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一人ひとりが原発を止めてきた!〜「丸11年・脱原発テントひろば大集会」報告

笠原眞弓

 2011年9月11日、霞が関の角にテントが立った。何が始まるのかと私も出かけて行った。1つのテントでは女性たちが座り込んで布を裂き、長いひもを作って運動会の大玉転がしのように大きなものを作っていた。それを見た時、「ああ、このテントはなくならない」と思った。直観だが、手仕事をする人たちは、粘り強く、少々のことではへこたれないのだ。案の定、テントそのものが無くなっても、続いた。もちろん手仕事をしていた人たちだけのおかげではなく、参加した人たちの強い思いがそうさせたと思っているし、最も強い動機は、みんなの心の中に消えないテントがしっかりと建ってしまったから……。これは経産省も、国も大きな誤算だったと思う。そして今日、丸11年を迎えた。私も気合を入れなおして、霞が関の交差点にいく。懐かしいお顔があっちにもこっちにも…。

・先ず音楽から集会は盛り上がっていく。主催者の挨拶の後は、フクシマからお二人の女性がスピーチをする。椎名千恵子さんは、11年経っても原発のすべてが変っていない。それは国の責任だ。東電が「お詫びはするけど、謝罪はしない」と、訳の分からないことを言ったが、この状態全ての責任は、そこに象徴されるとした。

・黒田節子さんは、福島の復興五輪とか言っているが、オリンピックのお金の問題が今頃あぶりだされてきて、遅すぎると切り捨てる。そして、子ども甲状腺がんの訴訟への支援を呼びかけるとともに、原発による甲状腺がんは増えていないと国は相変わらず詭弁をふるうと強く指摘。しかも地元駅前での定期スタンディングに対し、道行く人が「あんたらが福島の復興の邪魔なんだよ」と言われると、怒りをみなぎらせて訴えた。

・事故当時の首相の菅直人さんは、原発の責任者である経産省の役人が原発について素人で、電力会社の責任者も同様だったというところから話しはじめる。そして、現在原発がほとんど動いていないのは、みんなの運動のおかげであるという。ウクライナの情勢から考えても。原発は即核兵器であることは明らかで、しかも原発がなくても電気は十分に足りていると強調し、営農型太陽光発電に言及した。

・神田香織さんは、原発事故の過酷さは、簡単に終焉するものではないこと。まだまだこれからも続く被害がある。安倍の嘘を隠すために人が死に、「安倍政治」そのものの終わりも見えてきたし、統一協会に支配されていたことも分かったと話し、福島の詩人、小島力さんの「5人のデモ隊」の部分を朗読(『故郷は帰るところにあらざりき』西田書店に収録)。

・落合恵子さんの出だしは優しい。(テントが撤去されたのは)雑草のように抜かれたのではないくて、根っこが残っていると。ずうっと雑草のように根っこが残って反原発、脱原発を言い続けているみんなの力が原発の開発を止めてきた。これからもみんなの力で止めていきたいという。言われてみて、ああそうだったんだと改めて思い、強く励まされた。

・河合弘之さんは、前日に東京で封切られた彼のプロデュース映画『原発を止めた裁判官そして原発を停める農家たち』を紹介しつつ、菅さんの「営農型太陽光発電」を論理補強する。印象に残ったのは「エネルギーを得る方法の中で、唯一国を滅ぼすのは原発だけである」ということ、経費対効果では、5%しか生み出さず、必ずや経済現象によって瓦解すると指摘。とはいえ、早く原発を停めていかなければ、それだけ高リスク期間が長引くと。

 その後、「座り込めここへ」をみんなで合唱。希望の牧場の吉沢正巳さん、避難住宅のことでは鴨下祐也さん、たんぽぽ舎などの発言がつづき、最後に福島の会津の民謡カンショ踊りで締めた。渕上太郎さんがお元気だったころこれを踊りながら経産省を取り囲んだら、その場で渕上さんは警察に連行20日も留め置かれたという武勇伝もある。

 去りがたき想いをそれぞれ抱きながら、帰宅の途についた。

*写真=笠原眞弓・ジョニーH


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