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揺るがないもの、そしてそれを超えるもの〜『スープとイデオロギー』を観て

笠原眞弓 

 ちょっと不思議なタイトルに一瞬迷ったものの、この監督の前作『ディア・ピョンヤン』(2005年)を見ていたので、あのお母さんはどうなったかなと観ることにしました。

 1950年代から84年にかけて、在日朝鮮人とその家族の北朝鮮への帰国運動があり、9万人を超える人々が「希望の楽園」に帰還した。その後「脱北者」を通して、決してバラ色ではなかったことが、彼らの様子で伝えられたことを思い出します。

 それを知っても、ヤン・ヨンヒ監督の両親は北に送った3人の息子を支え続けてきました。『ディア・ピョンヤン』で、母親が大きな段ボールに日用品を詰めて北の家族に送るシーンは印象的でしたが、ヨンヒは母親自身の生活維持のためにも、いまだにお金を送り続けることが不満です。

 久しぶりに東京から帰省する娘のために、いそいそと参鶏湯(サムゲタン)を作るお母さん。ヨンヒが結婚相手のカオルさんを連れて来た日にも登場。3回目はその彼と一緒に作り、最後は彼が買い物からすべて1人で仕上げたのです。

 スープは「いのち」。様々なものの良いとこを引き出し、1つの複雑なものに仕上げる。在日朝鮮・韓国人、そして日本人の良いところを引き出していく。でも互いに譲れない想いもあり、それはぐらつきません。

 母親は、動脈瘤で入院中に初めて済州島4・3事件の体験を話します。その後訪ねてきた「済州島4・3研究所」の研究員に、18歳だった彼女が幼い弟たちの手を引いて、家族のいる大阪に逃げてきた恐怖を語ったのです。それはヨンヒにとっても初めて聞くことでした。その直後から、まるで自分の中に閉じ込めていた歴史の事実を次世代に手渡したとばかり、急激にアルツハイマーが進みます。

 5カ月後、文在寅の政策で、北朝鮮籍でも韓国に入国できる特別パスポートで済州島4・3事件70周年追悼式に参加した時には、もう同じ話すらできないほどアルツハイマーは進んでいたのです。それでもそこで知る新たな母親の真実に、ヨンヒは北朝鮮に絶対的に信を置いている母を理解したのでした。

 亡くなった父親も母親も、日本人との結婚を嫌っていたのに、それを受け入れたのは、スープの力、カオルさんの人となりだったのでしょう。 (消費者レポートNo.1657より加筆転載)

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118分/6月11日より「東京」ユーロスペース、ポレポレ東中野、「大阪」シネマート心斎橋、第七藝術劇場にて公開後全国順次上映

             


Created by staff01. Last modified on 2022-06-26 12:59:58 Copyright: Default

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