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毎木曜掲載・第251回(2022/4/28)

「わかったつもり」にならないために

『物語 ウクライナの歴史 ヨーロッパ最後の大国』(黒川祐次著:中公新書、946円) 評者:志水博子

冒頭に著者が学生時代に強く惹かれたという絵画『ウクライナの夕べ』(アルヒープ・クインジ作/写真)が出てくる。「丘の斜面に白い漆喰の壁と藁葺きの屋根の素朴な農家が二、三軒、夕日を受けてあかく輝き、ひとめで懐かしいという感情が湧きあがってくるような絵であった」と。それはウクライナについてよくいわれる「穀倉地帯」そのもののイメージであるが、ウクライナで暮らしてみると、それだけでは片づけられない複雑で懐の深い大国であると感ずるようになったとも著者は記している。そして、そのギャップは、「ウクライナが1991年の独立まで自分の国を持たず、それまで何世紀もロシアやソ連の影に隠れてしまっていたことによるのではないか」と。

本年2月24日、ロシアがウクライナに侵攻した。なぜ、戦争が起こったのか、それを知りたくてネット上に溢れる論考をいくつか読んだ。侵略者であるロシアを一方的に非難する論考。ソ連崩壊後の米国をはじめとする軍事同盟NATOの動向がロシアを追い詰めたとする論考。両者の議論は次第にヒートアップし、それぞれが「正しさ」を主張し合い、非難合戦の相を呈しているようなところさえあった。

「わからなさへの定位」とは、重い障がいのある娘星子さんについて語った思想家最首悟さんの言葉であるが、わかりたいという気持ちはしばしば「わかったつもりになる」ことを招いてしまう。それを戒めた言葉だと理解している。なぜ、戦争が起こったのか、知りたいが、それは容易にわかることではない。

そんな時に、藤原辰史さんの論考を目にした。そこにはこうあった。「いまウクライナ危機関連の記事は北大西洋条約機構(NATO)とロシアのパワーゲーム分析の性格が強すぎて、ウクライナとそこで暮らす人びとの生活と歴史へのまなざしが弱い。結局為政者たちと同じ『上から目線』に見えてしまう」と。そして、「こんな危機の時だからこそもっと非英語の情報を、歴史や文化や生活や科学も含めて集め発信すべきだろう。歴史や文化にはその冷静さを保つヒントがある」と。そこで紹介されていたのが本書である。

本書は2002年の刊行である。ユーラシア東部の島国で生まれ育った私は、遠いユーラシア大平原の国の歴史を初めて追ってみた。動物意匠と黄金への偏愛ともいえるスキタイ芸術の見事さ、ゴーゴリが描いたポーランドに対する反乱のコサック『隊長ブーリバ』、ウクライナ史最大の英雄と言われているフメリニツキーの人生、悲劇の英雄マゼッパはウクライナの民族主義者たちから独立を求めた愛国者と称えられている。また、ウクライナ語最大の詩人と言われるシェフチェンコは、ウクライナ民族主義と独立の象徴的存在だったという。彼の帝政ロシアに対する怒りを謳った『遺言』は歴史を超えてなんというか暗示的でさえある。 歴史の中に連綿と生き続ける「ウクライナ・ナショナリズム」、それは必ずしも国家的なものではなく民族的なものでもあるのだが、ユーラシア大陸の要の土地で様々な国と民族とのかかわりの中で否応もなく不撓不屈のアイデンティティとして歴史的に形成されて来たことが伝わってくる。

後半はソ連時代の歴史。1922年ソヴィエト社会主義共和国連邦」(ソ連)が誕生し、ウクライナはその共和国としてその後約70年存続する。レーニン時代を経て、スターリンの凄まじい弾圧。1932〜33年の大飢饉は、「これは強制的な集団化や穀物調達のために起こった人為的な飢饉であり、その意味でユダヤ人に対するホロコーストに匹敵するジェノサイドだという学者もいる」という。第二次大戦後もソ連やドイツなどの大国の関係性の中で、ウクライナ民族主義者組織 (OUN)やウクライナ蜂起軍 (UPA)は翻弄されながらもますます「ウクライナ・ナショナリズム」を強めていく。

ヤルタ会談、そもそもそれがウクライナであったことさえ知らなかったが、風光明媚な景色とは対照的に、権力者たちの権謀術数が描かれている。そしてフルシチョフ・ブレジネフの時代を経て、ついにゴルバチョフの時代に、ウクライナは独立を果たし、ソ連は崩壊する。  

著者は最後にウクライナの将来性として2点挙げている。ひとつは大国になりうる潜在力、そしてもうひとつは地政学的な重要性。しかしそれゆえにこそ、ウクライナは幾多の試練を経てきたのではないか。そしてこう記す、「ウクライナが独立を維持して安定することは、ヨーロッパ、ひいては世界の平和と安定にとり重要である。これはアメリカや西欧の主要国の認識であるが、中・東欧の諸国にとってはまさに死活問題である」と。

本書から20年が経ち、今、そのウクライナで多くの無辜の民が亡くなっている。ウクライナの社会学者イシチェンコは「どうして戦争が始まったのかはまだ分からない」という。私たちは、やはり「わからなさへの定位」を抱えながら平和を祈るよりほかにはないのだろうか。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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