
北海道大学で、今月29日に、保坂正康氏の講演会が予定されている。「歴史をどう引き継
ぐかー戦後80年と昭和100年の視点」。既に会場参加は700人以上の申込みで締切り、オン
ライン参加のみ可能という
[1]。
東京でも、前日の28日に、「「昭和100年」に対峙する歴史認識を」と題して、山田朗氏
の講演会が予定されている。(文京シビックセンター4F ホール
18:30〜)
また、先日、小さな集会に参加するため、ある「子どもの本」の店に行ったら、ドアを開
けた所に、「昭和100年」と書かれた色紙が掲示されていて、こんな所にまでと、少々驚
いた。
昨年12月には、「「昭和100年」関連施策関係府省連絡会議の開催について」という内閣
総理大臣による決裁がなされ[2]、
年明けの同連絡会議では、各種関連施策(キャンペーン)推進の方向づ
けが、具体的に例示されている[3]。
そもそも、なぜ、「昭和100年」なのか。
「昭和」という、天皇の在位によって区切られた時間は、1926年〜1989年の64年間に過ぎ
ない。この時間の中で、1945年までの20年間は、アジアを中心に、太平洋の島々に及ぶ、
大日本帝国による軍事侵略と占領•支配の時代だった。その最高責任者こそ、大元帥とし
ての天皇裕仁だが、敗戦後は、米国の占領政策により、無答責として扱われた。その代償
の一つとして、米国に「沖縄」が差し出された。こうした経緯の中で、敗戦後は、一方的
に「神」から「人間」に変身し、血塗られた過去を消去、リセットしたのだった。
やがて息子や孫にも恵まれ、平和を愛する温和な「人間天皇」として、何の抵抗も受けず
、皇位を維持し、1989年1月の死まで、一切の戦争責任を取ることもなく、たまに問われ
ることがあっても、「そんな文学のあやは分かりません」と、知らぬ存ぜぬを演じ、家族
に囲まれて、生きながらえたのだった[4]。
これが、「昭和」の時代だが、戦争責任も、戦後責任も、何一つ果たされぬまま、幕引き
にされたのだった。その100年とは、その無責任のまま終了された「昭和」の64年間を、
あらためて問い糺すきっかけにすことの他に、どのような意義があるのだろうか?
保坂正康氏には、自らが大学生として闘った、60年安保闘争からの65年間について、その
思想的変遷を、天皇の時間に重ねて、語る言葉をお聞きしたいものだ。
(小泉雅英 2025/4/22)
参考↓
[1]保坂正康氏講演会案内 (北大)
https://www.hokkaido-np.co.jp/event/67123/
[2]「昭和100年」関連施策関係府省連絡会議の開催について (内閣官房 2024/12/20)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/syouwa100nen/index.html
[3]「昭和100年」関連施策の推進について (連絡会議 2025/1/17)
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/syouwa100nen/pdf/suisin.pdf
[4]天皇裕仁の公式記者会見(映像)
https://youtu.be/-6YxteCeUOA?si=xEoHy0-Vy2v1dfe9
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Last modified on 2025-04-22 17:44:59
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