| アリの一言 : NHKが触れなかった茨木のり子の天皇(制)批判 | |
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茨木のり子は50歳でハングルを学び始めました。その動機を、友人の韓国詩人・ホン・ユンスクさん(写真中の右)に送った手紙にこう書いています。 茨木のり子の素晴らしさを再認識させる番組でした。しかし、肝心なことが欠落していました。それは、彼女が侵略戦争・植民地支配の最高責任者だった天皇裕仁、そして天皇制に対し、タブーを恐れず鋭い批判を行ったことです。 それが端的に示されたのが、「四海波静」(1975年11月)という詩です。 1975年10月31日、天皇裕仁は記者会見で「戦争責任について」聞かれ、こう答えました。「そういう言葉のアヤについては、私はそういう文学方面はあまり研究もしていないのでよくわかりませんから、そういう問題についてはお答えが出来かねます」 < 戦争責任を問われて その人は言った(中略) 鋭い皮肉に、心底からの怒りが溢れています。 1990年、親族とともにボストン交響楽団の演奏会をNHKホールに聴きにいった時のこと。交響楽団は本番の前に「君が代」を演奏し、ほとんどの聴衆が起立しました。しかし、彼女はじっと座っていた。そして親族に小声で言いました。「今日、私は音楽を聴きに来たのでね…。私は立たないけれど、あなたたちは好きにしなさい」(後藤正治著『清冽 詩人茨木のり子の肖像』中公文庫2014年より) それから4年後の1994年、茨木はボストン交響楽団演奏の日を想起して、「鄙(ひな)ぶりの唄」という詩を書きました。 天皇裕仁の発言、「君が代」へ向けられた茨木のり子の鋭い感性・批判は、戦争体験から得た「個」の尊重・自律、そして植民地支配した朝鮮半島に対する謝罪、ハングル習得への思いと無関係ではありません。深く結びついています。 天皇(制)批判を抜きに茨木のり子の詩・文学・思想を語ることはできません。それは彼女の詩が持っている歴史的意味の大きな要素であり、それこそ私たちが学ぶべきものではないでしょうか。 Created by staff01. Last modified on 2022-01-25 13:23:06 Copyright: Default | |