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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』
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毎木曜掲載・第308回(2023/7/27)

大事なものはお金にかえてはいけない

『今を生きる思想 宇沢弘文 新たなる資本主義の道を求めて』(佐々木実著 講談社現代新書 2022年10月 800円)評者:佐々木有美

 猛暑と豪雨、気候危機が日々実感をもって迫っている。今から30年以上前に地球温暖化問題に取り組んだ学者がいた。数理経済学者・宇沢弘文だ。本書の筆者は宇沢に師事したジャーナリストの佐々木実。2019年に大著『資本主義と闘った男 宇沢弘文と経済学の世界』を出版し、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞を受賞している。本書は、126ページの小編だが、人間の幸せのために経済学を探求し続けた学者の姿を、くっきりと描きだしている。

 1928年生まれの宇沢は一中、一高、東大と、いわゆるエリートコースを一直線に進んだ。しかし伯父が戦死したこともあり、戦中には稀有な反軍国少年だった。数学の天才といわれ、理学部数学科に属したが、戦後の飢餓と荒廃の中で河上肇の『貧乏物語』を読み、マルクス主義経済学に専心することを決意。しかし、その数年後、彼は近代経済学を志すことになる。筆者の佐々木は、その理由の一つに、市場原理を導入した新たな社会主義「市場社会主義」への関心を上げている。

 米国の俊英の数理経済学者ケネス・アローに送った論文がきっかけで、宇沢は1956年夏、アローのいるスタンフォード大学に研究助手として招かれる。28歳だった。その後の宇沢は、「二部門成長モデル」や「最適成長理論」を発表し一躍脚光を浴びた。1961年にケネディが大統領になるとケネス・アローやそのグループ(アメリカ・ケインジアン)は、大統領の経済ブレインとなっていく。当時アメリカはベトナムへの本格的な軍事介入を開始した。宇沢は仲間への不信感を強めた。

 1964年、宇沢はシカゴ大学に教授として迎えられた。当時のシカゴ大学は、ミルトン・フリードマンを中心に、後に世界を席巻する市場原理主義(新自由主義)の牙城だった。なぜ宇沢が転籍したのか、それは本書では定かではない。宇沢は、フリードマンと直接対決し、有望な若手経済学者を集めてワークショップを開催した。一方、ベトナム戦争では「行動科学」が大きな貢献をした。宇沢も「行動科学」を切り開いた一人である。数理的な方法を用いて効率的な行動を導き出す「行動科学」を使って、若手の経済学者エントフォーフェンは、「ベトコン」一人を殺すのにいくらかかるかを計算した。宇沢は、これを「狂気」とし、米軍の攻撃はジェノサイドだと厳しく批判した。

 ベトナム戦争に絶望し近代経済学に限界を感じた宇沢は、アメリカ経済学界での評価が頂点にあったとき、シカゴ大学を去り1968年日本に帰国する。そして公害大国と化した日本に直面する。胎児性水俣病患者と出会った時には「チッソによって、生命を奪われ、健康を傷つけられた人々が完全に救済され、心休まる日がくるまで日本経済の貧困は解決できない」と語った。宇沢は、水俣を始め各地の公害現場を歩き、行動する経済学者に変貌した。「統計にあらわれない現象にこそ、問題をとく鍵は隠されている」。現実を何とかして経済学に投影したいと宇沢は苦しんだ。そして1974年にあらわしたのが『自動車の社会的費用』だった。

 道路を社会の共有財産とみなし、「安全な歩行」という市民の基本的権利を侵害しないように道路を改修すれば、どれだけの投資が必要か。これは後に「社会的共通資本」の概念として展開される。大気・森林などの自然環境、道路・水道・電力などの社会インフラ、教育・医療などの制度を社会の共有財産として、いわゆる市場経済の枠外に置こうとするのが「社会的共通資本」の考えである。宇沢は「社会的共通資本」を「一人一人の人間的尊厳を守り、魂の自立を支え、市民の基本的権利を最大限に維持するために、不可欠な役割を果たすものである」とした。資本主義に踏み荒らされた自然と人間を取り戻そうとしたのだ。

 話は、冒頭に戻る。宇沢は、地球温暖化問題に取り組み、1990年ローマ会議(COP3)で炭素税を提案した。気候危機、自然破壊、世界的な格差問題、そうした資本主義のツケにわたしたちは、どう向き合うか。いま、コモン(共有財産)への関心とともに「社会的共通資本」が、再び脚光を浴びている。「大切なものを守る」「大事なものはお金にかえてはいけない」。彼の残したことばである。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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