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SNSとどう付き合うべきか?〜運動にとってのメリットとデメリット

印鑰 智哉(いんやくともや・食からの情報民主化プロジェクト)

 Twitter(現X)の出現はメディア史に残る事件だったと思う。人類史上、歴史的な成果を上げたメディアだったと言えると思う。もっとも同時にデメリットも。

 言語の壁(少数言語への圧力)はあるが世界が一つにつながることにより、情報共有が国境を越えて大いに促進された。以前であれば報道機関の報道や、大きな組織が出すプレスリリースくらいしか頼れなかったのが、プレスリリースにもならない、以前であればごく一部の人の中でしか共有できなかった情報も共有可能になった。

 たとえば、リオデジャネイロのファベラ(貧困地域)では軍警察と麻薬組織の癒着と抗争が問題になる。でも以前は得られる情報は軍警察の襲撃の翌日にファベラ住民が何人巻き添えで殺された、という新聞記事で知るしかなかった。でもTwitterの登場によって、それが住民によって実況中継され出す。それを知ったからといってすぐにその暴力を止める力に変わるわけではないけれども、情報は民主化のための力になる。

 大きな組織に閉じ込められていた人をその組織の呪縛から解き放ったことも大きかっただろう。モンサントに反対するグローバルな行進(March against Monsanto/写真)もSNSがなければ生まれなかった。この動きは大きな国際NGOが音頭を取ったのではなく、怒りを記した一人の女性のSNSへの投稿から始まった。

 僕個人にとっても大きかった。なにせ所属団体よりも僕個人のフォロワーの方がずっと多いのだから、団体の意向に左右されずに、行動することが可能になった。事態の変化に対応できない団体は特に日本には多い。団体を変えることの難しさの前に足踏みさせられているのがこの30年ほどの日本の姿のように思えてならないが、組織の呪縛から抜けることも可能にしてくれた。毎回数万の人につながる、シェアしてもらえればそれが数十万につながることもできるメディアなどかつてはなかっただろう。

 だけどもちろんメリットばかりだけではない。デメリットも当然存在している。一つのプラットフォームに依存すれば依存するほど、そのプラットフォームに左右されてしまう。特に世界の市民運動にとっては批判したい多国籍企業もTwitter(現X)社も同じ穴の狢なのだ。だからTwitterで多国籍企業を追及するのはどうにも限界がある。そして実際、Twitter側の多国籍企業批判に関する投稿への規制はひどくなっていく。

 だからこそ、SNSに依存しない独自メディアの重要性を考え続けてきた。社会を変える力を持つためには少なくとも100万人単位の人たちに届く必要がある。インターネットを活用したメディアであればそれも不可能ではない。

 もっともインターネット上で大きな影響力を持つ検索エンジンも同じ穴の狢である。GoogleはPageRankという仕組みを作り、参照数が多いページを検索順位上位にすることで、有効な情報を提供し、世界を席巻したが、そのPageRankも企業利益のために捻じ曲げられていく。

 たとえば「遺伝子組み換え」で検索してみればいい。以前ならば、それに批判的なページが検索の上位を占めていた。でも今、検索すれば政府や推進企業のものがずらりと並ぶようになってしまい、批判的な情報はなかなか出てこない。これでは批判的な情報を得ることは極めて困難だ。

 情報が得にくくなるだけでなく、発信も規制されていく。僕が書くTwitterの投稿は10年ほど前、読まれる数が突然激減した。フォロワー数は増え方は減ったものの増え続けているのに、投稿が表示される回数は桁外れに減った(数万から数百へ)。タイムラインをTwitter社が操作すれば特定のユーザーの投稿の表示回数を減らすなどというのは容易だろう。

 それに対してFacebookの規制はまだ緩やかであったように感じていたが、それも昨年11月に急変した。突然、投稿に反応がなくなったので、技術的なトラブルかと思ったほどで、反応は以前の3分の1以下に突然下がった(と思う。Facebookはページを作らないとアクセス統計は得られないので、「いいね」以外のアクセス数の正確な数はわからない)。僕の投稿は昨年11月以降、多くの人のタイムラインに表示されなくされているのだろう。

 そして、近年、報道機関の劣化も著しい。以前ならば少なくとも両論併記に務めていたメディアが一方的な報道をするばかりか、以前は両論併記として紹介されていた批判側の見解を、虚偽の情報として攻撃の対象とすることすら稀ではなくなっている。これはかつての戦前と変わりないのではないか?

 この最近の10年間の言論空間の萎縮は実に脅威的なものだ。国や巨大企業がすべて言論空間を牛耳れる状況が完成しつつあると言っていいだろう。まっとうなことを知ることがその方法を知らなければできなくなり、それを知ったとしても拡げることが困難になっている。

 このような動きに圧殺されずに、しっかり未来を考え、作り出す力を持つためにはどうすればいいか、まずはものを知る方法を共有することだ。どう拡げるかはさらに難しい。しかし、SNSは規制されたから捨てる、というのも正しい方法とは思えない。というのもそれを通じてしかつながることができない人たちはいるからだ。でも同時にSNSだけでは拡げられない事態になっている。

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 毎日、葛藤の中で情報共有の方法について悩んできたのだけど、今は、それ以前の前者、つまり情報の調べ方からもっと多くの人と共有することも重要だなと思うようになってきました。多くの人たちが自分たちで情報をつかめるようになれば事態は改善できるからです。それを4回連続の講座としてやっていくことになったので、関心のある方は以下のチラシを参照してください。
 そしてどうやって拡げるか、ということはこれは一人では解決できないので、今後、多くの人たちと模索していきたいと思っています。 (この記事は印鑰 智哉さんのFBからの転載です。)

↓*印鑰さんの連続講座・食のクライシスにどう取り組むか?


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