〔週刊 本の発見〕『ニチボーとケンチャナヨ 私流 映画との出会い方2』 | |
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映画祭がつくる幸せな空間『ニチボーとケンチャナヨ 私流 映画との出会い方2』(岸野令子、2021年、せせらぎ出版)2700円+税)評者:中村富美子
そもそも映画には、知らない世界に開かれる喜びがある。国際映画祭は多様な映画作品とともに、様々な地域からやってくる人々と語り合い知り合う場でもある。その出会いこそが、映画を作る側にも見る側にも幸せな空間を作っていると岸野さんは言う。 興行が難しく、陽が当たりにくいドキュメンタリーならことさらだ。見る機会の稀な、しかし世界を知るのに欠かせない作品を心待ちにする観客がいて、彼らの熱い反応が実感できるから監督たちも撮り続けられる。山形国際ドキュメンタリー映画祭はその好例として称えられている。(写真右=著者)
その韓国で作られる映画は、社会性に富んだ娯楽作品の質の高さと層の厚さで日本をはるかに凌いでいると思うが、背景にある国の文化政策の違いも具体的に示される。国立の映画大学はじめ映画を専門に学べる高等教育機関の充実、映画制作への資金援助制度、等々。映画という芸術・文化を社会の共有財産とする考えに、あらためてわが足元の貧しさを思う。そして忘れてならないのが、女性の目を通して世界を見る視点だ。1997年に始まったソウル国際女性映画祭を通じて、女性監督の活躍が語られる。なかでもパターナリズムを巡るコラムが秀逸なので、少し紹介しておこう。 「パターナリズムは大阪弁で言うと『私の方がエライんやから、あんたは心配せんと、私の言う通りしてたらエエねん。悪いようにはせえへんさかい』という考えである。『家父長的温情主義』とも訳されるらしい」。こうしてパターナリズムという鋭利なナイフを手にした著者は、巨匠たちの名作をまな板にのせていく。山田洋次監督の『学校』シリーズも、クリント・イーストウッドの『グラン・トリノ』も、切れ味鋭くばっさり。「当分、このナイフ離せません」。痛快な著作である。 Created by staff01. Last modified on 2021-05-10 18:32:10 Copyright: Default |