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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『長い旅』(ルッジェロ・ザングランディ著)
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毎木曜掲載・第342回(2024/4/18)

イタリア・ファシズムを生きた若者

『長い旅』(ルッジェロ・ザングランディ著、サイマル出版会、1973年)評者 : 加藤直樹

 こういう場所で紹介するのは、誰もが入手可能な本であることが望ましいのは当然だ。しかし今回は、古本でもなかなか手に入らない本を紹介するというルール違反をしようと思う。どこかの出版社で再刊してくれないだろうかという期待もある。

 『長い旅』は、著者ザングランディがイタリア・ファシズム体制下で自らが経験した若者の運動を回顧したものだ。300ページを超える分量で、高校生だった1933年から逮捕される42年までの10年間を描いている。

 冒頭にイタリア共産党の指導者トリアッティの言葉が掲げられている。「ファシズムが青年たちのあいだで青年たちに向けて説いていた諸理念を信じたからこそ、この青年たちはかくも長い旅を始め、また終えることができた」。

 そう。ザングランディはファシズムの理想を信じる高校生として出発したのである。それは、ファシストが政権を掌握して10年が経つイタリアでは当然のことだった。

 今日、私たちは「ファシズム」を単に極右とか抑圧的な体制を指す代名詞として使っているが、1920年代から30年代にかけて登場したファシズムは、そう単純なものではなかった。例えばイタリアでは、それは資本主義を超える協同主義の革命として自らを描いていた。

 高校生のザングランディは、政府の宣伝どおり、「ファシズム革命」を「自由、正義、連帯、友愛の世界の実現」として受け取った。ムソリーニがどれほど血なまぐさい、醜い暴力によって政権を握ったのか、大人は誰も教えてくれなかった。著者も含め、若い世代は誰もグラムシの名前さえ聞いたことがなかった。

 ザングランディは「ファシズム革命」を前進させるためにこそ、大勢順応主義を否定し、社会と人間に批判的な目を向ける文学サークル運動を呼びかける。全国の高校生がこれに呼応し、大きな広がりをもつに至った。だが体制側はやんわりとこれを潰しにかかり、いったんはこのサークル運動は解散を強いられる。

 だが、この挫折経験はむしろ、彼らの批判精神に火をつけることになる。全国の高校生が互いの行き来や手紙のやり取りを通じてつくった通信網も消滅しなかった。彼らは注意深く慎重に交流と討論を続けるなかで、徐々に「ファシズム左派」的な政治性を帯び、さらに「ファシズム内反対派」になる。次第次第に体制の外へと思想的にはみ出していく。

 イタリアによるエチオピア侵略や、彼らが当時、「ファシズムの理想」に反すると考えた民族差別的なナチス・ドイツへの接近は、彼らを徐々に反体制運動化させていく。公認のファシズム青年団体のイベントに潜り込んで同志を獲得したり、ドイツ接近に反対するビラを密かにまいたりと、あらゆる機会を利用して批判的な視点を提起するようになる。各地で争議を闘う労働者たちとも連絡を取り合う。それは、彼らが社会の現実を深く理解していく過程でもあった。

 第二次世界大戦が近づくころには、彼らはついに自らを「共産主義者」と認識するようになり、戦争が激化する頃には地下組織「革命的社会党」を結成するに至る。

 高校生の文学サークルが、監視の目を逃れながら独力でここまで歩んだというのは、驚くべきことである。しかしその歩みは、模索と失敗、分裂の連続であった。

 「当時、政治とはファシズムのことであった。青年たちは武装解除され、ひとりの援軍も得られないまま、ファシズムを前にしていた」と著者は言う。彼らは、全てを自分たちで考え抜かなければならなかったのだ。

 著者は、ファシズム体制の誕生と延命に責任をもつ大人世代が若い彼らに何も教えてくれなかったこと、批判的な発言を何もしなかったこと、そのくせ戦後になって「実は戦争に反対していた」などと言い訳をしたことに対して、何度も失望と怒りを書きつけている。もちろんファシズム以前から体制批判を続けている大人もわずかには存在したが、彼らの言動は現実から遊離していたという。

 「革命的社会党」は、反戦ビラ30万枚を全国に一斉に発送しようとしたり(事前に発覚して失敗)、図書館の本にビラを挟んで回ったり、映画館や街頭で群衆を扇動して黒シャツ隊を追い詰める場面をつくることで政権のキャンペーンに一矢報いたりと、さまざまな巧妙な戦術を試みながら、全国的な地下組織網を作り上げていく。そして、いよいよ公然たる反ファシズム運動が現れる兆しが見えてきた1942年6月、著者を含む主要メンバーが一斉に検挙される。こうしてザングランディの「長い旅」はいったん、幕を閉じることになるのである。

 そのため、その後に始まるパルチザン闘争のなかに彼らの姿を見ることはない。もともとファシスト内の運動として始まった彼らの存在は、戦後も低く評価され、歴史の闇のなかに消えていった。 少し生意気な高校生たちの甘くほろ苦い友情物語が、次第に地下運動の物語へとスライドしていく。そのときどきの人間関係も織り交ぜつつ、詳細なディティールをもって語られる。そんな10年間の記録だから、とにかく無類に面白い。登場する仲間たちのエピソードは、苦く切ない余韻を帯びる。

 歴史のただ中では、あらかじめ結末が見えることはない。判断材料さえ少ない。そうした投げ込まれた歴史的現実の中で、人は模索し、選択する。そうした人びとの模索に触れることが、歴史に学ぶことなのだろうと思う。歴史的現実から超越して、天上から正しい道を示せる人など、一人もいない。いるとすれば、その人は歴史の部外者に過ぎない。ザングランディの10年間を記録した本書は、苦い味とともに、それを教えてくれる。私たちもまた、歴史的現実のなかで先が見えないまま生きているのだ。


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