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LNJ Logo パリの窓から(78)/常時の市民監視のシステム「衛生パス」
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 第78回・2021年8月5日掲載

常時の市民監視のシステム「衛生パス」


*「袋小路の衛生パスにノン!」(パスに「袋小路=アンパス)をもじった。(反対市民の土曜のデモ)

 ヴァカンスシーズンに入ったフランスでは、この時期には例外的なデモが繰り返されている。7月12日にマクロン大統領が告知した「衛生パス」とコロナ・ワクチンの強制に反対する市民が大勢、革命記念日の7月14日以来、自発的に路上に繰り出したのだ。毎土曜に繰り返されるデモはその度に人数が増え、7月末に全国で20万人以上。警察発表だからそれよりはるかに多くの人が参加している。「黄色いベスト」運動が再生したような勢いだし、ヴァカンス中に大規模なデモが起きるのは前代未聞だ。

前言を翻した大統領の独断

 「衛生パス」とは、コロナ・ワクチンの接種、PCRか抗原検査の陰性あるいはコロナ感染からの回復をQRコードで証明する書類(スマホかプリント)のこと。5月末の国会で制定され、6月9日から1000人以上入れるスタジアムや文化・娯楽施設に適用されていた。EUでも国境を越える移動の際に、同じ内容のパス「欧州デジタルCovid証書」の提示が7月1日から適用されたが、なくても各国の防護措置(PCR検査や到着後の隔離)に従えば入国・滞在できる。フランスでもEUでもこのパスには反対があるため、マクロン大統領と仏政府は「日常的な行為には使わない」と約束していたし、コロナ・ワクチンには最初からさまざまな疑問や批判があるため、「強制より説得」を勧めるWHOに倣って、「絶対に強制しない」とマクロンも政府も繰り返し言っていた。

 ところが、イギリス、スペインなどに続いてフランスでも、デルタ株による感染が7月初旬から急増し始めた。コロナが少し鎮まったかのように見えて6月20日に夜間外出禁止がなくなり、文化・娯楽施設やレストラン・カフェも再開して夏のヴァカンスシーズンに入ったところだった。第4波の到来は研究者や野党が以前から予測・警告していたが、それに耳を傾けなかったマクロンと政府は、他の制限措置を取らずにワクチン接種のみで第4波を切り抜けようと、前言を全く翻して「衛生パス」の全面化を思いついたのかもしれない。ワクチン接種は昨年末に高齢者から始まり、兵站の問題などもあったが4月以降増えて中年や20代にも広がっていた(7月末に1回接種全人口の6割強、2回接種5割強)。しかし、集団免疫には至らないため、医療従事者、高齢者ケアや接客業にはワクチンを義務化し、未接種の人を停職処分にすると脅したのだ。そして、衛生パスの提示を国会で法制化する前の7月21日から50人以上の文化・娯楽施設に適用し、8月初頭からは長距離の交通機関、医療施設、レストランやカフェにも全面化すると告知した。つまり、ワクチン未接種者はそれら日常的な行動ができなくなり、検査(48時間有効)を頻繁にしなくてはならない。おまけに、これまで健康保険還付で無償だったPCR検査を9月15日から有料にすると告げた。ワクチンが嫌なら自費で検査せよというのは、実質的には社会生活からの低所得者の排除である。


*多様な市民

 政府は、衛生パスを7月21日から一部施行するために政令を発した。法案は開催中の臨時国会の最後に詰め込められ、朝6時までの徹夜の討議を経て超スピードで両院で採択された。7月26日夜中の最終可決に参加したのは議員の4割。ごく少数派野党の「屈服しないフランス」の健闘に加え、野党の保守や中道派の中にも反対の議員が出て、通常より反対票は多かったが、全市民の日常生活を大きく変える法案を巷が夏休み中に無理やり通すやり方は、マクロン政権の反民主的・強権的な性格を象徴している。おまけに、これまでのコロナ対策と同様、前もっての協議・討論は一切なく、例によって「国防理事会」で突然、つまりマクロンの独断でこれらの措置は決められたのだ。

