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LNJ Logo 〔週刊 本の発見〕時代を超えるパワー/『挑発する少女小説』
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毎木曜掲載・第214回(2021/7/22)

時代を超えるパワー

『挑発する少女小説』(斎藤美奈子著、河出新書、2021年6月、860円)評者:佐々木有美

 わたしも『赤毛のアン』や『若草物語』といったいわゆる少女小説に夢中になった時期があった。なぜあんなに惹きつけられたのか。少女小説をジェンダー視点、歴史社会的視点で徹底的にフカボリした本書を読んで、その理由があらためてわかったような気がする。そして気づくことのなかった多くのことが見えてきた。

 著者の斎藤によれば、19世紀後半から20世紀前半にかけて書かれた少女小説は、文学史的には「家庭小説」のジャンルに属する。産業革命後の中産階級の出現によって、「男は仕事/女は家庭」という性別役割社会が成立し、良妻賢母を育てる一つの社会的ツールとして存在したのが「家庭小説」だった。教育(識字率)の向上、出版文化の興隆で、本や雑誌を読む女性は増え、それに従って書く女性も増えた。この時代は欧米の女性文学の黄金期ともいわれる。しかし、すべての少女小説が生き残ったわけではない。生き残った小説の主人公のほとんどは、良妻賢母とはまったく逆に、「おてんば」で自己主張が強くわが道を切り開いていく。今流にいえば「わきまえない」女の子たちなのである。

 たとえば、四姉妹の物語『若草物語』の二女、作家志望の15歳のジョーは、男の子になりたかった女の子だ。「とにかく女の子だっていうのがいけないのよ。私は遊びだって仕事だって態度だって、男の子のようにやりたいのに」。第一波フェミニズム運動(女性参政権運動)に先駆けるこの時代(1860年代米国)に彼女が望んだのは、「幸せな結婚こそ女の幸せ」という母親の願いとは真逆のジェンダー平等だった。

 『ハイジ』を「出稼ぎ」小説と捉えた著者の視点には驚かされた。スイスを舞台にしたこの小説は、19世紀後半、産業革命後の都市と農村の貧富の格差を描いている。クララが代表する都市の豊かさ、ペーターが体現する農村の疲弊。資本主義は多くの出稼ぎ者を生み出した。少女たちも例外ではない。ハイジは、病弱のクララの遊び相手として都市に「出稼ぎ」に行き、ラッキーにも教育を手にして村に帰る。そして身近な人々の人生を豊かなものへ変えていく。

 『あしながおじさん』の主人公のジュディーは、社会主義者になる。彼女は、孤児院で育った「みなしご」だ。篤志家のあしながおじさんの援助で大学に行く。最初はあしながおじさんに物心共に依存していたが、大学生活で自立心を培い、「奨学金を受け取るな」というおじさんの命令を堂々と拒否する。そしてついにはフェビアン協会(社会主義者の団体)員へ。「たぶん、わたしは社会主義者になって当然の人間なのだと思います。だって、プロレタリア階級のうまれだから」。女性参政権獲得運動と社会主義への共感が花開いた20世紀初頭は、社会主義者を主人公にした少女小説を生み出した。『続あしながおじさん』では、ジュディーは友人のサリーに託して、自分のいた孤児院の改革に乗り出す。

 まだまだエピソードは尽きないが、あとは、ぜひ本書を読んでいただきたい。まだ読んでいない方は原本もぜひ。自己の運命と格闘し自分と周囲を変えていく主人公たちに、時代を超えたパワーをもらえることは確実だ。

※本書に登場する本 『小公女』(バーネット、1905)『若草物語』(オルコット、1868)『ハイジ』(シュピーリ、1889-1881)『赤毛のアン』(モンゴメリ、1908)『あしながおじさん』(ウェブスター、1912)『秘密の花園』(バーネット、1911)『大草原の小さな家』(ワイルダー、1932-1943)『ふたりのロッテ』(ケストナー、1949)『長くつしたのピッピ』(リンドグレーン、1945)

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志水博子・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子、黒鉄好、加藤直樹、ほかです。


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