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侵略者あるいは鬼の末裔として(9)

―2022年9月2日に「8・15」の新聞を読む―

小泉雅英


*2022年8月15日のデモ(提供:テオリア)

 昨年の今頃は、コロナ災害の中、強行開催された利権の祭典、東京五輪(オリ/パラ)が終幕を迎えていたこと、木で鼻を括ったような顔で、いつも棒読み会見する首相がいたこと、アフガニスタンから米軍が撤退し、在留邦人救出に自衛隊機が使われるのを誰かと話したこと等々。たった1年前のことなのに、遠い昔のように感じる。高齢のせいもあろうが、それだけではない。やはり、今年2月に勃発した、ロシアのウクライナ侵攻により、<戦争>が私たちの日常に侵入し、空気を一変させたことが大きいだろう。それが蔓延するコロナ災害と併せ、重奏低音として、広く人々の不安感を生起し続ける中で、安倍元首相の銃撃事件が発生した。白昼衆人環視の下で、元首相が銃撃され、死亡した。この衝撃はあまりに大きい。首相の暗殺事件は、これまでも歴史の本で何度も読んで来たが、お昼のテレビ番組の途中で、緊急速報されたこの事件は、現場のスマホ映像とあわせて、信じがたい出来事だった。この事件については、別稿に改めるが、上記の感想だけは、残しておきたい。

 1945年9月2日朝、米海軍の戦艦ミズーリ号の艦上で、日本政府を代表する重光葵(外相)と、大本営を代表する梅津美治郎(参謀総長)が、全権として降伏文書に署名し、日本の降伏が正式に確定した。調印儀式に先立ち、昭和天皇による「降伏詔書」が発表され、「朕ガ臣民ニ対シ敵対行為ヲ直ニ止メ武器ヲ措キ且降伏文書ノ一切ノ条項並ニ帝国政府及大本営ノ発スル一般命令ヲ誠実ニ履行セムコトヲ命ス」と、陸海軍全軍に対し、作戦行動の完全停止が命じられた。こうして9月2日は、文字通り「敗戦の日」となったが、77年後の今日、下記5紙で、この史実に言及したものはない。なぜ、敗戦が法的に確定した「9・2」ではなく、今日のように、「8・15」が「終戦の日」、「戦没者を追悼し 平和を祈念する日」として、政府主催の式典が開かれ、「皆様には、職場やご家庭などで正午から1分間の黙とうをお願いします」という政府広報が新聞各紙に掲載されるようになったのか。この経緯については、佐藤卓己著『増補 八月十五日の神話―終戦記念日のメディア学』(ちくま学芸文庫)をぜひ参照されたい。

 ここでは、「ポツダム宣言」受諾と「玉音」放送に至る動きを、メモしておく。1945年7月26日、連合国により「米英支三国宣言」(通称、ポツダム宣言)が発表され、日本に降伏が要求された。「国体」護持は不可能と解釈した天皇と側近たちは、これを受け入れず、天皇は徹底抗戦の姿勢を明示。8月6日の広島、9日の長崎への原子爆弾投下に続き、同日のソ連参戦で天皇と側近は動揺、「国際共産主義の浸透と、国内共産主義革命の幻影に恐怖心を抱いていた天皇と側近たちは急速にポツダム宣言受諾の方向に傾斜していった」(纐纈 厚『私たちの戦争責任』凱風社p.49)。その夜から10日未明にかけての「御前会議」で、ポツダム宣言受諾の「聖断」が下され、直ちに中立国(スイスとスウェーデン)公使に公式通告として発信された(06:45AM)。その夜8時過ぎ、受諾全文をNHK海外放送から発信、12日早朝、「日本側の受諾通告に対する連合国の回答」がサンフランシスコからラジオ放送された(00:45 AM)。しかし、その解釈をめぐり政府内で対立、受諾決定は延期された。13日夕刻、東京上空で、米軍機が「日本政府のポツダム宣言受諾を印刷したビラ」を散布。14日朝の(最高戦争指導会議と閣議の連合)会議において、再度の「聖断」によりポツダム宣言受諾が正式に確定。その夜、「終戦の詔書」に天皇が署名。鈴木貫太郎首相以下、各大臣の副署(計15名)を終え、外務省から連合国へ回答公電を通知(11:02 PM)。直ちに宮内省内で天皇による詔書朗読の録音、「天皇は再生を確認することなく退出」(11:50 PM)。翌15日、正午のラジオ放送で、時報に続き、和田放送員により「只今より重大なる放送があります。全国聴取者の皆様御起立を願います」のアナウンス後、情報局総裁の前詞、「君が代」奏楽と続き、「玉音」録音盤(4分37秒)が再生された。再び「君が代」が奏楽され、「謹みて天皇陛下の玉音放送を終ります」と締めくくり、「詔書」解説の後、「詔書」が再度朗読され、「37分30秒に及ぶ長い放送は終わった」(佐藤前掲書p.19)。

 昨年の「8・15」は、雨の中を神田の小さな公園で集会後、靖国神社に向けて歩いたが、今年は猛暑の中、水道橋の韓国YMCAで集会後、昨年同様、編通りをデモ行進した。「国家による「慰霊・追悼」を許すな! 8・15 反「靖国」行動」の集会場となった韓国YMCAは、1919年「3・1」独立運動の先陣となった場所だ。今もその「2・8独立宣言書」(日本語訳文)が、小さなプレートで掲示されている。

「(前略)ここにわが民族は日本および世界各国にたいして自決の機会を与えることを要求する。もしその要求が入れられなければ、わが民族はその生存のために自由な行動をとり、わが民族の独立を期成せんことをここに宣言する。1919年2月8日 朝鮮青年独立団代表(李光洙他10名の署名) 決議文 一、韓日合併はわが民族の意思によるものではなく、わが民族の生存と発展を脅かし、また東洋の平和を乱す原因となっている。それ故に本団は、わが民族の独立を主張する。二、(略)。 三、本団は、万国平和会議における民族自決主義をわが民族にも適用せんことを要求する。(略)。 四、(略)」

 デモ行進の途中では、昨年と異なり、右翼の人たちが、怒鳴りながら、入れ替わり立ち替わり隊列に突っ込んで来て、何度もひやりとさせられた。元首相の銃撃死の後で、反靖国デモなどを実行する私たちに対し、「反日」、「国賊」、許せない!という感情が昂っていたのだろうか。    「8・15」当日の新聞各紙の社説を見ると、『朝日新聞』は、「戦後77年と世界」「平和の合意点を探る時だ」と題し、「欧州で侵略戦争が続く一方、台湾海峡で力の対抗が深まる」現状の下、「平和憲法のもとで培ってきた不戦の思想を説くべき時だ」と訴える。民主主義の原点から戦争との関わりを問い、正義の実現に向けて深い思考を喚起するもので、昨年の社説に比し、はるかに力強い。その中でも、「戦争で犠牲になるのは結局、ふつうの市井の人たちだ」と確認し、「紛争の芽を摘む予防外交の強化」と「良識ある民衆の連帯」の拡大を強調している点も共感できる。ただし、「近隣国に攻め入り、孤立し、破局に到った日本の過去は、今のロシアにこそ重なる部分が大きい」とは書くが、具体的に日本が多くの犠牲者をアジアの人々に強いたことへの言及はなく、「往時の体験をウクライナから伝わる惨状に重ねる声は多い」と自らの被害体験へと焦点を絞っている。

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