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LNJ Logo 高井弘之 : 「コロナ状況」を前に考えたいこと、考えるべきこと
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投稿 : 高井弘之

この間、「コロナ問題」についての拙文を、時折、投稿していました。以下は、愛媛のある運動団体の通信用に書いたもので、
以前のものと重なるところも多いですが、よりかみ砕いた形にと思って、「言葉化」し直したり、整理・加筆したりして、よりまとまった形をと試みたものです。
これまで、個人の尊厳や国家からの自由を重要な原理とする現憲法を擁護していた人たち・論客の多くが、それらの原理・価値と対立・矛盾する側面を持ち、私たちに対する政府のより強い管理・統制ー支配の強化をも意味する「感染症対策」を政府に強く求める状況に、危機意識を持っています。
「コロナからの安全」は誰しも求めることで、かつ必要なことですが、そのとき、これら憲法原理や、私たちの主体性・自己決定権・自治・連帯といったものとの関係はどうなるのか、そのような問題との「葛藤」は、はたしてどれくらいあるのだろうかと。
新年早々、長い文章で恐縮ですが、一読していただけると幸いです。

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「コロナ状況」を前に考えたいこと、考えるべきこと
ー自由・自己決定権・個人の尊厳はどこに、「安全」への全体主義の中でー

いま日本では、「コロナ」対策だと言えば何でも通り、誰もがそれに従う状況が作り出されています。私たち市民が直接会うことや様々な活動の「自粛」が強いられ、私たちのプライベート空間にまで「新たな生活様式」という名の中央・地方行政権力の干渉―統制が及んでいます。
これは、「コロナからの安全」のために「仕方がない」ことでしょうか。それと気づかぬまま、私たちにとってとても大切な何かを奪われ失ってはいないでしょうか。
報道情報がつくり出す「コロナをめぐる現実」
まず初めに、私たちの前に立ちはだかり、私たちがそうだと認識しているだろう「コロナ(COVID-19)状況―現実」とは、はたしてどのような「現実」なのか、考えてみたいと思います。
思うに、私たちのほとんどは、「新型コロナをめぐる状況―現実」を、自らの直接的な知覚体験ではなく、基本的に、「報道情報によって構成」し、描いているのではないでしょうか。そうであるならば、その報道のされ方―描き方が変われば、それに合わせて、私たちの中の「コロナ現実」もまた変わるのではないでしょうか。
たとえば、「コロナ状況」に関する今回の政府発表―報道の仕方における特殊性として、検査・陽性者数の発表という形をとっていることがあります。「陽性=感染」ではありませんが、そのようにしたうえで、「陽性者数=感染者数」の形で「コロナ状況―現実」を描いています。
一方、これまで、インフルエンザでは、政府・厚労省は病院に行った患者数の発表という形をとり、(「感染」ではなく)発症し、かつ、病院へ行った人の数―患者数によって「インフルエンザ状況―現実」を描いていました。
では、現在の「コロナ状況」が、陽性者数ではなく患者数で発表され報道されていたら、私たちの中の「コロナ現実」はどうなっていたか――「変わっていた」のではないか、私たちは問い、考える必要があると思います。
感染症によって割合の違いはありますが、それに感染したうちの(ごく)一部の人だけが発症することから(たとえばコレラの場合も、感染してもほとんどの場合無症状)、「感染」と「発症」ではその意味することも重要度も全く違っているにもかかわらず、その説明はないまま、新型コロナでは、検査の陽性者数を極めて重要・重大視して(不安と恐怖を煽り)、それへの「対策」も、この「数」に依拠して行われる形になっています。
(ちなみに、いま〔12月下旬〕コロナでは全国での「陽性者数」が1日2千〜3千人台という単位ですが、インフルエンザ流行期には熱や咳などを発症して病院に行った「患者数」が全国で1日30万人程度といった状況でした〔厚労省ホームページ〕。)
これは一例ですが、私たちは、政府―報道が描き出す「コロナ世界―現実」を、現実そのものと見なして自らの意識の中に描いていないか、そしてその「描かれた世界」に依拠する形で不安や恐れを抱いていないか、行動を規制していないか、あるいは、他者の行動を批判していないか、検証する必要があるのではないでしょうか。
政府・自治体による感染症対策とは何か
ところで、コロナ等の(疫学的)感染症対策は、個人ひとり一人の(病気からの)救済を目的とする通常の臨床医療とは違い、社会・国家「全体」のために行われるものです。
政府・自治体が日々、「全体の感染者数」を発表し続けていることからもわかるように、「対策」の目的はこの「全体数」を減らすことにあります。
