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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕森達也『千代田区一番一号のラビリンス』
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毎木曜掲載・第256回(2022/6/2)

上皇、上皇后に向けた眼差し

『千代田区一番一号のラビリンス』(森達也 著、現代書館、2200円)評者:大西赤人

 日本国憲法の改正(改悪)が現実的・具体的命題となりつつある昨今、その主要な対象は第9条であり、以前は別の大きな論点だった第1条に関して話題に上ることはほとんどない。マス・メディアは、現・皇后の病気や秋篠宮家の結婚問題に関して芸能人並み――あるいはむしろそれ以上――の下世話な報道を行なう一方、上皇や上皇后による政治性を伴うべからざる抑制された言動を、あたかも戦後日本の自由と民主主義を護る砦――まさに象徴であるかのごとく伝えてきた(たとえば、退位に至るまでの上皇は、当時の反動的安倍政権とは対立関係にあったとするように)。皇室に属する一人一人が仮にどれほど民主的かつ人間的であるとしても、天皇制という構造が――とりわけ権力によって恣意的に利用された際には――広く人間や人権のありようを侵害することに変わりはない。しかし、天皇あるいは天皇制は、個人とシステムとの境界を曖昧にしたまま、決定的な自己矛盾を内包しつつ、今やいわゆる左派、進歩派と位置づけられる人々からさえも、しばしば好意的な眼差しや積極的支持さえ受けている。

 オウム真理教を扱ったドキュメンタリー映画『A』『A2』をはじめ、様々な社会的テーマ、特に一般に爛織屐辞瓩箸気譴襯董璽泙膨む多くの作品で知られる映画監督、作家・森達也の本書は、題名が表す通り、天皇――生前退位前の上皇、上皇后を描いた小説である(厳密には、宮内庁の所在地=住所が東京都千代田区千代田1−1)。3月末の発売から二週間後、森は「本への反響は今のところ全然ありません。黙殺か炎上か、どちらかだと思っていましたが…」(4月16日付『東京新聞』Web)と述べ、近日にも「なぜか新聞や雑誌の書評欄からは黙殺され続け、先日ついに書評が一切出ないまま増刷が決まった」(『Newsweek日本版』Web)との記事が出ていた。少なくともこれまでネットで見る限り、たしかに大手メディアによる書評類は皆無に等しい。上述した「いわゆる左派、進歩派と位置づけられる人々」の一人であろう森が天皇をテーマにしたというだけで犒子危うきに……疆警戒感が先立つものと想像されるが、一読すれば明らかな通り、本書もまた、上皇及び上皇后天皇に対する好意的な眼差しに満ちている。*写真右=森達也氏(2018年のレイバーネットTV)

 時代設定は、天皇の生前退位が決まっていた2017年から2018年頃。主人公の「森克也」は、作者と同じように過去にオウム真理教を扱うドキュメンタリー映画を撮った映像ディレクターという設定である。「是枝裕和」や「長嶋甲平」ら六人の競作により、憲法から条項を一つ選択し、それをテーマにドキュメントを作るという「フジテレビ」の仕事を受ける。克也は、第1条を選び、「天皇」に直接会って話し、その真の考え・想いを知る機会を実現したいと考える。小説の枠組みは現実に即しているのだが、物語の都合から克也は作者の実際とは大きく離れた四十歳になるかならないかの年齢となっており、そのため不自然が生じていることは気になる。端的な例を上げれば、克也が森達也に準じて『A』を撮ったとすると、それは彼が大学に通っていた十八、九歳の時ということになるし、十数歳年長の先達に当たる是枝や長嶋と同格でしゃべっていることにもなる。

 一方、天皇(明仁)、皇后(美智子)夫妻については、その日常のやりとりが大胆に描写される。プロローグから、二人はテレビのバラエティ番組を見ながらこんな会話を交わす。

「芸人さんは増えたわね」
「そうだね」
「みんな笑いたいのかしら」
「そういうことかな」
「まだテレビを観るの?」

 現存する二人に対するこのような試みは、フィクションといえどもこれまでなかったのではなかろうか。ネット上で読者の感想を見ていると、「自然」「微笑ましい」「いかにもありそう」というような意見を多く見かけたが、大西的には強い違和感を覚えた。もちろん、実際の二人は判らない。判らないけれども、当時、84歳であった天皇に向かって、83歳であった皇后が、幾ら周りに人が居ない家庭内であるにせよ、「早く食べないと冷めちゃうわよ」とか「行っちゃおうか」とかと話しているという描写に、作品に必要なリアリティーを感じ得なかったのだ。つまり、本書は小説であるから、あくまでも虚構である。カタシロという奇妙な生き物あるいは存在が重要な暗喩的ファクターとして描かれるけれども、言うまでもなくこれは現実には居ない。しかし、多くの条件は現実に依拠しており、たとえば国会議員の「山本太郎」が登場すると、彼は明らかに現実の山本太郎に即している。

 つまり、壮大な虚構を描き出すにあたっては、その嘘を読者が信じ込み、それに酔うことが出来るだけの精密な作りがなければならないと思う。後半に訪れる地下の追跡劇は不思議に盛り上がるし、そこに論理的アクチュアリティーの裏付けなど要らないわけだが、しかし、物語としてのリアリティーは欲しい。その点で、本書には構造上の弱さがあり、不満が残る。多くの読者が指摘しているカタシロの意味合いについては一定理解し得たつもりだが、天皇・皇后と克也・桜子(恋人)との選ばれた「交感」がどうして成立したかについては不明なままだった。

 本書は、森が天皇に対する自らの一種無条件の「親しみ」を見据えて集約した作品ということでもあろうが、取り立てて斬新な切り口ではないとしても、登場人物の一人による次の簡素な言葉が、その感情と鋭く対峙しているように思われる。

「天皇については俺も好感を持っているよ。でも問題は天皇個人ではなくて天皇制というシステムだ」

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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