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LNJ Logo 山口正紀のコラム : 検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪(下)
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●山口正紀の「言いたいことは山ほどある」(2021/9/15不定期コラム)

検察による口封じ殺人? 死刑執行された冤罪――「飯塚事件の再審を求める東京集会」(オンライン)から(下)

 久間三千年(くま・みちとし)さんの死刑執行は、「口封じのための国家殺人」ではなかったか――「飯塚事件」の再審実現を目指して開かれたオンライン集会(9月4日)で、この事件の捜査をめぐり、「真犯人の目撃証言無視」という新たな疑惑が指摘された。弁護団は7月に申し立てた第2次再審請求で「事件当日、被害少女2人と真犯人と思われる人物を目撃した」というKさんの証言を新証拠として提出した。驚くべきことにKさんは事件直後、犯人に直結するこの目撃を警察に通報したのに、福岡県警はこの決定的証言を調書も取らずに握りつぶしていた。事件発生から29年ぶりに浮上した真犯人の影。久間さんに対する見込み捜査に突っ走っていた警察は、「冤罪による死刑」だけでなく、みすみす「真犯人を逃がす」というもう一つの重大な罪も犯していた疑いが濃厚になった。

●「今にも泣きだしそうだった少女の顔」――鮮烈な29年前の記憶

 集会では、徳田靖之弁護士に続き、再審弁護団主任弁護人の岩田務弁護士が第2次再審請求の新証拠と第2次再審請求の課題について報告した。

 新証拠は、福岡県内に住む男性Kさん(72歳)が、「事件当日の1992年2月20日午前11時ごろ、飯塚市内の八木山バイパスを走行中、後部座席に小学生の女児2人を載せたワンボックスタイプの軽自動車を目撃した」という証言だ。

 その現場は、女児2人が行方不明になった場所に近接した場所。Kさんが弁護士に行なった陳述によると、問題の軽自動車は制限を下回る時速40キロ以下でノロノロ運転していた。その後ろについてイライラしていたKさんは、登坂車線で軽自動車を追い越す際、「こんな迷惑な運転をするのはどんな奴か」と思って運転席を見た。すると、「自分より少し若いくらい(30〜40歳)の色白で坊主頭、細身の男性」が運転しており、後部座席には「オカッパ頭でランドセルを背負った女の子」が乗っていた。また、後部座席には「もう1人、女の子が横になっていて、その横にもランドセルがあった」――。

 しかし、Kさんはなぜ、そのような30年近くも前の古い記憶をはっきり覚えていたのか。そしてなぜ、今ごろになって「証言」することにしたのか。当然、検察側は突っ込んでくる。これについて岩田弁護士は、ゝ銘∧飮A杁――の3点から説明した。

 匍銘〉=なぜ記憶に残ったか。理由は、非常に強い印象を受けた出来事であったこと。後部座席に乗っていた女の子は「うらめしそうな」「うらさびしそうな」「今にも泣きだしそうな」表情をしていた。その異常な表情とともに、平日昼前の時間帯にランドセルを背負った子どもが車に乗っているのを不審に感じ、「誘拐ではないか」という思いを抱いた。さらにその夜、「飯塚市内で少女2人が行方不明」というニュースが流れ、「自分が見たのは行方不明の少女たちではないか」と思い、翌朝110番通報して目撃内容を伝えた。

◆卻飮〉=なぜ記憶を保ち続けたか。110番通報の1週間後、刑事が来て事情聴取を受け、目撃内容を詳細に説明した。ところが、刑事はメモをしただけで供述調書は取らず、その後何の連絡もしてこなかった。しかし、自分が目撃したのは被害少女と真犯人だと確信し、3年後の第1回公判を傍聴して直接確認した。すると、被告人は自分が目撃したのと全くの別人で驚いた。ただ、「DNA型鑑定が一致した」という検察官の冒頭陳述を聞き、自分が目撃した車は事件に関係がなかったのか、と思い直した。

〈想起〉=なぜ今回、その目撃を思い出したのか。その後も事件について関心を持ち続けていた。2019年、『西日本新聞』が飯塚事件に関する特集記事を連載した。その中に、「DNA型鑑定が崩れた」という記事があり、「それなら、やはり自分が見たのは犯人だったに違いない」と思い、『西日本新聞』に連絡した。それが記事になり、徳田弁護から連絡があって、新証拠となる詳細な陳述書が作成された。その中で、弁護士にこう訴えた――「あの女の子の恨めしそうな表情が28年間、私を離してくれなかった」。

●第2次再審請求で問い直される「T供述」の信用性

 岩田弁護士は「Kさんが目撃したのが犯人であれば急転直下、真犯人の存在とともに久間さんの無実もはっきりする」と述べ、再審請求でK証言の果たす役割を解説した。

 K証言は、第1次再審請求の地裁決定がほぼ唯一の「証拠」とした「T供述」と真っ向から対立する。事件の2週間余り後、「不審なワゴン車を見た」と供述したT証言と、事件翌朝、「少女2人が乗った軽自動車を見た」と通報したK証言。2つの証言の信用性は表裏一体であり、K証言の信用性が強まれば、T供述の信用性は弱まる。

