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毎木曜掲載・第281回(2022/12/29)

草の根から世界は変わる

岸本聡子著『私がつかんだコモンと民主主義〜日本人女性移民、ヨーロッパのNGOで働く』(晶文社、2022)/評者:菊池恵介

 ヨーロッパを代表する左派シンクタンク「トランスナショナル研究所」の研究員として、欧州の「水の闘い」に携わってきた岸本聡子さんの自伝的エッセーである。1980年代以降、ヨーロッパでは新自由主義改革の一環として水道事業の民営化が推進されてきた。だが、大資本による杜撰な管理や財務問題が明るみになるにつれ、水道の再公営化を求める住民運動が各地で広がっていった。それらの運動を結び付け、ノウハウの共有などを支援していくことが、オランダでの著者の仕事であった。日本で生まれ育った環境活動家が、いかにしてヨーロッパに渡り、「水への権利」運動の最前線で活躍することになったのか。本書は、その二十年余りにわたるオデッセーの記録である。

 原点となったのは、1997年冬に開催された「温暖化防止京都会議(COP3)」である。この年、大学を卒業したばかりの著者は、A SEED JAPANという学生が作った環境NGOの専従として、ヨーロッパの青年活動家の受け入れに奔走した。モスクワで「環境列車」なるものを組織し、シベリア鉄道とフェリーで日本に乗り込んでくる破天荒な同志たちである。そんな海外の仲間との出会いを通じて同時代のグローバル・ジャスティス運動に目覚め、環境活動家として羽ばたいていった自身の歩みを、WTO閣僚会議への反対運動、ボリビア先住民の「水戦争」、世界社会フォーラムの誕生などの記憶と共に、爽やかに綴っている。平成バブルの崩壊と構造改革に翻弄された著者の人生は、「新自由主義と並行した人生」であると同時に、大資本主導のグローバリゼーションに対する世界の草の根の対抗運動を発見し、繋がっていくプロセスでもあった。

 本書のもう一つの魅力は、ヨーロッパに渡った日本人女性の体験が新鮮に綴られていることである。この点で、本書は環境活動家としての運動史であると同時に、日本人女性によるユニークな西洋見聞録ともなっている。たとえば、第一部「日本からの移民イン・ヨーロッパ」では、大学卒業後、必ずしも民間企業に就職しなくても、NGO活動を続けられるオランダの社会保障制度の利点などが指摘されている。また第二部の「ロストジェネレーションの連帯」では、大学運営費の8割以上が公費で賄われるため、親の収入に関わらず、だれでも大学教育を受けることができる「ベルギーの大学事情」が紹介されている。本格的な福祉国家を知らず、もっぱら企業福祉に依存している国から西洋に留学する多くの日本人学生が経験する衝撃でもある。

 さらに、第三部「フェミニズムを生きる」では、近年の欧州政治の「フェミナイゼーション(女性化)」や、ケア労働の収奪の上に成り立つ資本主義の矛盾に関する鋭い考察が展開される。一般に経済学では金銭の交換を伴う経済活動のみが「労働」と認識される一方、子育てや家事といった労働力の再生産に不可欠なケア労働は等閑視される。「育児、家事、介護、病人の世話の多くは家庭な中で行われており、伝統的な役割分業の中でその多くを担うのは女性である。こういった大切な仕事の多くは無償であり、GDPに反映されない」。これに対して、マルクス主義フェミニズムの系譜をひく「フェミニスト・エコノミックス」は、ケア労働の重要性を再発見することで、既存の経済モデルを根源的に問い直す視点を拓くというのである。

 最後に、最も意外だったのは、長年の海外生活にもかかわらず、著者が「言葉の壁」に悩まされてきたことを告白している点である。もともと著者がオランダに移住したのは、思いがけず妊娠したからであった。その際、日本で暮らすという選択肢も考えられたが、仕事も貯金もない著者がオランダ人のパートナーと子供の三人で社会保障が脆弱な日本で生きるのは、現実的な選択ではなかった。こうして「最低限の生活が保障される国」へと移民したものの、言葉の壁は厚く、長年にわたってコンプレックスに悩まされることになる。「ジョークで突然みんながわーっと笑うシーンは一番しんどい。何が面白いかわかっていないのに、控えめにほほ笑んだりしている」。そんな疎外感を払拭し、「オランダ語はできない」と屈託なく言えるようになるまで、20年近くもかかったという。国境を超えることがいかに生易しくないかを、ここに垣間見ることができるだろう。「資本は国境をたやすく超えて移動するが、私たち人間は簡単に移動できないし、させてももらえない。家族、友だち、アイデンティティ、文化、そして愛などというややこしいものを真ん中に据えて暮らしているのだ」。

 こうして数多くの試練を経て、国際的な環境活動家へと成長した著者が、今年4月、日本の仲間たちの要請に応えて帰国し、わずか2か月の選挙戦を経て東京の杉並区長に当選するという快挙を果たした。草の根から世界をどう変えていくか。オデュッセイアの帰還を喜ぶとともに、生まれた国で新たな闘いのステージに挑もうとしている著者に心からエールを送りたい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人、志水博子、志真秀弘、菊池恵介、佐々木有美、根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、わたなべ・みおき、ほかです。


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