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投稿者 : 小泉雅英

侵略者あるいは鬼の末裔として(1)

―2021年8月15日の新聞記事を読む―


*2021.8.15の反靖国デモ(撮影=ムキンポさん

 今年の「8・15」は、いろんな点で異例だった。何よりもコロナ災害が収まらず、爆発的な状況となっていること、その中で、五輪競技大会が強行開催された。この国際的な「利権の祭典」で、多くの人々の生命が危険にさらされたのだった。こんな愚行が、白昼堂々とまかり通る世の中なのだ、と改めて感じた。カネと汚濁にまみれた「祭典」は、今回で終わりにすべきだ。しかもこの国は、私たちが汗水垂らして稼いだカネから、様々な名目で徴収した税金を、この反人民的「祭典」のために、湯水の如く浪費した。「パソナグループ」(竹中平蔵 取締役会長)によるスタッフ派遣費用の中抜き(ピンハネ)問題や、「国際柔道連盟」(山下会長)による高級ホテル宴会場での連夜の酒宴、等々の腹立たしい報道もあったが、これらは氷山の一角に過ぎないだろう。

 この数年、「8・15」は、靖國神社を取材し、その後、反靖国集会に合流しているが、今年は前夜からの仕事が終わらず、靖國神社には行けなかった。雨の中、午後から神田の小さな公園で「国家による『慰霊・追悼』を許すな!8.15反『靖国』デモ」に参加した。靖國通りを古書店街に沿って進み、神社の大鳥居を見ながら九段下で右折、水道橋まで歩いた。例年、九段下交差点で、右翼連中の「日本からぁ、出て行けぇ!」などの罵声を浴び、デモ隊列に突っ込もうとする者もいて、多少の緊張もあったが、今年はなぜか穏やかで、トラブルもなく解散地点まで到達した。歩きながら、日本(人/国家)の戦争責任について考えていた。


 この日の新聞各紙の社説を見ると、『朝日』は、「問われ続ける主権者の覚悟」と題し、「戦後76年の夏」の日本の格差・不平等の問題から、市川房枝の戦後の活動を取り上げ、「弱い立場に置かれている人たちが抱える苦しみを共有し、とられる政策を見定め、責任ある主権者として声を上げる」ことを訴えている。

 『読売』は、「平和堅持への情勢の変化直視を―防衛体制の強化で有事避ける」と題し、「中国の脅威に備えよ」と主張する。「1991年のソ連崩壊で自由主義の勝利が喧伝されたが、30年後の今、日本を取り巻く情勢は厳しさを増している。」「最大の要因は、覇権主義的な行動を強める中国だ。沖縄県・尖閣諸島周辺や南シナ海で一方的な現状変更を試み(略)力による台湾統一をも辞さない姿勢を示している(略)。台湾海峡での有事は日本にも甚大な影響が及ぶ。」「脅威を直視し、有事に的確に対応できる体制の整備について議論を深めるべきだ」と強調する。

 『毎日』は、「宣言下の終戦の日人命を最優先する社会に」と題し、「コロナ下の暮らしが戦中の日々を想起させる」として、「東京大空襲・戦災資料センター」前館長で、作家の早乙女勝元氏の少年時代の体験を紹介、「国民がしわ寄せを受ける構図はコロナ禍でも変わらない」とし、「今こそ、人命を最優先する社会の実現が必要とされている。政治における国会の力を取り戻すことがその出発点」と結んでいる。

 『日経』は、「敗戦の教訓は今の日本に通じる」と題し、「戦争を経験した旧軍人は1万人を割り込んでいる。往時の記憶は遠ざかる一方である。」「国際情勢をみると、米国と中国の覇権争いが激しさを増し、「戦後」が終わる日が来ないとも限らない。そういうときだからこそ、あの戦争をきちんと振り返り、再び世界を惨禍に陥れない道筋を探ることが重要である」として、「総力戦研究所を設け、開戦直前に米英戦のシミュレーションを実施し(略)「敗北は避けられない。ゆえに戦争は不可能」との結論に達し」ながら、「なぜ米英との戦争へと突き進んだのか」と問題提起する。そして「海軍が危惧していたのは(略)戦わずして米国の軍門に下ることだった。必敗を知りつつ、開戦させたのは、ひとえに組織のメンツゆえである」として、こうした「組織の体裁を優先し、不都合な現実から目を背ける(略)体質は、いまの社会のゆがみにも相通じるものがあるのではなかろうか」と警告する。さらにこうした戦争突入への「強硬論を世論が後押し」したこと、「軍部とともに大衆を戦争へ導く一翼を担ったのが、当時の新聞である。あおればあおるほど部数が増えたこともあり、言論人の多くが戦争支持へと回った」と指摘し、「防衛力の増強といった現実判断は必要である。しかし、それと世論を戦争へと駆り立てることは別次元の話だ」「ポピュリズムが勢いづきやすい時代を迎えている。だからこそ、メディアは一歩引いて冷静な視点を提供する役割を担いたい」と反省的決意を表明している。

