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「民主主義って何だ?」の問いを手放さず〜改憲「国民投票」を念頭に

植松青児

 「民主主義って何だ?」というシールズのデモコールを、なんで既存の市民運動は引き継ぎ取り入れなかったのだろう? 参院選の選挙戦をウォッチしながら、そして(極右政党である)参政党の大躍進という結果を見ながら、ずっと考えていた。民主主義がきちんと機能した上で自公が政権を得ているのではない。民主主義の機能不全のなかで自公が政権を握っている。だから民主主義を立て直しつつ(取り戻しつつ)、自公とは異なる政治を提起する、市民の側はずっと二重の課題が課せられている。(*写真=著者)

 しんどい話だ。やっぱりうまくいかなかったと思う。戦争法から7年、日本の民主主義の形骸化はほとんど改善されていないし、その形骸化の隙に「参政党」のような、ポピュリズムを取り入れた極右政党が議席を得てしまった。

 戦争法が成立した瞬間、シールズの奥田さんは国会前で「野党は共闘」というコールを発したのだが、正直「この局面でそのコールは違うな…」と感じた。その瞬間こそ「民主主義って何だ」という問いを発するべきだし、その問いを持ち帰るべきだった。あるいは戦争をさせない、というテーマに徹するべきだった。シールズが活動を終え次の世代の「未来のための公共」も活動休止したとき、「民主主義って何だ」というコールは市民運動からほぼ消えた。

 悶々としながら帰り道で、風呂で、洗濯機の前で「民主主義って何だ」と独り言をいう自分がいる。(ちなみに冒頭に「ん」を入れて「んみんしゅしゅぎって〜」と言えば、誰でもうまくコールできます)。なぜ、既存の市民運動は「民主主義って何だ」というコールを引き継がなかったのだろう。問いを共有する、という文化を共有しなかったのだろう。問いを共有し、その問いに対して市民といっしょに答えを模索する姿勢を取らなかったのだろう。山本太郎氏は街頭で質疑応答を重視し、大型モニターを駆使して街頭学習会的な活動を積み重ねたが、立民も共産もその手法をパクリもせず、それまでの「音声で訴える」手法から脱皮しなかった。しかも音が大きいだけで音質の悪いトランジスタメガホンの音声で。

 けっきょく、市民運動も野党も、「民主主義ってなんだ」という問いを放置してきたのだ。最近の言葉を使えば、民主主義についての「解像度」を高める努力を怠ってきたのだと思う。解像度を上げるとは、たとえば投票率の高い北欧の事例を学ぶとか、米国の民主党の選挙運動手法を学ぶとか、BLMの運動を学ぶとか、欧州の左翼運動を学ぶとか、もちろん韓国や台湾などの市民運動、そしてフェミニズムの運動から学ぶとか、たぶんそれまでの市民運動の人脈の外側から学び、そこから新しい手法をつかんでいくことだろう。手法というのは、スピーチでの語りかけや言葉の使い方をも含む。

 民主主義の「解像度」を高めるべく実践・模索している人は、小金井の片山かおるさんや、板橋の和田悠さんをはじめ私のFB友にもおられる。もちろん、きょうから杉並区長に就任する岸本聡子さんもその1人になるだろう。どうやって広がっていくのか。メディアはその模索をどうやってサポートできるのか。

 さて、ここまで長々と「民主主義って何だ」にこだわって書いてきたのは、そろそろ改憲の「国民投票」への備えが必要だからです。今から本気で考えておかないと、後手に回ったら勝ち目はないと思います。なので、「民主主義って何だ」という問いを手放さないまま、改憲「国民投票」のことを考えましょう。ごいっしょに。


Created by staff01. Last modified on 2022-07-11 12:48:30 Copyright: Default

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