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毎木曜掲載・第291回(2023/3/16)

殺される側にこそものは見える

『「殺すな」と「共生」―大震災とともに考える』(小田実、岩波ジュニア新書、1995年4月刊、740円)/評者:志真秀弘

 東日本大震災からこの3月で12年経つ。当時のさまざまな記憶には薄れている部分もあるし鮮明な部分もある。それでも原発事故はじめ何としても記憶を薄れさせずに留めておきたい。阪神大震災からはこの1月で27年経った。神戸の街が燃えて黒煙の上がるテレビ画像を、今でもはっきり覚えている。

 その同じ瞬間に、本書の著者小田実は夫人、小学校3年の娘との3人暮らしの西宮の集合住宅で地震に遭っていた。大きな書棚がかれのベッドに向かって倒れてきたが、たまたま脇にあったコピー機が支えになって助かる。夫人も娘も命拾いした。その後テレビを見ながら、かれは猛烈に腹が立ってきた。「ヘリコプターが上から飛んで、ここはこうです、あそこに煙が出ています」とリポーターが言っている。「あちこちから火が出ていて、消防車が来ても水がないから、結局は燃えてしまう、そのなかを人びとがくやし涙にくれながら逃げまどい、あるものは焼け死んだ」。テレビ画像に映された煙の下にある地獄は、遠くでテレビを眺めている人間(私もその一人だった)には決して伝わらない。阪神大震災は経済優先の乱開発がもたらした「人災」であり、西宮市の1525億円の予算に対して災害対策費(当時)はたった4500万円だった。著者が「人災」と告発するのはその通りだというほかない。

 1945年8月14日の大阪大空襲をこの時小田は思い起こす。その時かれは中学1年。新聞に掲載された中国への空襲写真を見て、それまではただ「勝った!」としか思わなかった。だが大阪が空襲され火焔のなかを逃げまどいながら、中国やアジアの子供たちを日本がどんなに酷い目に遭わせていたかに、かれは気づいた。(右=小田実)

 後年アメリカに留学した時、『ニューヨークタイムズ』に大阪空襲の写真とアメリカ大リーグの写真とが並んでいるのを見てかれは衝撃を受ける。「爆弾を投下する側、・・・殺す側にはよくものが見えていない」。そしてかれはこう結論づける。「殺される側にこそ、いろんなものが見えてくる。」そう言って小田は明治以後日本の侵略の歴史をたどったうえで、日本国憲法の意味―つまり平和主義と民主主義が一つになったこれが理想の民主主義だと強調する。90年代に入って、しかし平和主義は衰退しつつある。自分の娘のように戦争体験はない世代に「いのちの大切さ」を学ぶ機会に震災をしなければいけないー著者はそう訴える。

 では「共生」を著者はどう考えているのか? ここではこの本で著者があげたなかから、二つの事例だけ紹介しておきたい。「アメリカ合州国」(著者小田の表記)を考えると、先住民を殺戮し土地を強奪した、黒人を奴隷として差別し抜いてきた事実を抜きにそこでの「共生」を考えることはできない。日本では1994年に「チマ・チョゴリ」の制服を着た女生徒を脅す、制服を切り裂くなどの事件が起きた。恥ずべきこの事件の歴史的背景を考えるなら「共生」という言葉は使えない。「チマ・チョゴリ事件」を考えずにやすやすと「共生」などと言ってくれるな。対等・平等な関係を社会の隅々にまで作り出す努力なしに「共生」などとは言えないだろう。小田のこの主張は鋭いとわたしは思う。

 小田実はかつて「行動する作家」と言われた。この本を読むとかれは行動しながら考えを深めていった人であることがよくわかる。本書は震災後4ヶ月足らずで刊行されているが、戦争体験のない世代にこそ平和主義を伝えなければならないと考えたかれの切迫感は、今読んでも痛切に伝わってくる。

【追記】次回ブッククラブ(4月9日・日曜・2時・オンンライン)で小田実の『「難死」の思想』を読むことになり、その関連で本書も読み、かれの考えがよく現れた本と思い、今回紹介した。ブッククラブはいつでもウェルカムです。→詳細

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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