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美術時評 : 冬の初めに〜都美術館での3つの展覧会

「ゴッホ展」「Everyday Life:わたしは生まれなおしている」「〈上野〉の記録と記憶」

志真斗美恵

 「ゴッホ展」の日時指定入場券を買ってあったので、冷たい雨の日だったが、上野の東京都美術館に行った。真っ赤に色づいたもみじや銀杏の黄色の葉が濡れた道に落ちている。久しぶりの上野は美しかった。

 わたしの眼目は、同じ美術館で開かれている「Everyday Life:わたしは生まれなおしている」と「〈上野〉の記録と記憶」の二つの展覧会だが、まずは「ゴッホ展」に入る。悪天候にもかかわらず当日券完売の札がでて、会場は行列ができるほどにぎわっている。展覧会の副題は「響きあう魂 ヘレーネとフィンセント」で、富豪の妻ヘレーネ・クレラ⁼ミュラーが収集し、クレラ⁼ミュラー美術館に収められているゴッホの作品が中心に展示されていた。

 私がまずひきつけられたのは、<素描家ファン・ゴッホ、オランダ時代>の20枚の素描だ。描かれている人物は例外なく民衆で、ゴッホの関心のありかがわかる。正装してコーヒーを啜っている養老院にいる男性のズボンは破れている。これは「コーヒーを飲む老人」だが、「祈り」「かごに腰かけて嘆く女」「縫い物をする女」など、ケーテ・コルヴィッツが描いた女性たちを思わせる素描が幾枚もあった。 

 一方で「サン=レミの療養院の庭」に代表される明るい色彩の花の絵にもひかれた。その美しさにゴッホは癒されたのだろうし、好きだったのに違いない。

 「種まく人」を前にして、私はゴッホの民衆とともにあろうとする生き方がわかった気がした。ゴッホは、ミレーの「種まく人」を知っていた。そのうえで、あえて油彩で、大きな太陽を背にして、畑で種をまく人を彼は描いた。ゴッホは、人びとの生活に対して、画家として<種をまく人>にもなりたかったのだろう。

 ゴッホの作品にまた会えたことがうれしかった。

 「ゴッホ展」の余韻に浸りながら、「Everyday Life:わたしは生まれなおしている」展へ入る。この展覧会は、2017年から始まった「上野アートプロジェクト」一環で、年1回異なるテーマを設定して、公募展を舞台に活躍する作家たちを紹介する第5弾になる。今回の〈生まれなおしている〉は、スーザン・ソンタグの言葉からとったそうだが、どんなことなのか、考えながら開催を待っていた。

 「第1章 皮膚にふれる 貴田洋子 桂ゆき」「第2章 土地によりそう 常盤とよ子 小曾川瑠那」「第3章 記憶にのこす 川村紗耶佳 丸木スマ」と6人の女性画家に分けられ、それぞれ何点もの作品が展示されている。6人のうち、3人はすでに亡い。

 貴田洋子(1949―)の大きなこぎんの作品に圧倒される。針を持つのが私は好きで、いつかこぎんを刺してみたいと思っていた。青森出身の貴田は、絶えそうなこぎんを復活させ、季節を感じさせる作品を制作している。「富や権力や権威を背景としない名もない農民の野良着から生み出された津軽こぎん刺し。各伝統文化に見られる煌びやか、荘重、詫びなどは一切見当たりません。しかし私には人肌に最も近いやさしい文化を感じます」と貴田は言う。布にふれ、その布を1針1針刺し、「まだら刺し」と名付けた手法なども駆使して青森の風土を描いた。

 桂ゆき(1913―1991)の風刺はユーモアに包まれている。日本人には稀ともいえるユーモアは、自立した女性画家がまだ存在しない時代に育ちながら、彼女が獲得していった資質と言ってもよい。1948年制作の「ひまわりの咲く午後」は、この展覧会のチラシにも使われていた。手提げのなかに配給された食べものが入っている。3人の女性は口を大きく開け、互いに牽制しあっている。おぶった子どもに気を配る余裕などない。3人の目も背中の赤ん坊の目も面白い。「ひまわりの咲く午後」というタイトルより「女三人」という原題のほうが内容を言い当てている。

 「ごんべとカラス」(1966)も目玉が印象的。「マスク」(1970頃)は、まるで今の私たちの姿だ。

 1913年、東大教授の娘に生まれた桂ユキが、どのようにして風刺とユーモアの精神を獲得できたのか、どう生まれなおしていったのか、あらためて探ってみたい。

 横浜で生まれ育った常盤とよ子(1928−2019)の写真は、1950年代の横浜の娼婦たちの日常を撮ったものだ。今横浜に、赤線と言われる地域はむろんない。米兵もいない。こうした写真を撮れたのは、常盤が女性であり、彼女らの姿をとどめなくてはという切迫した思いが強くあったからだろう。