 『産経』は、「再びの敗戦を絶対に回避せよ 「失敗の本質」から学ぶとき」と題し、『失敗の本質日本軍の組織論的研究』の著者の一人、杉之尾宣生氏の「日本は大東亜戦争勃発前夜に酷似した選択の岐路に立たされている」という現状分析を紹介、「日本は、尖閣諸島をはじめとする東シナ海で中国の脅威をまともに受けている。今、そこにある「コロナ危機」と迫り来る「中国危機」にどう対処すべきか」と、「2つの危機」への対応を訴えている。

 『東京』は、「過去と未来への想像力終戦の日に考える」と題し、「もはや、日本人の九割ほどは「戦争を知らない子供たち」。(略)体験していないからといって、「忘れて」いいことにはなりません」「体験していないことを「忘れない」ために、多分、一番、問われるのは、私たちの「想像力」でしょう。」「昭和史研究の良書、おびただしい数の戦争文学や体験記、あるいは、戦争に関する展示」などは、「当時の日本の庶民が一体、どれほどの辛酸をなめたのか、空襲や戦場がどれほど恐ろしく悲惨だったのかを想像するための一助にはなろう」「体験していない過去のことを想像して共感したり教訓にしたり、起きるかもしれない未来のことを想像して警戒したり思い直したり。そうできるのが人間の人間たる所以なのだとしたら、その能力を磨かない手はありません」と、苦労知らずの優等生教師に訓示されているような社説だ。「日本の庶民」以外への想像力は働かないのだろうか。

 社説以外の記事を見ると、『朝日』は、「満州のスパイ戦砂上の国家」として関東軍情報担当参謀などの証言などで構成した読み物を、大きな紙面を割いて載せている。そこには「ソ連軍の攻撃で、翌年春まで日本の軍人と民間人をあわせ、推計24万人余りが満州で命を落としたといわれる」とあるが、日本人の手によって、何人の中国人、朝鮮人などが殺されたのか、一切言及されていない。

 『読売』は、東京都在住の元陸軍戦闘機(疾風)パイロットの証言を、「96歳命ある限り話す」「生き残った自分の使命」として、写真入りで紹介している。同じく、社会面では「重油の海 沈んだ命」「「武蔵」元乗務員語り継ぐ」として、千葉県在住の元乗務員(93)の体験を掲載し、元乗組員を慰霊する「軍艦武蔵会」や、市民団体「戦場体験放映保存の会」などの活動を紹介している。その他、評論家樋口恵子氏(89歳)の学童疎開体験などを、「奪われた自由兄の悲劇」と題し、大きな紙面で掲載している。総じて、『読売』は、戦争関連の記事を最も多く掲載していた。ただし、戦争による日本人の被害体験を想起させるものばかりだ。

 『毎日』は、第一面トップと別の面の2ページを費やして、吉永小百合と池上彰の対談を写真入りで載せている。吉永小百合は私も好きだが、新作映画の紹介と反核詩の朗読の話に、1面トップという場所と、これだけの分量が必要だろうか。ここでも、日本人の起こした戦争が、他国でどのような被害をもたらしたのか、全く言及されていない。

