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今も続く戦争/『シベリア抑留死亡者名簿』読み上げを終えて
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投稿者:吉原 真次

今も続く戦争/『シベリア抑留死亡者名簿』読み上げを終えて

 8月23日から26日にかけ、シベリア抑留体験者の故・村山常雄さんが10年の歳月をかけて作成した『シベリア抑留死亡者名簿(名簿)』の読み上げが行われた。2020年に始まった読み上げは今年で四回目となるが、今年は最高齢99歳の抑留体験者を含む106人が参加して『名簿』に記された46,305人とモンゴル追加名簿284人の御名前を読み上げた。

 読み上げはやパソコンや電話を使い自宅と会場から行われ、毎回全国・世界各地から小学生から抑留体験者まで約100名が参加している。昨年から参加した私は親しい方に読み上げの事を知っていただきたいと思って年賀状に読み上げに参加したことを書いたところ、東京に住んでいる方から亡き父がシベリア抑留体験者でそれ故に私は戦争が嫌いと書かれた御便りをいただいた。 

 御便りを何度も読み返し、今年も読み上げの機会が得られるならその方と亡くなられた御父様の思いを込めて読み上げたいと考え、御父様の抑留体験を聞かせていただきたいとお願いしたところ快諾を得て5月に上京しお話を伺った。

 1920年に御生まれの御父様は上官から罪を擦り付けられた為に帰国されたのは1950年くらい、その間にネルチンスク、バイカル湖近くのイルクーツク、テケリ、アルマアタ辺りの強制収容所に送られた。子供の頃に御父様が中央アジアの地図のページを開き収容所があった所を指さして「ここに行った、ここにも行った、ここの地下何百メートルで石炭採掘をやらされた。」と話してくれたので自然と地名を覚えてしまったという。悲惨な収容体験については大便をするときには必ず金槌を持って先の人がした物を砕かないと肛門を傷つけてしまう事、金槌を忘れた人が「ギャー」と大声を上げた事、小便は孤を描いて凍ってしまう事、そして死臭渦巻く中や便所でも飯が食えるようになったと自慢するなど笑い話にして話してくれたそうだが、そうしなければ悲惨な過去が蘇って平常でいられなかったからと思えてならない。ちなみに毎年の敗戦(終戦)記念日の御父様の口癖は「8月15日にはまだ知らずに大砲を撃っていたよな。」だった。

 24年前に他界した私の父も抑留体験者だった。父は当時のオランダ領インドネシア(現インドネシア)近くにあるフィリピンのハルマヘラ島で敗戦を迎えてオランダ軍に抑留された。生前、父は兄と私にはほとんど抑留体験を語らなったので、父より先に世を去った母にその理由を聞いたところ、返ってきたのは「泣いてしまうから。」だった。父の葬儀後に姉から父が涙を流しながら抑留中に死んでいった戦友の事を話していたのを見たと聞いて納得せざるを得なかった。

 お若い方は御存知ないだろうが、1964年の東京オリンピックまでは町の盛り場や神社等には募金箱を下げた傷痍軍人がいた。その姿を見かけると父は必ず私に百円玉を渡し「差し上げてきなさい」と命じた。おそらく父は自分で手渡したかったのだろう。でもそうすれば泣き崩れてしまうのがわかっていたから私に託すしかなかった。銃後の母は勤労動員で銃弾に火薬を詰める作業をやらされた事、空襲の不発弾が爆発して多くの死傷者が出た事を話してくれた。話の最後に「私たちには青春がなかった」と呟いた母の声を67歳となった今でも忘れることはできない。

 戦闘が終わった時点で戦争が終わることはない。戦争体験者にとっては戦後も戦争は続き子供や孫の世代にも続いていく。8月15日の『朝日新聞』、『日本経済新聞』、『中国新聞』は今までは報じられることが少なかったPTSD(心的外傷後ストレス障害)の元日本軍兵士についての記事を掲載し、『読売新聞』も前日に記事を掲載した。拙すぎる投稿に御目通しいただいた皆様には御再読・御一読を、そしてより深く知りたいとお思いの方には来る9月3日の午後1時より東京の武蔵村山市民会館で開催される「PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会」への御参加をお勧めしたい。                            (8月28日)


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