【シネクラブ報告】『山谷』は失われた30年の原点だった | |
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堀切さとみ
「むかし観たけれど、今また観てみたくて」という人も多かった。
この日は「山谷上映実行委」の小見憲さんが来てくれた。 私は今年の二月に泪橋ホールで観たばかりだったが、今回、全然印象が違うことに驚いたと言うと、小見さんは「そうそう。この映画は観るたびに変わるんですよ」と、悪戯っぽく笑っていた。
特に印象的なのは、山谷だけが登場するのでなく、寿町や釜ヶ崎、名古屋の笹島や博多の築港、さらには炭鉱まで出てくることだった。何人かの人も「こんな場面が出てくるなんて、記憶になかった」と言っていた。 【小見さんの話】
明確なナレーションに比べ、労働者の声は聞き取りにくかった。わかりにくかったという声もあったが、労働者たちの表情がよかったという感想も。 バブルの少し前の1984年、横浜で中学生による浮浪者殺人事件が起きた。山谷労働者がケガや病気で担ぎ込まれた宇都宮病院は、精神病院への入口で、亡くなった労働者は大学病院で解剖された。足を痛めれば、それは即、死を意味した。 それにしても団体交渉の、越冬闘争や夏祭りの労働者たちの、何と生き生きとしたことか。労働組合が機能していた時代だった。 上映と討論が終わったのは夜9時を回っていた。二次会をやろうと駅前の「ガスト」に行ったら満席。それで駅の反対側にある、レイバーネットの事務所へ。ウナギの寝床のようなスペースに9名が集い、スーパーで購入した半値の総菜と缶ビールでカンパイ。劇団員や、夜間中学の映画を撮った人など、初めて参加してくれた人たちの話が面白い。何だか80年代にタイムスリップしたような、そんな楽しい夜だった。 Created by staff01. Last modified on 2025-07-12 20:41:49 Copyright: Default |