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きちんと生ききった人生〜まるでドラマの三時間「笠原眞弓さんを偲ぶ会」

堀切さとみ

 10月4日、「笠原眞弓さんを偲ぶ会」が行われた。ギャラリー古藤は30人を超える人でいっぱい。安保法制に反対するママの会、有機農業映画祭、レイバーネット、市民運動や消費者運動と人たち。
 三カ月たっても、亡くなった気がしない。そう思っていたけど、この会によってますます笠原さんが近くなった。

 「献杯を頼まれたけど、どうやったらいいのかチャットGPTに教えを請うた」という農業ジャーナリストの大野和興さん(写真上)に始まり、集まった人たちの話はどれもこれも面白い。
 「笠原さんは何百本もの映画批評を書いてくれたけど、締め切りを守ったことがありませんでした」「編集者だったのに、最期の校正で自分の名前を間違えてた」「笠原さんのようには生きられないと思うし、生きたいとも思わない」・・・涙の中にも笑いが絶えないスピーチが続いた。

 笠原さんは笠原さんの魅力は、言いたいことをズバッというのに憎まれないこと。自分がいいと思ったことをやる。簡単なようで難しい。抗がん剤で具合が悪くなった笠原さんは、活動できなくなるからといって抗がん剤治療をスッパリやめ、自分のやりたいことをやった。そのことを親族は理解しなかったようだ。その代わり、世代を超えた沢山の仲間や友達がいた。

 笠原さんと同世代の親友の二人が、緩和ケアでの最期の笠原さんのことを話した。「もう終わり、もうダメ」と手を握ってハッキリ言ったそうだ。自分の命が尽きるのを、きちんと伝えて死ぬ。何ということだろう。
 笠原さんはFacebookにも「来年は生きてないわよ」とか、よく書いていた。その割に元気そうだし、どこへでも出かけてくるので、まだまだ大丈夫だと思っていたのに。笠原さんはちゃんとわかってたんだ。
 死ぬのが残念だというのではないようだ。やり残したことが沢山あるという感じでもない。笠原さんはきちんと生ききったんだなあと思う。


*笠原さんが出演したレイバーネットTVのダイジェストを上映

 三時間、まるでドラマをみているようだった。過去のことを語らなかった笠原さんの人となりが、みんなの話からくっきりと浮き上がってくる。こんな追悼会があるんだな・・・。
 比較的若い、ママの会のメンバーは泣きじゃくっていた。もらい泣きしそうになっていたところ、高市が総裁選を制したとの情報が入る。


*ジョニーHさん、追悼ソング「アクティブ・クィーン」を歌う

 今年の春。笠原さんは、自分が企画したレイバーネットТVの打ち合わせに入院先から参加した。「お願いだから私が言うとおりにやってよね」と苛立っていた笠原さん。あの時の軍拡反対、農業問題の放送。よかったでしょう?
 これからは空の上で、アタフタしている私たちを面白がりながら見守ってください。

●死者が生者を結びつける・・・永田浩三さん(FBから/写真下)


 今年7月に亡くなられた笠原眞弓さん。享年82。笠原さんを大事に思う方たちが、ギャラリー古藤に結集する。手作りの小規模の偲ぶ会。奇跡のような3時間。二次会も盛り上がる。故人の人徳とは、こういうものだと思う。死者が生者を結びつける。笠原眞弓さん、ほんとうにありがとうございました。

●あの時ほんと楽しかったね・・・根岸恵子さん(メッセージ)

 もうずいぶん前に、「私死んじゃうの」と私に告げたことがありました。その時は真面目に取り合わなかったけど、後で病気のことを知りました。それで楽しい思いをして欲しくて、新年会を企画しました。その新年会は何年か続き、ある時誘ったカメルーン人の友人と笠原さんは親しくなって、彼の家にカメルーン料理をご馳走になりに行ったりしました。笠原さんはとても嬉しそうな顔をしてました。あれからなんも経ったけど、あの時ほんと楽しかったね。

●笠原さんの思い出・・・柴田武男さん(メッセージ)

 笠原さんとの出会いは、レイバーネットの会議です。松原さんの強面の司会にもかかわらず、みんなが好き勝手喋る進行にまず驚かされました。もっと、驚いたのは、いつの間にか話がまとまって終わったことです。みんな勝手に喋ったのにこれでまとまったの、という驚きです。他の会議でも同じでした。なんでこんなことが起きるのか、不思議なことですが、何となく分かってきました。好き勝手喋る中で笠原さんが進行役で話しが前向きに進んでいくのです。笠原マジックかと思いました。

 個人的には、足尾銅山の事前調査に同行したことでの出来事があります。足尾銅山は鉱毒事件で悪名高いですが、朝鮮人、中国人の強制連行の酷い歴史があり、山中にひっそりと朝鮮人犠牲者の追悼の墓地があります。ハングルです。それを笠原さんは一つずつ読み解いてなんとも言えない哀しい表情をされてました。虐げられた人達への共感の想いが伝わりました。

●また会いましょう 笠原さん・・・高幣真公さん(メッセージ/写真右 2025年5月)

 笠原さんと私は同い歳でしたが、性格は対照的で公平で心の広い人でした。その一例は彼女が長い間障害のある子供たちに水泳を教えていました。また農業に関心が強く長くエコロジーの催しを主催しました。これらは私が関心の少なかった領域でした。彼女と親しくなったのは、レイバーネットの活動でした。レイバーネット・テレビで一緒に背景装置など裏方をしました。彼女の独創的なセンスに私は従いました。一方、彼女は川柳班の中心的な活動家でした。末端のメンバーであった私と対立する場面がありました。それは決められた期限を彼女が守らなかったからです。句集の編集長であった彼女は自分の納得いく内容になるまで期限を超えて推敲を続けたからでした。正しいのが彼女であることを私は後で理解しました。

 彼女と私は同じ船橋市に住んでいたので地域の政治活動も一緒に行いました。衆議院選挙のための市民連合、オスプレイの木更津への配備反対、ペシャワール会支援、幕張メッセでの武器見本市反対などでした。私は党派的な偏見に支配されがちなのに対して彼女は忍耐強く市民運動を支え続けました。友人たちと新年会や飲み会など個人的な付き合いも楽しかった思い出です。

 最後に連帯したのはガン闘病でした。彼女は長く乳腺ガンを闘い続けていました。私が3年前に咽頭がんが見つかり、さらに今年大腸がんを手術しました。彼女に生き方や闘病に学びたいと教えを乞いました。彼女はフェイスブックに日常の闘病に関する日々の切実な告白をしていました。そこから決してガンに負けない彼女の明るさと生きる執念を知り、私は励まされました。

 天国の笠原真弓さん、そちらで語ったり、美味しいものを食べたり自由に活動しているでしょう。私も間もなくそちらへ参ります。また一緒に楽しみましょう。


Created by staff01. Last modified on 2025-10-06 17:44:53 Copyright: Default

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