 丸木スマ(1875−1956)は『原爆の図』で知られる丸木位里の母で、広島で身近な人びとを幾人も亡くしている。スマは、息子夫妻にすすめられ70歳を過ぎて初めて絵筆をとる。そして没頭した。50年アンデパンダン展出品を皮切りに作品を公募展に出品。その「素朴さ」を評価されたスマは、身近な動植物や生活を描く。それは、いまも〈生きることのよろこび〉を私たちに訴える。

 今活躍中の小曾川瑠那(1978−)、川村紗耶佳(1989−)は、二人とも若い。小曾川はガラス工芸の分野で、川村は、優しい色使いで女性人物像を木版画で描く。二人の作品を、私はこれまでほとんど見たことがなかったにもかかわらず、それぞれが、見ている私自身の記憶や存在を問い直す力をもつ作品であった。

 女性が、生まれなおすとはどんなことだろうか? あらためて考えさせられる展覧会だった。

 「〈上野〉の記録と記憶」展は、向かいの部屋で開かれていた。

 読書会のたびに、ショルダーバッグからタウン誌『うえの』(月刊)を出し、渡してくださった小沢信男さんを思い出す。小沢さんは、『うえの』発刊当時からかかわっていて、上野の商店街の人たちとも交流があった。小沢さんは、今年3月3日93歳で亡くなられた。『うえの』は、体裁は変えずに、いまはウェブのみで発行されている。

 この展覧会は、1926年、日本初の公立美術館として上野に誕生した都美術館ならではの企画だ。西郷隆盛の有名な像の先に戊辰戦争犠牲者慰霊碑がある。私は京成電車に乗って上野に来るたびにこの碑を見て戊辰戦争へ思いを馳せていた。明治までは寛永寺の広大な境内だった土地が、明治になり上野公園となる。展示されていた色彩豊かな幾枚もの版画が、明治の上野公園の様子をあらわしていた。

 関東大震災の犠牲者も忘れられない。行方不明者を探す張り紙で西郷隆盛像が覆われたという。当時の上野を描いた鹿子木孟郎の「震災スケッチ」が展示されていた。

 展示をみながら、上野が舞台になっている『夢見る帝国図書館』(中島京子著)と『JR上野駅公園口』(柳美里著)を思い出した。『夢見る帝国図書館』は、上野に住む一人の女性を主人公に、日本初の帝国図書館の歴史をたどる。時代に翻弄された女性と、図書館の創立前後から、戦争による蔵書の変遷、そこを訪れた文豪たちの姿も生き生きと浮かぶ。

 『JR上野駅公園口』は、上野公園で生活するホームレスの人たちと同時代の天皇一家とが対比してえがかれる。前回の東京オリンピックの時から話は始められる。この小説を、展覧会第3章「戦争と上野」の写真やスケッチに触発され思い起こした。

 桑原甲子雄による30点の「出征軍人留守宅家族記念写真」(1943)は、下谷区内で、1家族1枚のみの限定でとったもの。当時の庶民の姿がリアルにとらえられている。彼の敗戦後撮影した「台東区上野駅地下道」も展示され印象的だった。

 林忠彦の写真「引き揚げ(上野駅)」(1946)では、若い母親と赤ん坊が、筵の上で眠りこけている。東京美術学校で学んだ佐藤照雄は、敗戦後上野に戻り、家をなくしここに寝泊まりする人びとの姿をとどめておかなくてはと思う。彼は10年もの間、終電で上野に行き始発電車で家に帰る生活をして「地下道の眠り」(1947-56)をスケッチした。ここで眠る人びとの様子は、当時のすぐれたそしてかけがえのない記録にほかならない。

 コロナ禍の前、上野公園の片隅で食事の配給に並び、ぼそぼそと賛美歌を歌うホームレスの人びとを見たことがある。いま、かれらは、より悲惨な状態にあるだろう。

 上野での「ゴッホ展」はすでに終了、福岡で2021.12.23~22.2.13開催。「Everyday Life:わたしは生まれなおしている」(500円/65歳以上350円/学生以下無料)と「〈上野〉の記録と記憶」(無料)は、来年1月6日まで。

*東京都美術館ホームページ


Created by staff01. Last modified on 2021-12-18 10:00:57 Copyright: Default

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