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LNJ Logo キノ・キュッヘ開店33周年パーティ ~ 胸に響いたアジアの歌姫・李政美さん
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小泉雅英

 先週の日曜日(11/16)は、久しぶりに国立に行き、木乃久兵衛(キノ・キュッへ)開店33周年記念パーティーに参加した。この店はこれまで、「エスパシオ映画研究会」など、主に映画関係のイベントに参加し、愉しく、有意義な時間を過ごさせてもらっている。その中で、幾人もの知己も得た。二十代の一時期を除き、独りで飲み歩くという習慣がないので、こういう店で、誰れ気兼ねなく話せ、ゆっくり呑めるのは嬉しい。普段あまり観る機会のない映画を観て、映画批評家でもある小野沢稔彦さんの解説を聴き、参加者で感想などを語り合うという時間が、とても愉しい。その他にも、老人決死隊(大谷蛮天門&関谷泉)の芝居を観たり、「花岡事件」についての映画と講演や、中国•朝鮮侵略の痕跡である「万人坑」の見学ツアー報告を聴いたりなど、店主(佐々木健正さん)の筋の通ったイベントが開かれ、多くを学び、その後の懇親会など、愉しい時間を過ごさせて頂いている。「満洲」の古い映像を観せてもらった時には、「中帰連」関係の方や、「残留孤児」二世の方々と初めてお会いし、呑みながら、ゆっくりお話もできた。その他、この店で出会えた人(こと)も多く、あらためて感謝をお伝えしたい。

 さて、この日のゲストは、アジアの歌姫・李政美(イ ヂョンミ)さん(写真)と、キーボードの竹田裕美子さん(キンちゃん)。開演前に、オーナーのお連れ合いの岡本ちゃんの三線と、琉球古謡(おもろそうし)を聴く。歌詞は殆ど解らないものの、独特の節回しと三線の音色が、遠き琉球の世界を彷彿とさせ、魅き込まれる。

 政美さんのLIVEは、初っ端から大好きな『京成線』で始まった。この歌は誰もが認める名曲だと思うが、これは日本人である私が、簡単に「名曲だ」と言って済ませられぬ、重い歴史をベースにした歌なのだ、とあらためて思った。演奏前の語りの中で、若い頃、自らの生まれ育った町が、嫌でしょうがなかった、といった話を聞いていたせいもあるが、今回、この歌を聴きながら、実はこれは「在日」として生きる作者の、深い歴史的悲しみと、現在から未来に向かう決意を歌っているのではないか、というように感じた。最後の「京成線に 乗って帰ろう この町もまた ふるさと」というリフレインが、切なく、胸に沁みる。

 この『京成線』をはじめ、今回のLIVEで歌われた十数曲は、どれも素晴らしく、ヂョンミさんの歌声を聴いているだけで、幸福な気持ちに満たされるのだが、その中でも、特に胸に響いた数曲について、記しておきたい。(と言っても、徐々に酒がまわり、ヂョンミさんが、せっかく解説してくださったのに、アリランが何処にあるのか、アラランはどんな娘だったのかさえ、今や朧ろ。記憶違いはご容赦。)

 先ずは、ボブ•ディランのForever Youngに、アーサー•ビナードさんが、「はじまりの日」として訳詩をつけたもの。強い父親が息子に諭し、祈りながら励ますような、渋いディランの声では、そこまで分からなかったが、ビナードさんの柔らかい日本語と、優しく、伸びやかなヂョンミさんの歌声に乗せられ、この詩の持つ意味が開かれたようで、胸に響いて来た。ほんとうに素晴らしい歌だ。機会があれば、もう一度、聴きたい!

きみが 手をのばせば
しあわせに とどきますように

きみのゆめが いつか
ほんとうに なりますように

まわりの 人びとと
たすけあって いけますように

星空へ のぼる
はしごを 見つけますように

毎日が きみの はじまりの日
きょうも あしたも
あたらしい きみの はじまりの日

(後略)

 次の「フクシマ3•11」に関わる曲『ふくしまの春』は、Jazzピアニスト板橋文夫さんの作曲(作詞は金子友紀さん)の小さなバラード。かつて当たり前のように在った風景。海岸や、浜辺や、町の賑わい、子どもたちの歓声。そこでの暮らしと故郷(ふるさと)。それらすべてが失われ、今はただ夢の中にあるのか。ヂョンミさんの歌い上げるこの曲を聴き終えて、なぜか静かな感動を受け、ふり向くと、隣の席の女性と顔を見合わせた。そして、「良かったね」と、うなずき合ったのだった。

