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106歳が若者に伝えるホロコースト〜映画『ユダヤ人の私』

  笠原眞弓

 昨年秋から今年にかけてホロコーストの映画が多いと思っていたら、ホロコースト80年だという。こうしてドイツは自分たちの犯した戦争の後始末を、これでもかというほどしていることを尊敬する。常にその作業をしていないと、いつの間にかどこかの国のようにそれは素晴らしいことだったとすり替えられていく可能性があるからだ。

 この映画は、まさにそのことためにあるようなものだった。『ゲッペルスと私』という映画があった。全編インタビューだった。その監督が、第2弾として制作したホロコーストの証言映画だ。

 彼、マルコ・ファインゴルト(106歳)は、人生の74年間を、オーストリアのユダヤ人政策と、ナチスのホロコーストについて語り続けている。誰も彼を止めることはできないし、こんな細かい話を聞いたこともない。では彼は、自分や親兄弟の人生を奪ったナチズムに対しての恨みで固まっているのかというと、そんなことはないと言える。彼の言葉の随所に、何が起こったのか、正確に若者に伝えたいという思いが溢れているのだ。

 前作の『ゲッベルスと私』も、私たちの心をとらえたが、今作も監督たちの、事実を脚色なく伝えなければという思いと、ファインゴルト氏の最後の生き証人の務めを果たしたいという気持ちが相乗効果で迫ってくる。

 複数の収容所にいたユダヤ人は、たちまち母国の手配で帰れたのに、故郷ウィーンへの帰還を希望した彼等はなぜ拒まれたのか。ナチスがオーストリアに進軍し手中にしたのは1938年3月で、いとも容易に占領できたようだ。ファインゴルト氏はその時の様子を「市内は歓迎ムードで、どんなお祭より人々が集まった」とその渦中で感じたと言う。ウィーン側は、早速ユダヤ人の名簿をゲシュタポに提出している。そこにはオーストリアの市民が持っていた、ユダヤ人に対する2000年にわたる宗教的こだわりが見えてくる。

 紆余曲折を経て、彼は終戦までの6年間を4カ所の強制収容所で過ごすし、体力が極端に落ちる。それにもかかわらず、生き延びたのは奇跡に近く、この歴史の事実を後世に伝えるべく選ばれた人なのかもしれないとさえ思った。

 帰国後の彼は、ユダヤ人と非ユダヤ人との深い溝に心を痛め、法を犯してまで、積極的にユダヤ人のイスラエルへの出国事業に取り組みはじめる。それをオーストリア政府は黙認する。彼らがそうせざるを得ない裏に「ヨーロッパでのホロコーストとは」が語られた気がした。

 途中に挿入されるニュースやプロパガンダ映像、彼宛てのネオナチ的手紙が、さらに気持ちをザワザワとさせた。

・監督:クリスティアン・クレーネス、フロリアン・ヴァイゲンザマーほか2名・111分
・公開日:11月20日 岩波ホールにて順次全国公開


Created by staff01. Last modified on 2021-11-23 09:44:13 Copyright: Default

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