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LNJ Logo 太田昌国のコラム : 誤用された名台詞「ブルータス、お前もか」
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 ●第91回 2024年6月10日(毎月10日)

誤用された名台詞「ブルータス、お前もか」

 インターネットは、ますます膨大で高度な情報化装置となってきている。私もここ30年有余、自分の技術的能力に合わせた狭い範囲内で、これを受信・発信装置として利用してきた。正直なところ、最近は「疲れ」を感じることもしばしばだ。利用して間もない頃、ちょうど2001年の「9・11」が起こった。米国で旅客機3機をほぼ同時刻に乗っ取った集団が、軍事・経済の中枢の建物に機体もろとも突っ込んだ、いわゆる同時多発攻撃のことである。この事件は何を意味するのか。私なりに考えて、すぐ公的な形で発言を始めた。インターネット空間での初めての戸惑いはこのとき起こった。事実を伝える単なるニュース報道は熱心に読んだ。同時に、ノーム・チョムスキーを初めとする、日頃から注目してその著作を読んでいる人びとの、この事件に関する論評も瞬時に受け取ることができたのだ。即日本語に翻訳してネット上に流す、「親切な」ひとも少なからずいた。自前で考える時間がほしいと思う時、情報伝達のこの瞬時性は好ましくない、むしろ邪魔だ、と思った。読んで共感を覚えないではない幾人かの発言に接した後、私は、事件を分析する論評的な文章からしばらく遠ざかることにした。単なる「報道」と、一定の信頼を寄せているひとの「分析」や「論評」とに同時的に接すると、自分なりの方法でその事態を「理解」しようとする時間と意欲を奪われるものだと悟ったからだ。その在り方を、それ以降できる限り貫こうとしてきた。

 それにしても、インターネットを媒介とする情報量は、今さら言うことでもないが、ヒューマン・スケール(人智の範囲)を優に超えている。SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の洪水に「疲れた心は、理解しようとする力をなくして噂の海を泳ぎはじめる」(吉本隆明「噂する 触れる 左翼する」、『言葉からの触手』河出書房新社、1989年所収)。どこに根拠があるのかもしれぬ噂話が、まことしやかに「拡散」し、「トレンド入り」し、一定の人びとの心を牛耳るに至り、果ては勘違いしたそれらの人びとがネット空間にも、「リアルな」街頭にも愉しげにあふれ出てくる空虚な光景をここまで見せつけられると、ひとは当然にも「疲れ」る。いや、自分だって、いつ、どこで、そんなふるまいをするかも知れぬという自戒からも自由ではないから、「疲れ」は加算される。人類史上の未踏の荒野に私たちは投げ出されているのである。

 昨今の「疲れ」は、別な方向からもやって来る。政治・経済・社会・軍事上の重大な事態・事件が、「さり気ない」貌つきで次々と起こる。事態の進行の早さと、その「さり気なさ」には、誰だって「疲れ」を感じないわけにはいかないだろう。支配的潮流に対する批判と抵抗の思想と実践に翳りが露わになったのはいつ頃からか。それは別途論じるとして、批判と抵抗が減ずれば、支配者側は緊張感を喪って劣化する。政治的には、安倍・麻生などが首相の座にあった時の、論理も倫理も欠いた諸々の発言を思い起こせば、そしてそれが社会の中で通用してしまったことを思い起こせば、劣化状況を振り返るには十分だ。多くの人びとが気づいているように、劣化はいよいよ社会全体に及びつつある。

 去る6月3日、国交省がトヨタ自動車など5社で、車の大量生産に必要な「型式指定」の手続きをめぐる認証不正があったと発表した。それを享けてトヨタ自動車会長の豊田章男が記者会見を行なった。「会長はどう受け止めたか?」と問われた会長は答えた。「正直、残念な気持ちと、ブルータス、お前もかという感じだ」。

 誰もが知るように、「ブルータス、お前もか」という台詞は、信頼していた人物に裏切られた時に、裏切られた側の人物が裏切り者に対して発する言葉だ。豊田会長は、不正工作を行なった(その意味では社長を「裏切った」と言いたげに)自社の担当部署の管理職と労働者に向けてこの言葉を発したのだろうか。「俺の顔にドロを塗りやがって」とばかりに。それは、社長の立場にある者の「おのが不明」を裏づけるだけのことで、やぶ蛇と言うべきだろう。公の記者会見の場なのだから、通常の感覚では、それは考えられない。すると、トヨタ車の顧客からすれば、それは製造元のトヨタの社長ではなくわれわれが言うべき言葉だ、ということになる。どちらに転んでも、その場にふさわしくない言葉を公然と使ったことになる。つまり、相当に恥ずかしい「誤用」と言わなければならない。世間的には「世界のトヨタの社長ともあろう者が!」という添えの文言も付けられるような。

 しかし、これはすでにありふれた光景だ。権力の座にある者の失言、暴言、誤用があっても、何事もなかったかのように、日常の風景に溶け込んでいくだけだ。ひとはもはや驚かない。それが、劣化した社会というものだ。この事態が発覚した同じ日、政府は九州地方知事会に対し、沖縄県の先島諸島5市町村住民のそれぞれの受け入れ先候補を示した。「中国が台湾に侵攻する台湾有事などへの懸念が強まるなか」(と新聞報道はいう)、避難民の宿泊先や移動手段の確保など初期的な受け入れ計画の策定を目指すのだという。私はたまたまこの会議の様子をテレビニュースで見た。官房長官はオンラインで参加しただけで、会議の現場は内閣官房の官僚が取り仕切っていた。その顔は、その表情は、その立ち居振る舞いは、かの森友学園事件に関わった財務官僚・佐川や、環境相を前にした水俣病患者の発言を持ち時間の3分が経ったからといってマイク音を切った同省官僚のそれに酷似しているように思えた。国家公務員でありながら、自分の上に立つと「誤解」している政府・首相・閣僚の方ばかりを向いて、自分の役割を自らの頭で「理解」することなどはなから放棄した者に共通の。

 戦争を阻止するための内政・外交の地道な努力をするのではなく、「戦争が始まるぞ」という「国民」に対する脅し文句で、Jアラートを発したり、「有事」の際の先島住民の避難先を確保するよう地方自治体に「協力を求め」たりする者たちが「政治」を司っている彼らは周到だ。今国会で審議中の/あるいは通過した「地方自治法改定案」も「食料・農業・農村基本法改定案」も、政府が「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態」と判断すれば、自治体に「指示権」を行使したり、花農家に芋を作れと命令できたりするための布石だと言える。

 冒頭から「疲れ」について書いたが、それを強調するのが、この文章の目的ではない。私個人はいま、過去の日々とは違って、年齢・身体・仕事上の事情が重なって、いままで大事だと考えてきた批判と抵抗の「現場」に日参するわけにはいかないから、心理的に「疲れ」が増すのかもしれない。もちろん「現場」は唯一ではないから、「疲れ」が由って来る所以を見極めて、その先へ進もうという思いでこれを書いた。  


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