| 8.9ナガサキー新宿「路上大学」で被爆体験を学ぶ | |
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8.9ナガサキー新宿「路上大学」で被爆体験を学ぶ学童支援員 那須研一被爆80年の夏。職場で昼食前、20数名の小学生たちに訊いてみました。「今日、8月6日は何の日か知っていますか?」(広島に原爆が落とされた日、の声) 「そう、80年前の今日、アメリカ軍によってヒロシマに原爆が落とされて、一瞬で何万人もの人が亡くなりました。そして今、原爆と放射能の後遺症を抱える人が約10万人。当時5、6歳だった人は今、85、6歳。ずっと体の障害や白血病などの病気と闘っています」 「原爆のことを、核兵器、と呼びますが、今、地球上に1万数千発の核兵器があります。戦争や原爆は過去の話ではありません」 「これは、図書館から借りた『はだしのゲン』という漫画です。原爆で家族を失った男の子の物語。残酷な絵があるので、今すぐ読んでください、とは言いません。でも、大事なことが描かれていますので、いつか手に取ってくれると嬉しいです」 敗戦から10数年後に地方都市・長岡に生まれた私は小学校で「平和教育」を受けましたが、その中心は「長岡大空襲」「ヒロシマ・ナガサキ」の被害。私の話にも、日本の加害の事実が欠落しています。 新「児童館・学童クラブ運営指針」は、児童の人権重視を謳い、職員研修では「児童に対して人権の啓発を」と要請されますので、子どもの貧困問題やガザ虐殺の話をする機会はありますが、 天皇制軍国主義が2000万のアジア人民を死に至らしめた史実を学ばずして、進行中のジェノサイドと差別排外主義を止める力は生まれないのではないか。そんなことを思いながら、9日夕、「路上大学」に臨みました。レイバーネットメンバーの植松さんらが主催する公開自主講座です。
今回の講座、前半のテーマは在日朝鮮人被爆問題。「朝鮮半島に対する植民地支配により仕事を失った人を日本政府は徴用して長崎の炭鉱や軍需工場で強制労働させ、被爆させた(総数2万人、うち、死者1万人?)。そして8.15、在日の被爆者に対して、帰国してよい、と放り出しました。何の補償もせずに」と主催の古川さん。 配布資料=新海智弘さんの論文「長崎原爆と朝鮮人、中国人被爆者のまなざし」に、除正雨さんの体験談。慶尚南道の農家に生まれた除さんは1943年、14歳の時に「徴用」。釜山から下関に連行され、長崎の「軍艦島」の炭鉱で過酷な労働。リンチも受ける。1945年夏、被爆。彼の発言。 「原爆のおかげで戦争は終わったし、韓国、朝鮮人は解放されたのではないか。もし原爆が落とされていなかったら、まだ戦争は続いていたはずだ。そしたら私自身も強制労働によって死んでいたかもしれない…一時も早く自由になりたかった。国に帰りたかった。原爆が落ちて日本が降伏した時は本当にうれしかった」 自らも原爆の後遺症で50年苦しんだという除さんのこの発言の重さを真摯に受けとめなければなりません。 後半は『祭りの場』の朗読。14歳の時、長崎市の三菱兵器工場で学徒動員中に被爆した林さんの体験に基づいた作品です。3人の女性が順に「声に出して読みたい箇所」を音読。8.9長崎の描写と心情の吐露。その中で私は「女子挺身隊」の少女たちの姿に強い衝撃を受けました。13、4歳の彼女たちは「私」の工場近くの原っぱで壕を掘らされていたのです。 「原っぱは閃光で一瞬に消えた…女子挺身隊の少女たちもモップ状になって立っていた。肉がしたたって、はちゅう類のように光った。小刻みに震えながら、いたかねえ、いたかねえ、とおたがいに訴えあっている」 私が日々接している児童たちも、同様の残虐な不意打ちをくらい、変わり果てた姿になっても、絶命の直前まで同様のことばでお互いに痛みを訴えるだろう…胸が詰まります。 帰宅後、同書を通読。広島での被爆体験を詩的散文に昇華した原民喜の『鎮魂歌』とともに、日本社会において広く共有されるべき作品です。 「路上大学」は、日本の加害責任を問い、植民地主義を糺す、稀有の学びの場。多くの人の参加を期待します。 Created by staff01. Last modified on 2025-08-12 12:24:17 Copyright: Default | |