保健所が検査・陽性者との連絡が取れなくなった場合、警察に「行方不明者届」を出すことができる(―「発見活動」を要請できる)とする通知(2020年7月22日)を厚労省が出していますが、それをするのは、保健所長が「感染拡大を防止するために迅速な対応が必要であると認めるとき」です。
それが、その人の健康―発症を気遣ってではなく、感染拡大防止のために、つまり、個々人ではなく全体のために(「陽性者狩り」が)行われるところに感染症対策というものの本質―目的が如実に表れています。そこでは、個人は、「対策」の対象・客体であり手段なのです。
この「全体のための規制」という「対策」のもつ性格から、「コロナ禍」ならぬ「コロナ対策禍」とでも呼ぶべきことが、その必然として、ひとり一人の身に降りかかります。
個としての自由や自己決定権を奪われ、「自己隔離」(軟禁)し、行動を規制され、友人らにも会えないこと――人と人との関係を持てないこと。「自衛」としての自営営業を制限し停止せざるを得ないこと。「対策」のために失業し日常の生活が成り立たなくなること。そして自らの命を絶つこと。学業を続けられなくなった学生たち。いわゆる「コロナ鬱」に苦しむ人たち。
これらは、コロナからの「全体の安全」―「国家・社会の防衛」のために、かけがえのない個人の生活や自由や尊厳を犠牲に供さねばならなかったことから起こったことだと言えます。そして
その犠牲は、余裕や支えなく、日々、ぎりぎりのところで生活をおくっていた人たちがより多くこうむります。
個人の尊厳と全体主義
個人よりも全体を優先し、個人は全体の目的・利益のために尽くし従うべきだとする考え方――全体主義をごく簡単に定義するとこのように言えると思います。そこでは、全体のために個人の
自由や権利を制限することが当然視されます。
一方、現憲法の核心にある価値は〈個人の尊厳〉です。これは、個人よりも集団や国家に価値を置く全体主義に対して、全体よりも個人に価値を置く、個人を価値の根源とする考え方であり、
憲法の基本原理です。「コロナ対策」下の状況は、この価値―原理がどこかに放擲され、全体主義的な発想―考え方が社会を覆い尽くしている状況と言えるのではないでしょうか。
全体主義的なものを受容してしまう「からくり」の一つに、「個人の利益は全体の目的を達成することでしか得られない」と思わせられ、思い込むといったことがあります。実際、感染症の場合、そういう側面があることも事実です。
しかしいま日本では、ほとんどの人々が、仮に一定の必要性がある「対策」であってもそれが私たちの生活を管理・統制し、自由や自己決定権を奪うものであることに対する葛藤や抵抗―拒絶感などがほとんどないまま従順に、足並みをそろえて従っているように見えます。
しかも、これまで権利や憲法を擁護していた野党やいわゆるリベラル左派層の多くが、さらなる統制や自由のはく奪をも意味する、より強い「対策」を政府に要求する状況が現出しています。
安全への全体主義
むろん、健康や生命こそ大切であり、それらを「コロナ」から守るためには仕方がないのだという考え方も一定の説得力を持っているでしょう。しかし、社会・国家全体が「コロナからの安全」のみを焦点化し最優先したときに起こることに、奪われ失うものの大きさに、私たちは思いを致すべきではないでしょうか。
このとき、「全体の安全」の妨げとなると見なされた人びとは激しく非難され排除される状況が生まれます。それは、いわゆる「自粛警察」の行為や、陽性者に対する人びとの言動に明らかです。関東大震災時の日本国家・日本人による朝鮮人大虐殺やナチスによる障がい者・ユダヤ人抹殺はこの姿勢―価値観の延長上にあったとも言えます。
また、他国の攻撃からの「国民の安全」保障を名目に、軍備が増強され私たちの「生活の安全」保障費―社会福祉が削られたり、軍事統制下に置かれて「国家からの安全」保障権としての自由が侵害されたりすることからわかるように、「安全」問題は、私たちのそれへの不安感を醸成―誘導しながら、私たちの自由・権利・利益を奪う性格を持っています。
国家や社会全体が「安全」を名目に私たちに迫ってくるとき、それからの「私たちひとり一人の安全」――つまり自由や尊厳を確保することはとても困難な状況になります。「安全への全体主義」状況の中でどうやって個人の主体性や自己決定権を確保し自由や尊厳を守るか、個々人の水平的つながり―連帯を創り出していくか、そしてこの状況全体をどうやって変えていくか―いけるか、強い危機意識のなかで考え続けています

Created by staff01. Last modified on 2021-01-04 14:29:29 Copyright: Default

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