 『産経』は、第一面トップに「戦没者追悼式 参列最小に」「緊急事態下 きょう終戦の日」という記事を掲載し、他紙にはない「右派」の立場を守っている。また、「論点・直言」で、「戦後76年「謝罪国家」を脱却できたか」という主題で、3人の談話を掲載している。一人は兼原信克氏(元国家安全保障局次長 62歳)で、安倍晋三前首相が2015年4月に米国連邦議会で行った演説や、同年8月の「戦後70年談話」について、「戦争も人種差別も植民地支配も、20世紀の100年かけてルールが変わった。日本が間違ったことは間違ったでいいが、日本だけが最初から道を誤ったというのはおかしい」と解説し、さらに「多くの国民も「謝罪史観」にうんざりしていたから、70年談話は報道各社の世論調査でも6〜7割の支持を得た」と称賛している。西岡力氏(元「現代コリア」編集長、(拉致被害者を)「救う会」会長65歳)は、「詫びるほど関係は悪化」として、「現在の政府は日韓関係において謝罪を繰り返さないという姿勢をとっており、「謝罪国家」から脱却しつつある(略)。だが、慰安婦問題やいわゆる「徴用工」問題では、韓国や国際社会に事実と異なる情報が流布したままだ。」「政府は事実の発信を強化して、誤解を解いて」いくことが必要で、外務省ホームページでも「強制連行」、「性奴隷」、(総数)「20万人」の3点は「史実に基づくとは言いがたい」と書かれていることを強調し、政府見解を追認する。もう一人は、バラク・クシュナー氏(英国ケンブリッジ大学教授55歳)で、「日本は「謝罪国家」から脱却できていないように思う。謝罪やお詫びに政治的な行動が伴わず、それが誠意あるものと評価されていないためだ。要因の一つに、日本が戦争犯罪に関する調査を基本的に自国で行ったことがないという背景がある。(略)ドイツは、旧西ドイツ時代、1960年代から‘70年代にかけ自らの戦争犯罪を追及した。(略)日本は終戦の日の式典などで平和を語るだけではなく、戦時中の過ちを自ら追及する行動を起こさなければならない。」と、正当な意見を述べている。

 上記の通り、主要6紙の社説には、日本の戦争責任について触れた個所は、一切ない。社説以外の紙面も、最後のクシュナー氏を除き、戦争の加害性に言及した記事は見当たらない。

 唯一の例外は、『東京』の「こちら報道部」だ。「苦しみの訴え聞き取り続けた在日2世」「日本政府へ世紀の告発から30年」と題し、日本軍慰安婦とされた女性たちの支援活動を続ける梁澄子(ヤン チンジャ)さんのインタビューを中心に、30年前(1991年8月14日)、「日本軍慰安婦として強制的に連れていかれた」と、初めて名乗り出た韓国の金学順(キムハクスン)さん、その告発に触発されて裁判に訴え出た在日女性の宋神道(ソンシンド)さんについて紹介し、「性被害の苦しみから解放されないまま「未来に私たちのことを伝えて」と言って息を引き取った女性たち」「女たちは記憶されることによって二度と悲劇が繰り返されないことを願った。私は私が見たハルモニ(おばあさん)を語る。その記憶を胸にとどめてくれた人が自分の記憶としてハルモニを語る。未来のために記憶のリレーをする。それが歴史の消去へのあらがいになる」という梁さんの言葉を紹介している。

 その他、特筆すべきは『東京』日曜版の「戦没者データでみる太平洋戦争」と題された別刷り特集だ。これは「今年は真珠湾攻撃から80年にあたります。矛盾を抱えて強行され、アジアと日本に深い傷痕を残した太平洋戦争。いまだに海外戦没者240万人のうち半数近くの遺骨が現地に取り残されたままです。」というもので、静岡県立大学教授の森山優という人の「痛みを伴う他の選択ができなかった結果、戦争が最もましと考えられた」から太平洋戦争を選んだのだ、という解説が付せられている。開戦はやむを得なかったのだ、という総括だが、それで良いのか。ここには戦争責任はもちろん、開戦に到る以前の、帝国日本の朝鮮、台湾、中国への侵略に対する歴史的視線や、加害の反省は一切ない。『東京』の別刷りは、多くの重要な事象を、分かりやすく見せてくれるので、とても有用だと思っているが、今回の被害情報だけでは不十分だ。今後、続編として、日本の戦争によるアジア各国の被害実態を、死傷者数データや場所、殺戮方法、「慰安所」の場所などを含め、色刷りで分かりやすく図解し、発行されることを期待したい。

 「8・15」は「玉音放送」「戦没者追悼式」など、戦前と戦後を連続する天皇と結びつき、象徴天皇制を維持・補強する役割を担っている。その日を「記念」し続けることには問題がある。仮に別の日を何らかの「記念日」に設定しても、「日本人戦没者を追悼し平和を祈念する」だけではなく、日本(人/国家)により殺された全ての人々を追悼し、その責任を確認する日としなければならないだろう。(了)


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