市民の自由の深刻な侵害

 そもそも、デルタ株へはワクチン接種済でも感染例があり、他人への感染も妨げないことが明らかになってきたのだから、ウイルスは衛生パス措置では遮断できない。衛生パスの問題点はまず、これが常時の市民の監視システムを進める点だ。文化・娯楽施設やレストラン・カフェ、ショッピンングセンターなど、市民の日常的な行動の中でQRコードをその都度チェックすることは、社会生活や多くのサービスへのアクセスの自由を侵害し、不平等を生み出す。医療機関へのアクセスを制限するなど倫理と人道に反する措置であり、保守的な医師会さえ抗議している。また、行政(公共サービス)が行うべきパスのチェックを施設や店舗の経営者に強制することは、民間に警察の権力を与えることになり、他の市民による市民の監視につながる。それら施設・店舗の検査や職務質問をする警官(彼らはワクチン接種の義務を免除された)による権力濫用も危惧されるし、QRコードに入った個人情報が悪用・濫用される危険もある。

 そして重大なのは、衛生パスを提示しない(ワクチン未接種)人を停職や解雇処分にできる項目だ。これは労働法に反すると指摘され、正規雇用(無期限の労働契約)の人の解雇はできなくなったが、停職処分では直ちに給与をストップされ、失業手当も出ない。この前例のない措置に多くの労組が反対し、国の人権擁護官も雇用における差別にあたると警告した。差別という点では、過疎地や貧しい地区ではワクチン接種率が低いが、それには地理的要素と情報やアポ取りノウハウなど、アクセスの社会的不平等が示されている。衛生パスは低所得層や過疎地の高齢者をさらに疎外する危険がある。


*垂れ幕「衛生パスに面してマクロンの世界を倒せ!」

 また、12〜18歳の未成年にも9月からパスを適用することになっており、子どもの権利条約に反する差別が起きる危険がある。現にブランケール教育大臣は、ワクチンを接種すれば感染しないと虚言を発し、未接種の生徒をクラスから「排除する」と語った。この大臣はこれまでも「学校での感染はない」と主張し続け、感染が増加しても他のヨーロッパ諸国と異なり学校閉鎖を拒否し(親が働けるように)、情報や統計を偽った。一方で、教員と研究者、野党が要求するウイルス防護措置(空気清浄器やCO2測定値の設置、1クラスの人数削減のための教員・助手の増加など)に予算を与えず、自治体や教員に防護措置の責任を負わせている。

 コロナ・ワクチン、とりわけ急スピードで開発された新しいタイプのmRNAについては、製薬企業の透明な情報開示なしに、また市民も参加できる十分な討論がされないまま、昨年12月初めからアメリカやイギリスが接種を開始し、EU諸国もそれに追随した。ワクチンが高齢者の重症化を防ぎ死亡数を減らすことは統計的に明らかだが、子ども・若年層についてはまだ十分な資料がない。未成年への接種は特に、強権的に進めるのは避けるべきだろう。特定の職業(医療従事者)へのワクチンの義務化も、「目的(公益)や差別の危険に対して釣り合いがとれているか」という観点からみて問題だ。

 もう一つ、衛生パスを含む法案には、検査で陽性の感染者に10日間の自己隔離を課し、外出は1日1回10時〜12時のみ許され、健康保険機関が8時〜23時チェックできる項目がある。初め警察がチェックすることになっていたが、それは「必要な場合のみ」になった。これまでPCRと抗原検査は感染の疑いのある人や接触者が無料で受けていたが、この措置と検査の有料化により、検査を受ける人の数が減って、ウイルス防護に逆効果をもたらす危険もある。

コロナ危機管理の悪さと市民の分断

 衛生パスは、昨年からのマクロン政権のコロナ危機管理の悪さを具現する措置だ。彼らはウイルス防護対策の不備・不手際、無策を虚言や隠蔽で繕い、ロックダウンや夜間外出禁止などの強権的な措置で後手後手に対応してきた。哲学者のバルバラ・スティグレールが指摘するように、彼らが進めるネオリベラル政策が公共医療を破壊して医療危機をもたらしたのに、その政策の被害者である市民に感染拡大の責任をすべて押しつけ、無責任で無知な大衆のように扱う。マクロンと政府は自治体や市民と協議や討論を行わず、野党や研究者、市民の提案や要請に耳を傾けない(「屈服しないフランス」は多数の法案と提案をしてきたが、全て無視・却下された)。彼らはおそらく、ワクチンがウイルス防護のための様々な規制をやめられる唯一の便利な手段だと考えたのだろう。それもロシアや中国、キューバが開発したものではなく、欧米のビッグファーマの特許によるワクチンだけを購入した。ワクチンをパンデミック対策に使うなら、世界じゅうの人が貧しい国でも無償で享受できるように、特許を放棄すべきだという声が2020年5月から上がっていたが(コラム76 「ワクチン・薬品をビッグファーマから取り戻そう」参照)、フランスもEU諸国も自国用のワクチン数を確保するのに専念した。特許放棄だけでは不十分で、製造のノウハウの開示・伝授が必要だが、そうした世界的な公衆衛生の視点からではなく、ワクチンを近視眼的に特効薬のように考えたのだ。


