてきましたし、いまもしています。“正義”とはじつに便利な言葉で、国家の数だけ、あるいは人間の数だけあるとも言えそうです。
そのごたいそうな“正義”の中身は、老人から無垢の赤ん坊までに至る理不尽きわまりない殺人行為になることもあるということです」(手塚治虫『ガラスの地球を救え』光文社知恵の森文庫1996年初版)
「天才」にはなれないけれど「いい人」には努力すればなれるかもしれない。やなせの言葉・人生はそんな希望・力を与えてくれる。
だが、やなせはただの「いい人」ではなかった。そして手塚もただの「天才」ではなかった。二人の人生はともに、「逆転しない正義」・真の平和を希求する熱い思いに貫かれていた。ふたりはライバルであり、同志だった。その思いにこそ学びたい。