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美術館めぐり:「阿波根昌鴻 人間の住んでいる島」展 | ||||||
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志真斗美恵 第7回(2025.1.27)・毎月第4月曜掲載 ●「阿波根昌鴻 人間の住んでいる島」展(東京工芸大学 写大ギャラリー) 非暴力と写真―人間のドキュメント昨年、丸木美術館で本土における初めての阿波根昌鴻写真展が開かれた。今回、「阿波根昌鴻 人間の住んでいる島」展を、東京・中野で見ることができた。開催した東京工芸大学は、阿波根が撮った3600枚以上のネガフィルムを新たにデジタル化し、銀塩プリントも制作した。丸木美術館の展覧会を企画した小原真司はこの大学の准教授で、今回の展覧会の企画構成にもあたった。 阿波根の写真は、すべてモノクロ・66版で撮影された。正方形の画像がむしろ新鮮ですばらしい。帰宅後、もしかすると写真集がありはしないかと探したらみつかった。旧知の高岩仁から購入したのだろうか。1982年に阿波根が生前、唯一出版した写真集『人間の住んでいる島』(自費出版)だった。今回、そこに掲載された写真が、多数展示されていた。写真展のタイトルもそこからとられている。本の外箱いっぱいに、琉球言葉で「アメリカぬ花ん 真謝原ぬ花ん//土頼てぃ咲ちゃる 花ぬ清らさ//貧乏やぬ庭ん 金持ぬ庭ん//えらばずに咲ちゃる 花ぬ見事」が印刷されている。ルビが付され読めるようになっていて、英語も併記してある。 1945年4月、米軍が上陸し激戦となった伊江島は、島民の3分の1(約1500人)が犠牲になった。生き残った島民は慶良間諸島へ強制移住させられた。47年に帰島すると島の63パーセントが米軍の軍用地になっていた。一人息子を沖縄戦で失った阿波根夫妻もそのなかにいた。 阿波根の住む伊江島真謝(まじゃ)地区の農民は、「銃剣とブルドーザー」と言われた収用で、家が破壊され、焼き払われ、農地も奪われた。米軍は、懇願する農民を逮捕し、畑には鉄条網を張った。直ちに爆撃演習が始まった。農民たちはテント生活を強いられ、ついに餓死者まで出る。自宅も失った阿波根が、後に「沖縄のガンジー」と呼ばれる闘いが始まる。 1954年には陳情規定「一、アメリカ軍と話をするときには、なるべく大勢の中で何も手に持たないで座って話すこと。 一、耳より手を上げないこと。 一、決っして短気をおこしたり、相手の悪口は言わないこと。 一、うそ、いつわりのことを言わないこと。 一、愛情をもって道理をつくし、幼な子を教え導いてゆく態度で話し合うこと。」がつくられた。こうして臨んだ陳情だが、証拠がないといわれる。占領下での米軍の強制的な農地収容を証拠づけるために、阿波根は、那覇で二眼レフカメラを購入し、写真でたたかいを記録することにした。1955年のたたかいの写真が多く展示されていた。「乞食行進」という伊江島から沖縄本島に出てきての行脚(デモ行進)の写真からは、プラカートの文字が読める。To Americanと始まる英語も書かれた十字架の下での写真もある。 島でたった1台のカメラだった。今回の展示では、闘いを撮った写真群と向き合うように1つの壁面全部を使って、島の人びとの日常をとった写真が展示されていた。それらは写真集には入っていない。家族の記念写真でもあり、子どもたちもいる。私は、サルガドが撮った子どもたちを思い出した。サルガドは、ブラジル出身の写真家で、夫妻で来日した時に講演を聞いたことがある。彼は、アフリカやアジアの難民をモノクロで撮っていた。写真集『EXODUS』第5部に〈子どもたちのポートレート〉が載っている。伊江島の子や世界各地の難民の子どもらは、今、どうしているのだろうか。 阿波根にとってカメラは武器であった。〈この島に住んでいるのは人間であり、誰にも等しく人権がある〉と訴えたかったのだ。カメラを通して、鮮明にそして雄弁にそれがとらえられている。闘いの写真もポートレートも生き生きとしている。過去の記録とは思えない。いまも伊江島の35%は米軍基地でありオスプレイが飛んでいる。自衛隊の基地は離島にまで拡大している。沖縄の闘いは続いている。 昨春、本土ではじめて展示された阿波根の写真が、年末には立命館大学国際平和ミュージアムで、そして今、東京工芸大で展示されている。全国で展示されることを願う。 伊江島で、命までも失われることがあったことを、展示写真から分かった。だが彼らは、あくまで非暴力で闘い続けた。それを伝えるためにも、もっとキャプションを入れてもよかったのではないか。その点からも、阿波根の著書『米軍農民』『命こそ宝』(2冊とも岩波新書)をぜひあわせて読んでほしい。映画『教えられなかった戦争・沖縄編―阿波根昌鴻・伊江島の闘い―』(監督・高岩仁)を上映する機会をつくれないだろうか。 (1月31日まで 東京工芸大学 写大ギャラリー・地下鉄丸ノ内線・中野坂上駅下車) Created by staff01. Last modified on 2025-01-27 16:27:18 Copyright: Default |