*フランス人 6700万人に集中ベッドは5000のみ。ワクチンで私たちは解放されない。公衆衛生に予算を!」

 そこで、ワクチンによる集団免疫(国内人口の80%の接種率)を目指し、接種しないと実質的に社会生活を束縛される衛生パスの全面化を思いついたのだろう。マクロンと政府は、自由の侵害や不平等に対する批判・抗議を抑えるため、衛生パスの反対者は陰謀説にとらわれた「反ワクチン派」や、公衆衛生の理に従わない無責任な人だと決めつけて、市民を分断する。ワクチン(とりわけ新型)に懐疑的な人々との議論の場は一切なく、現在のデルタ株に対するワクチンの効果の調査・研究が揃わない状況で、接種すれば感染しないという虚言まで発したのだから、「悪者」にされた懐疑派の反発はさらに強まった。

 7月14日から始まった衛生パスとワクチンの義務化に抗議する市民のデモは以後、毎土曜に全国各地で行われ、参加者は毎週増え続けている。パリでは元「国民戦線」(現「国民連合」)のNO.2だった極右のフィリポ、「黄色いベスト」などが別々に呼びかけているが、労組や市民団体が主催せずに、またヴァカンス中にこれほど大勢の人が集まるデモは珍しい。

 しかし、フィリポなど極右の存在や、ユダヤ人迫害の比喩を使った例、稀な暴力行為などを、政府だけでなく主要メディアも強調し(黄色いベスト運動の時と同じ)、反対者の大部分が「反ワクチン派」で、過激で非理性的な人々であるかのようなイメージが広められたのは残念だ。筆者は極右を避けて黄色いベストが呼びかけるデモに通っているが、医療従事者や教員、家族連れ、初めてデモに来た若者など、さまざまな市民がいて「ワクチンを接種したが衛生パスに反対」という人も多い。「マクロン、きみのパスはいらない」「マクロン、辞任」などのシュプレヒコールが上がり、黄色いベストの歌を歌い、極左のシュプレヒコール「は〜反、反資本主義」が「は〜反、反衛生パス」になった。多様な人々の集まりを烏合の衆と蔑視するのは政府や主要メディアの常だが、「公衆衛生に予算を」「警察国家にノン」など、さまざまなプラカードで市民は思いをアピールし、「自由、自由」のシュプレヒコールに拍手がわく。参加者たちのマクロンと政府に対する嫌悪感は強い。フランス国旗の存在や国歌(もとは革命歌)「ラ・マルセイエーズ」の合唱も黄色いベスト運動以来、ナショナリズムを表すのでなく、「自分たちこそフランスだ、マクロンたち為政者でなく民衆が主役のはずだ」という主張だろう。

 一方で、昨年春の第1波の際、防護用品もなくウイルスの被害を受けて(感染・死者も多数)疲弊した医療従事者たちの要請を聞かずに、十分な給与増額もせずにその後も病床を減らし続けたマクロン政権の政治に対して、医療従事者たちが行った抗議デモに大勢の市民が集まっていたら…と残念だ。多数の離職が続く現場(2017年以来18万人)では、夏季に入ってすでに人員不足が起きており、緊急病棟を常時開けられない病院も出てきた。感染は7月後半から1万、2万を超え、入院患者と集中治療患者数のカーブも上昇する今、第4波での医療危機が懸念される。

 衛生バスの全面化を制定した法案の自由の侵害について、野党の国会議員は憲法評議会に訴えた。その判定は8月5日に発表される。棄却される部分があっても8月9日から衛生パスの全面化は施行されると見られているが、パスのチェックは拒否すると言うレストラン経営者もいて混乱しそうだし、批判と抗議は今後も続くだろう。衛生パス法と社会政策の後退に反対し、公平で民主的な公衆衛生・社会政策を求める声明を市民団体や労組の代表、弁護士、政治家(「屈服しないフランス」緑の党)などが7月22日のリベラシオン紙で発表し、市民団体ATTACのサイトで署名が始まった(現在5万弱)。

 2021年8月4日 飛幡祐規


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