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LNJ Logo ひょうたん島研究会:「教員」を忘れてもらっては・・・
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ひょうたん島研究会・TT(高木@千葉高退教)です。
すべての友人の皆さんへ。
以下の雑文を書いたので紹介します。
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          「教員」を忘れてもらっては・・・
                    T.T.0750(ひょうたん島研究会)
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 昨日9/6(土)午後発売の『日刊ゲンダイ9/8号』のコラム「ビジネスマン必読/
週末オススメ本ミシュラン」が面白かったので紹介する。今回の筆者は佐高信さ
んで、取り上げた本は、『昭和二年生まれの流儀』(城山三郎・吉村昭著、中央
公論新社)。ぼくは「元号嫌い」なので「昭和二年」と見た途端に「1927年」に
翻訳してしまうが、以下で言いたいこととは直接の関連はない。今回の見出しは
「昭和は『古き良き時代』だったのか」ーーこの「昭和」は翻訳のしようがない!ーー
で、以下、佐高さんの「評」から、いくつか紹介する。
┌─────────────────────────────────┐
│ 「古き良き東京なんてありませんよ」ーー。                         │
│ ある雑誌で編集長に「古き良き東京についてお話ください」と頼まれた吉│
│村昭は、即座にこう返したという。そして続けた。                     │
│ 「人間って過去を美化しますからね。あの頃は戦争があって、医学も今ほ│
│ど進んでなくて。当時の幼児の死亡率が二五パーセントなんですよ。みんな│
│疫痢とか赤痢で、三つか四つで死んでしまう。抗生物質がないんだもの。母│
│親はみんな嘆いたものですよ。そういうことを考えると、何が良き時代だと、│
│ばか言うんじゃない、と思う。」                                     │
└─────────────────────────────────┘
 同感です!
┌─────────────────────────────────┐
│ 「城山さんと僕が生まれてから終戦を迎えるまでの十八年間はまさに戦争│
│の連続だったわけでしょう。満州事変、上海事変と戦争の熱気がもう日常的│
│だったから、僕らには違和感というものがなかったんですね」(略)     │
│ その後の吉村と城山のヤリトリを引く。                             │
│ 「第一、軍人が威張ってどうしようもなかったでしょう」             │
│ 「軍人が威張る、警官も威張る、町の警防団長も威張る」             │
│ 「鉄道員まで威張る」                                             │
│ 「愛国婦人会も会長も威張る。在郷軍人会も威張る」                 │
└─────────────────────────────────┘
 ここまでで「威張るシリーズ」は終わりです。ここまで読んでぼくは「大事な
人たちが抜けている」と思いました。「答え」はもうバレていると思いますが、
そう、もちろん教員です。
 実はこの雑文の見出し、最初は、「『教員』を忘れてもらっては困る」と書こ
うとしました。でも、よく考えると、別に困ることはないと思いました。ただ、
「事実して忘れてはいけない!」とは思っています。(25/09/07午前)

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