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一人一人の人間を浮かび上がらせた映画『福田村事件』

堀切さとみ


 9月1日、公開初日に『福田村事件』を観に行った。
 ふだんはあまりお客さんのいない東京都内のシネマだが、結構混んでいた。今年は関東大震災から100年というだけでなく、「あらたな戦前」を感じる人達が多いということもあるのではないか。メディアもこぞって取り上げていたし、制作陣の意気込みも感じていたから、すっかりわかったような気分になっていたが、やはり自分の目で観るべき映画だと思った。

 この歴史的史実を埋もれさせてはならないという思いを持つ人々の、共同制作の力を感じた。脚本の力、役者の力も大きいが、エンドロールの最後の「監督 森達也」の文字を見たときは感動した。「普通の人が集団の力で暴徒化する」というのが森氏の一貫したテーマである。しかし、映画に出てくる人たちは必ずしも「普通」でも「善人」でもない。不道徳だったり商魂たくましかったり、ちょっとえげつない人たちも出てくる。そこに惹かれた。

 在郷軍人会による戦争賛美と、デモクラシーを作り出そうとする人たちが、ひとつの村に共存しているのも面白かった。どこまで史実に即しているのかはわからないが、人間とはかくも色々で、一人一人が違うということが存分に描かれていた。

 戦争と震災が共にある中で、映画の中の人々は意外なほど平静を保ちながら生きていた。その平静さを支えたものが、朝鮮人や異種なものへの虐殺だったのだ。
 提岩里(ていがんり)事件など、知らないことも多かった。9月1日以降の惨劇に至るまでには、多くの布石が敷かれていた。

 「流言飛語はいけない」などといくら言ったところで、歴史はくりかえされるのを、私たちは日々目の当たりにしている。船頭役の東出昌大は「自分がこの現場にいたらどうするかわからない」と苦しそうにインタビューに答えていた。良心を逆手にとられた井浦新扮する教師など、思い出すだけで身につまされる。でも「こうありたい」と思える姿も描かれている。人は、失敗して崩れることがあっても、そのままで終わりたくないものなのだ。

 自分にできることを積み重ねていけば、それでいいのではないか。そう思えたことが、希望につながると信じている。

写真=(C)「福田村事件」プロジェクト 2023


Created by staff01. Last modified on 2023-09-02 14:00:23 Copyright: Default

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