 その後の『三文オペラ』は、どんな歌だろうと思ったが、飛び出して来たのは、おもちゃ箱をひっくり返したような、とてつもなく楽しい曲だった。ヂョンミさんの歌だけではなく、キンちゃんの多彩なピアノも、跳びはね、冴えていた。まさに音がダンスしている、そんな音楽だった。クルトワイルの曲がこんなに楽しいものだとは、全く知らなかった。ほんとうに素晴らしい。

 『三文オペラ』の戯曲は、1970年代末に、岩波文庫版(千田是也訳)で読んだのだが、実際の芝居を観る機会がなかった。言葉で想像する他なかったが、それほど魅かれなかった。今回、初めて芝居の一端に触れた思いで、こんな楽しいものとは、分からなかった。いつか芝居も観てみたい。今にして思えば、私のブレヒト像は、長谷川四郎の『中国服のブレヒト』経由で、クルトワイルの音楽に触れることはなかった。長田 弘の『アウシュヴィッツへの旅』には、同時代のベンヤミンの死はあったが、ブレヒトは居なかった。ヂョンミさんとキンちゃんを通して、『三文オペラ』のクルトワイルに触れることができて、とても良かった。

 この後の『ひでり』は、チャングの力強い伴奏で、昨今の暗い気分も吹き飛び、元気づけられた。定番の『アリラン』は、ヂョンミさんの解説で、理解が深まったが、朝鮮各地で歌われる『アリラン』は、それぞれ曲調も違っているのに、どこでも「アリラン」が人々を結びつけ、気持ちが合わさるのは、この歌の普遍性を物語っているのだろう。朝鮮民族として、歴史的に蓄積された「한(ハン/恨)」が、この歌の中で一時的に解放(実現)されるのだろうか。

 そう言えば、何十年も前に、朴寿南さんが16mmフィルムを持って来て上映された、『もうひとつのヒロシマ』を観たが、「アリランのうた」とサブタイトルが付いていた。南の島で楽に暮らせると騙され、朝鮮半島から渡嘉敷島に送られて、日本軍「慰安婦」にさせられた、ペ•ポンギ(裴奉奇)さんを取材した作品も、『アリランのうた――沖縄からの証言』と題されていた。また、これも半世紀前に読んだものだが、革命家•キムサン(金山)の伝記物語も、『アリランの歌ーある朝鮮人革命家の生涯』(松平いを子訳 岩波文庫)と題されていた。(原著は"Song of Ariran:A Korean Communist in the Chinese Revolution" by Nym Wales(Helen Foster Snow) and Kim San)。さらに、朝鮮からの渡来人など、古代史のことをたくさん教えて下さった金達寿(キム•タルス)さんも、その半生記を、『わがアリランの歌』と題していたのだった。「アリラン アリラン、アラリヨ♪」

 この日のフィナーレは、参加者全員で、キム・ミンギさんの名曲、『朝露(アッチミスル)』を合唱した。この歌を初めて聞いたのは、韓国スミダ電機の労組が、日本への遠征闘争をした時で、その連帯集会で、韓国の労働者たちが歌い、日本人の参加者も、声を合わせている人もいた。この日、初めて韓国の若い労働者たちの発言を聞いたが、なぜかパキパキした、歯切れの良い、力強い言葉だと感じた。今回は、カタカナの歌詞が配られていたので、それを見ながら、何とか『アッチミスル』を歌った。ああ、たとえ1年でも朝鮮語(韓国語)を勉強していれば、こんな時、大きな声で、「チンジュポダトコウン アチMイスRチョロM」と歌えたのに(残念!)

 そうだ、もう一曲。これがアンコールだったと思うが、『人生の贈り物〜ほかに望むものはない』という曲が歌われた(ヤン ヒウン/楊姫銀作曲、さだまさし作曲)。この歌を聴いたのは初めてだったが、素晴らしい曲だった。『関白宣言』で、さだまさしを批判する人は多いが、この『人生の贈り物』を聴いて、彼を見直す人もいるだろう。恥ずかしいことに満ちた青春時代を過ごした方も、今や立派な「コーレイ者」。この歌を聴くと、じんと胸に沁みる人も多いに違いない。

もしももう一度だけ 若さを 

くれると言われても 

おそらく 私はそっと断るだろう
若き日のときめきや迷いを  

もう一度 繰り返すなんて 

それはもう望むものではない

それが人生の秘密
それが人生の贈り物

来年も、キノ キュッヘで、再会しよう!

(2025/11/21)


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