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LNJ Logo 韓国映画『私のろうそく』上映をすすめる金整司さん /政治犯デッチ上げ、拷問の後遺症をこえて
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田中洋一

 韓国政治を揺り動かす市民の底力を韓国映画『私のろうそく』にみた。7年前、職権乱用と汚職まみれの朴槿恵(パク・クネ)大統領を権力の座から引きずり下ろすドキュメンタリーだ。手に手にろうそくを携えて集まった市民は、ソウル心臓部の光化門広場だけで何と200万人余。こんな市民パワーが日本にあるだろうか。

 この作品は今月11日に東京・中野で日本初上映された。中心を担った金整司(キム・ジョンサ)さん(68)は埼玉県出身・在住の在日韓国人2世。「韓国の学生と連帯し、朴正煕政権を倒したかった」。そんな志でソウル大学に入学した直後の1977年3月、下宿に踏み込んだ国軍保安司令部の捜査官に連行された。


*「私のろうそく」上映後のトーク、左端が金整司(キム・ジョンサ)さん(撮影:レイバーネット)

在日留学生をスパイでっち上げ

 整司さんは、日本で北朝鮮側の指導員の指令を受け、韓国で機密を探知したという政治犯にでっち上げられる。虚偽の自白を強要された当時の様子を、再審無罪の判決を得た直後に書き記した文面に見てみよう。文意を変えない範囲で書き改めた。

 −−取り調べ施設に連行され、捜査官はまず「出身から今日までのことを詳しく書け」。時間をかけて書き上げると、「お前は悪質だ。これでは罪にならない」と言って、拷問が始まった。

 最初に電話機のような機械を持ってきた。そこから電線を2本伸ばして(両手の)親指に巻く。「電話機」のハンドルを回すと、私はワーと悲鳴を上げた。電気が流れ、目の前で火花が散る。

 捜査官は私の手帳を持ってきて、詳しく尋ねた。「これは何だ? この数字は?」。答に詰まると、電気拷問が待っていた。

 水拷問もされた。両手を椅子にしばりつけ、仰向けにした顔の上に濡れタオルを被せて鼻をふさぐ。そして、やかんから口に水を注ぐ。あちこちから拷問の悲鳴が聞こえてきた。

 「金芝河をどう考える?」と聞かれた。影響を受けた詩人のことだ。「徹底した民族主義者だと思います」。そう答えると、うつ伏せにされ、背中から太ももまで棍棒でめった打ち。殴打の跡は真っ黒になり、1週間以上も(痛くて)便器に座れなかった。

 拷問にはもう耐えられない。捜査官が示す陳述書は、事実と全く異なる内容だが、そのまま書き写して署名し拇印を押した−−

 整司さんはソウル地裁で無期懲役、ソウル高裁では懲役10年の判決を受けて確定した(2年4ヶ月で釈放)。

捏造事件で金大中を陥れる

 この事件は金大中(第15代大統領)を死刑に陥れるために捏造された疑いが濃い。整司さんが渡韓前に会った在日同胞を韓民統(在日組織の韓国民主回復統一促進国民会議)の幹部であるとして、当局は韓民統を反国家団体に結びつけた。そして金大中を韓民統の議長とみなし、後に死刑判決を言い渡す。

 『金大中自伝』(訳書は千早書房刊)は記す。「彼らは『反国家団体首魁罪』に目を付けた。最高刑が死刑だったからである」

 でっち上げ事件から34年を経た2011年9月、金整司さんは再審無罪を勝ち取る。反共の軍事政権が民政に移り、人権意識の高まりで権力犯罪を清算しようとする勢いが根づいてきたからだ。

 在日韓国人2世で元千葉商科大学教授の金元重(キム・ウォンジュン)さん(72)に韓国社会の変遷を聞いた。捏造の学園浸透スパイ団事件で拘束された1975年10月にはソウル大大学院生だった。

民政移管で「過去事」委員会が発足

 盧武鉉(ノ・ムヒョン)政権下の2005年に「真実・和解のための過去事整理委員会」が発足したことを、元重さんは重視する。聞き慣れない「過去事」とは誤った出来事を指し、国家権力による理不尽な権力犯罪を含むそうだ。委員会は立法・行政・司法から独立した国家機関で、事案を調査し直し、責任を追求し、名誉回復を図るための措置を勧告する。

 元重さんの場合、委員会の調査官2人が韓国から来日し、東京で聞き取り調査が行なわれた。初めは乗り気ではなく、在日の仲間に再審を勧められても、「おれは調査はいいよ。もう終わったことなんだから」と尻込みしたそうだ。

 後に届いた報告書はしばらく放置しておいた。開封して驚いた。「中央情報部は捜査過程で過酷行為を行った蓋然性がある」と指摘している。過酷行為とは精神面も含めた拷問、と元重さんは捉えている。拷問は事件当時も違法だ。その上で報告書は「スパイ捏造の疑いがあり、再審に値する」と結んでいた。

 元重さんはこの報告書を基にソウル高裁に再審請求し、翌2012年に無罪が確定した。裁判長は最後に所感を述べた。「台無しにされた歳月はどのようにしても取り戻すすべがないことが残念でなりません……心に残ったしこりをこの判決で少しでも解くことができるならば、私も慰めとすることにしたい」。心を打つ言葉だ。

 過去事委員会は、保守系の尹錫悦(ユン・ソンニョル)現政権下でも活動している。革新系とせめぎ合いながら、だという。

 1970〜80年代に母国に渡った在日の何人が事件に巻き込まれ、政治犯にでっち上げられたのか。全体像は見渡せない。

 元重さんも関わった学園浸透スパイ団事件で、中央情報部は在日留学生ら21人を逮捕と大々的に発表した。他の事件も合わせると、「再審で無罪を受けた人は40人前後いる。その7〜8割は在日の留学生だ」と元重さんは語る。

30年を経て癒えない拷問の傷

 「在日の被害者は160人いると捜査官から聞いたことがある。うち40人前後が再審で無罪を勝ち取った」と語るのは整司さん。再審を申請していない人の所在地を割り出し、訪ねて行ったことがある。せっかく当事者に会えても、「拷問をもう思い出したくない。悪夢を見るようだ」と再審を拒否する人もいた。拷問を受けてから30年経っても、心の傷は癒えていない。


*記録に目を通し、声を上げる金整司さん(撮影:田中洋一)

 韓国のドキュメンタリー映画「私のろうそく」を整司さんたちが日本で初上映したと冒頭で伝えた。彼は次の作品を準備している。今年で生誕100年を迎えた金大中(1924−2009)の半生を描いた「道の上の金大中」で、韓国で年初に公開された。

 拷問の後遺症で、出歩くのが不自由な整司さん。「生きがいは韓国映画の上映」だと言う。母国である韓国社会の民主化は進み、「私はもう心配していない。心配なのは日本ですよ」。取材の最後にそう打ち明けた。

 なお、本稿は金孝淳著『祖国が棄てた人びと 在日韓国人留学生スパイ事件の記録』(石坂浩一訳、明石書店刊)に触発されて取材に取り掛かった。

<田中洋一メールマガジン「歩く見る聞く103」(2024年5月28日号)より>
*大見出しはレイバーネット編集部


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