| 〔週刊 本の発見〕『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』 | |
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「絶対に選手を殴るな」と命じた落合博満『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(鈴木忠平 著、文藝春秋、2021年9月、1900円)評者:大西赤人
今からちょうど四十年前に当たる1981年晩秋、筆者は、都内のある団体を泊まりがけで取材してルポを書くという某週刊誌の仕事を受けた。ひとまず大手の出版社だったので待遇は良く、宿泊先は――金大中拉致事件の舞台として知られ、コロナ禍の影響も伴い今年6月に49年の歴史を閉じた――九段下のホテルグランドパレスだった。一日目を終えてホテルに戻ると、ロビーのソファに坐る一人の男の姿が通りすがりに眼に留まり、それは、その時プロ入り三年目・満27歳の落合博満だった。当時からプロ野球ファンだった大西は容貌ですぐに判ったものの、そこがドラフト会議などプロ野球関連イベントの舞台となるグランドパレスだったからこそ、ピンと来たところもある(実際、その日は、1981年度の各部門表彰式当日だった)。
新刊として好評に迎えられている本書は、『嫌われた監督』という題名に象徴される通り、2004年から2011年にかけて中日ドラゴンズを指揮した落合の「監督」時代を中心としたドキュメントである(『週刊文春』連載、完結後加筆)。著者の鈴木は、スポーツ新聞社において中日及び落合を担当したいわゆる「番記者」。当初は隔たりを感じていた落合に対して次第に惹きつけられ、その人間性の深みに触れようと努めた時間を感情移入的に描き出している。エピソードの多くは、大西もリアルタイムに見聞きしていた出来事であり、本書を読みながらWikipediaで記録を確かめたり、You Tubeなどで映像を見つけたりしながら、折々の模様をまざまざと振り返ることにもなった。 落合「監督」に対しては、八年間総てAクラス、リーグ優勝四回、日本シリーズ優勝一回という極めて優秀な結果を残したにもかかわらず、�狆,討个いい鵑世蹐Ν瓩箸任發いΔ茲Δ淵侫.鵑魴攣襪靴伸猝滅鬚澆里覆ぬ邉絖甅猗鷯陲別邉絖瓩謀按譴靴燭�ゆえに、ついには優勝争いの渦中にありながらも事実上の解任に追い込まれた、との世間的評価が専らであった。しかし、時を置いて、選手はじめ裏方をも含めた周囲の人々の証言を織り交ぜながら改めて綴られた落合は、当然ながら、好き勝手に「オレ流」を貫いた暴君的な人間ではない。 「人々は結果に一喜一憂する。答えが出るまでに、誰がどのような決断を下したのかはほとんど知らない。四番バッターの、ストッパーの、そして指揮官の葛藤を知る由もない。それがプロ野球だ」 鈴木のこの一文に象徴される通り、(野球に留まらず)ファンは自由である。選手や監督が日々どれほどの鍛錬と苦悩とを経ているかなどには全く頓着せず、飲んで食って寝転がってそれを眺めながら、彼らの三振を嘆き、エラーを罵倒し、敗戦に激怒する。以前であれば、それは茶の間や飲み屋における狭い範囲でのやりとりに終っていたわけだが、現代は、誰もが名前も顔も出すことなくインターネットを通じて、自分の想いをあからさまに世界へと発信することが出来てしまう。試合の進行を見ながらTwitterを覗くと、その選手が属するチームの「ファン」を称する人々の「二軍に落とせ」「クビにしろ」「クズ」「死ね」というような罵詈雑言が凄まじい勢いで流れて行く。そしてそれが外国人選手であれば、「(アメリカに)送り返せ」「給料泥棒」などの悪口ととともに、Wikipediaの国籍が「北朝鮮」と書き換えられる。屈折した二重の差別観である。 落合は、そのような自らに向けられる�牋�意�瓩箸いΔ發里剖�しない人物だったのであろう。言うまでもなくそれは、自らの卓越した能力に支えられた矜持ゆえであったに違いないが、同時に、高校、大学の頃から野球部における体罰や封建的上下関係を嫌い、監督就任と同時に――むしろ鉄拳制裁さえ持ち味のようにチームに君臨した星野仙一に正面から抗うがごとく――「絶対に選手を殴るな」とコーチに命じた落合は、旧態依然とした野球の暗部を革める上で、�牋�意�瓩鮗�け止める大きな覚悟を持っていたのではないだろうか。 本書は読み応えのある一冊ではあったが、大変気になったところに触れておく。単行本は420ページ、大西は電子書籍版で読んだ。ドキュメントとして書き手の心情が先行することはあり得るけれども、その心情を無頓着に提示している描写があまりにも多い。即ち「なぜか」「妙な(に)」「どこか」「どういうわけか」「いつしか」「何か」「ふと」「いつの間にか」「不思議と」というような曖昧な描写が入れ代わり立ち代わり頻出するのである(電子書籍だと抽出は簡単で、たとえば「なぜか」は20箇所、「どこか」は40箇所以上、「何か」は90箇所以上使われている)。このような表現は、「あの話はなぜか私の心にずっと残っていた」とか「この日のロッカーはどこかいつもと違っていた」とか「何かを暗示しているような言葉だった」とかというように、明確な記述をせずとも意味ありげなイメージをもたらし得る。しかしながら、本来のドキュメントには、その一つ一つの「なぜ」や「どこ」や「何」の正体を示すこと――少なくとも解き明かそうとすること――こそが求められるのではないかと思うのである。 *「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。 Created by staff01. Last modified on 2021-12-04 23:20:30 Copyright: Default | |