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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕『ラストワルツ』 (島田虎之介)
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毎木曜掲載・第295回(2023/4/20)

美しい壮大な夢は悪夢に終わった

『ラストワルツ』 (島田虎之介、青林工芸舎、2002年)評者:加藤直樹

 島田虎之介は、私が最も愛する漫画家の一人だ。『九月、東京の路上で』を刊行した際には、その宣伝ポスターのために絵を描いていただき、さらには対談までしたほどである(お会いしたとき、実は世田谷で起きた虐殺事件「烏山事件」と、ある縁を持っていることを伺って驚いた)。 彼の漫画は、レトロでユーモラスな絵で描き込まれた、物語でもあり、詩でもあるような作品だ。時空で隔てられた人々を「記憶」で結ぶ物語が彼の真骨頂である。

 『ラストワルツ』(2002年)は、その中でも私が愛読する一冊だが、今回あらためて読んで、これまで気づかなった発見もあったので、ご紹介しようと思う。

 この作品もまた、詩のような物語である。他の作品と同様、ユーモラスなホラ話が連なって転がり、一つの世界へと合流していくのだが、この作品では、主人公は死者たちである。死者をよみがえらせて語らせるという意味では、能のようでもある。呼び出されるのは、20世紀の様々な「夢」であり、あるいはその犠牲者たちだ。

 その複雑で苦い味は、冒頭のエピソードで予告されている。理想郷=黄金郷(エルドラド)の語源は全身に金粉を塗ったアメリカ先住民の長を指す「黄金の男」であり、その黄金を略奪するためにスペイン人たちは先住民を虐殺して金を奪い、それをヨーロッパに持ち去ったのだと。金をめぐるエピソードは、殺したユダヤ人の金歯を溶かして延べ棒にしたというナチス・ドイツの収容所にまで転がっていく。

 20世紀は、美しい壮大な夢(エルドラド)が描かれた時代であった。人々はそこに向かって自らを駆り立て、あるいは動員されたが、そのことごとくが悪夢に終わった。共産主義、大日本帝国、核・原子力…。島田はそんな夢や、それを夢見た人々を虚構の中で現実より少しだけ長生きさせることで、その悲惨と無念を痛切に浮かび上がらせる。美しい祖国・日本を信じたブラジル「勝ち組」の老人、チェルノブイリ原発事故で消火作業にあたった消防士、朝鮮戦争で北朝鮮に抑留された米軍人。広島の「桜隊」や李ウネ、よど号赤軍のような実在の人物も現れ、能の亡霊のように、顔を出しては、かすかに思いを残していく。

 今回、新たに気が付いたのは、実はそこに「ウクライナ」が何度か現れていることだった。

 まず、主人公の一人はチェルノブイリ事故で一人だけ生き残った消防士ボクダンだ。同僚たちが被曝によって無残に死んでいくなかで、彼だけはなぜか生きている。その彼に、亡くなった同僚の恋人は、「なぜ、あなただけが?」と問いかけて涙を流す。その場面に、ウクライナの国民的詩人タラス・シェフチェンコの詩が重なる。「恋をしたのよ/若い娘が/コサックの若者に/…/行方知れずになることが わかっていたら行かせるのではなかったのに」。

 ボクダンは、生き残った理由を解明するために広島に呼ばれる。「この人ソ連の消防士なんでしょ」と尋ねる日本人を通訳がたしなめる。「ソ連じゃなくてウクライナ」。

 「ソ連じゃなくてウクライナ」という言葉は、実は後半の物語の伏線になっている。

 宇宙に行けなかった無念のロシア人宇宙飛行士を慰めるために、作中人物が偽史SFの小説を書く。そのなかで、1961年に人類で初めて宇宙飛行を行ったガガーリンはこう叫ぶのだ。

「地球は赤かった!」

 その世界では、現実の歴史とは異なり、ソ連は大きな発展を遂げ、世界中で共産主義が勝利する。アメリカは無謀な戦争によって自ら崩壊する。以後、人類は共産主義の下、赤く染まった「理想の世界」を生きている。この世界を守護するために働くKGBのスパイとして登場するのは、プーチンその人である。

 プーチンは、この世界を否定する、いわば反体制活動家の女性を捕え、ある事件を未然に防ぐことに成功する。だが彼女はプーチンにこう問いかけるのである。「あなただって、とうに気づいていたんじゃない? 私たちは、あり得る筈のない世界を生きている」「この世界は本当の世界じゃない」。

 現実には地球は青く、ソ連は崩壊し、ウクライナは「ソ連」でも「ロシア」でもない「ウクライナ」となった。だが『ラストワルツ』のなかで、プーチンは「あり得る筈のない世界」を崩壊させないために、必死で反体制派を追っている。

 「ウクライナ人」であり、チェルノブイリ事故のサバイバーであるボクダンは、広島の原爆ドームの中に立ちつくし、核の夢が行きついた現実と静かに向き合う。自分だけが生き残った意味を探しているようにも見える。

 物語は、すべての偽史とほら話の主人公たちが合流し、一つの結末を迎える。死者は彼らの世界に戻り、私たちの視界から消えていく。

「まもなく夜明けです/星たちとお別れしなくてはなりません/でも星たちの旅が/終わるわけではありません/わたしたちの人生が続くように/星々は昼も輝き続けます/それは見えない物語/語られざる人生…」

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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