 しかも、T供述は犯行(被害少女)を直接目撃したものではなく、間接証拠に過ぎない。しかし、K証言は「被害少女2人を目撃した」というもので、直接証拠となる。

 この重要な手掛かりとなる目撃通報を受けた福岡県警は、直ちに捜査員を出して供述調書を取るべきなのに、1週間後に刑事が来てメモしただけで放置した。

 その一方、警察は久間さんに対する見込み捜査に走り、「久間=犯人」に合致する証拠集めに躍起になった。そうして作られたのが、「ワゴン車の詳しすぎる特徴」をはじめ、捜査員に誘導された痕跡が顕著なT供述だった。

 岩田弁護士は「第2次再審請求では、T供述の信用性が攻防の中心になる。全部目撃するのは不可能なほど膨大な情報を『目撃した』とするT供述を、裁判官は『誘導はなく、信用できる」と評価した。これをKさんの目撃証言を中心に、いろんな方向から崩していく。それが第2次再審請求の課題です」と報告を締めくくった。

●「久間三千年は無実です」――妻の悲痛なメッセージ

 岩田弁護士の報告に続き、再審請求人である久間さんの妻が集会に寄せた次のようなメッセージが紹介された。

「久間三千年は無実です。私たち家族の幸せは、平凡な生活の中にあり、夫の優しさ思いやりは、日々の生活の中に満ちあふれていました。夫は一方的に犯人扱いされ逮捕、起訴され裁判にかけられました。夫は終始一貫して無実を訴え続けてきました。
 私たち家族は、夫を疑ったこともなく、理不尽な仕打ちを受けながらも夫が生かされていることだけを、心のよりどころとして、耐え続けてきました。
突然の死刑執行に目の前が真っ暗になり何も考えられなく、途方に暮れました。
 無実を訴え続ける夫に殺人の汚名を着せて、命まで奪う国の法律があるとは、思ってもみませんでした。
 無実を訴え続け命まで奪われた夫の無念を晴らし名誉を回復するために再審請求をしましたが、最高裁での特別抗告も棄却されました。
 令和3年7月9日に、第2次再審請求をしました。
 どうしてなのでしょうか。終始一貫して無実を訴えている者の再審の審理は、無理なのでしょうか。すぐにでも裁判を受ける権利は平等にあるべきです。
 無茶なことを言っているのではなく、裁判が間違っているからやり直して欲しいと願っているだけです。公平な権利さえも与えられないのでしょうか。
裁判所において、刑事裁判の目的は、「無罪の発見である」、被告人の人権保障にある。
 「百人の真犯人を逃がしても一人の無辜(むこ)を罰してはならない」とする考え方。
 刑事裁判は、憲法に保障されている人権を守るためにあると、ある書籍に書いてありました。このことを原点として裁判に臨んでいる裁判官もいらっしゃいます。
 検察官の職務についても「公益の代表者」と義務づけ、真相究明と同時に被告人の後見的役割を担う、とあり、法的用語や条文など解りにくいところは多いのですが、再審を願っているだけなのです。
 どうか、皆様方のお力添えを宜しくお願い致します。いつ、どんな時でも一人の人間が公平公正な裁きを受けられることを心から望んでいます。
 令和3年9月4日」

●「久間さんの無念を晴らす」――桜井昌司さんの連帯アピール

 続いて、布川事件冤罪被害者・桜井昌司さんが連帯のアピールを行なった 「話を聞くたび、ひどい事件だと思います。東の足利、西の飯塚と言われ、DNA型鑑定で有罪にされた。しかし、久間さんは死刑が執行された。何という国家だろうと思う。警察はなぜK証人にきちんと聴取しなかったのか。別の事件で警察は久間さんを疑っていたそうで、警察はひたすら有罪証拠をかき集めた。布川でも同じことがありました。

 T供述を検証した八丁峠の映像を見て思いました。現場は九十九折の山道で、道路の左側には溝があり、脱輪するかもしれない。そんな場所で、対向車がダブルタイヤだったなんてわかりっこない。こんなことを優秀な裁判官がなぜわからないのか。

 日本の警察はこれまでも証拠を捏造してきました。そうして、どれだけの人が刑務所に入れられ、殺されてきたか。すべてが無責任です。冤罪事件で国家賠償しても、だれも懐が痛まない。そのお金も税金です。足利事件、布川事件、ゴビンダさんの事件(東電事件)、東住吉事件。だれもその責任を追及しない。

 再審法を改正しないといけない。税金で集めた証拠を法廷に出すのは当たり前じゃないですか。久間さんの無念は必ず果たせると確信しています。必ず勝ちます。一緒にがんばりましょう。無惨に殺された人の無念を晴らす。殺したのは誰か、検察庁です」

 桜井さんは1967年に起きた布川事件で杉山卓男さん(故人)とともに無期懲役刑が確定したが、2011年に再審無罪をかちとった。8月27日、この冤罪の責任を問う国家賠償訴訟の控訴審で勝利し、国・県は上告できず9月10日、勝訴が確定した。桜井さんは13日に会見し、「54年間ずっと背負っていた冤罪の重荷を下ろすことができた」と話した。

 だが、桜井さんの闘いは終わらない。国賠訴訟の一審勝訴後、直腸がんが見つかり、食事療法でがんと闘っている。そうして、冤罪と闘う全国の「獄友」の雪冤のために東奔西走する。久間さんの無念を晴らす。それも、桜井さんの大きな目標の1つだ。(了)

(上)(中)


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