本文の先頭へ
LNJ Logo 太田昌国のコラム : 米軍、アフガニスタンから撤退のニュースに思うこと
Home 検索
 




User Guest
ログイン
情報提供
News Item 0710ota
Status: published
View



 ●第57回 2021年7月10日(毎月10日)

 米軍、アフガニスタンから撤退のニュースに思うこと


*ニュース報道より

 来る9月11日は、2001年の同日、米国の経済・軍事の中枢ビルと施設に対する同時多発自爆攻撃が行なわれてから20年目を迎える。ブッシュ(子)政権下にあった当時の米国は、この攻撃は、タリバーン政権下のアフガニスタンに活動拠点を持つ軍事組織・アルカイーダによるものと断定し、一ヵ月後の10月9日には「対テロ戦争」と名づけて、アフガニスタンに対する軍事作戦を開始した。以来20年間、小泉政権がいち早く賛同し、ブレア労働党政権下のイギリスをはじめとするNATO(北大西洋条約機構)諸国も米国と軍事的に共同作戦を展開して、「対テロ戦争」は続けられてきた。その間にタリバーン政権はいったん崩壊したが、組織としては持ち堪えた。米トランプ政権は2018年7月以降タリバーンとの直接協議を開始し、20年2月に両者は駐留米軍の段階的撤退で合意した。

 トランプ政権を引き継いだバイデン政権も米軍の撤退を急ぎ、「米史上最長の戦争を終わらせて」今年8月末までには撤退を終了させるとしている。先週来、BS「ワールド・ニュース」や新聞各紙には、英軍や米軍の撤退の模様を伝えるニュースが多い。派兵していた国のメディアが報道する以上、それは、自国兵士が多くの犠牲を払いながら、アフガニスタンの「和平と安定」のためにいかに尽力したかを強調するものになりがちだ。同時に、次のような報道が目立つ。タリバーンが支配する地域は全土の39%に及び、それは政府の支配地域の23%を超えている。そこでアフガニスタンの人びとは、外国軍が撤退した後に再びタリバーンが勢力をさらに拡大し、アフガニスタンを支配するのではないかと恐れている、と。

 それは、例えば、次のように現れる――駐留外国部隊に協力して通訳として働いてきたアフガニスタン人は、タリバーンの報復を恐れて、一刻も早く国外に逃れたいと言っている(毎日新聞7月5日付け)。外国軍撤退後のタリバーンの軍事攻勢を恐れたアフガニスタン政府軍の兵士1000人以上が、逃れて隣国のタジキスタンへ越境してきた(同7月7日付け)。米軍特殊部隊の元通訳で、いまは妻子と一緒に米国に住むアフガニスタン人は、タリバーンは「米軍協力者」の親族の居所を把握しており、故国に留まっている自分の両親や兄弟姉妹に何かが起こったら、それは自分のせいだと嘆いている(東京新聞7月10日付け)。

 ここで語られている、タリバーン支配の復活という近未来像に対する恐れの感情は、事実そのとおりであるに違いない。ここ数十年来のタリバーンの所業を外部から見る限り、女性に対する差別と虐待の実態(強制結婚、性的虐待、暴力など)を頂点として、私はタリバーンに何らの共感を覚えるものでもない。しかし、米軍およびNATO軍などの外国軍隊が撤退するなら、アフガニスタンは再び大混乱に陥って、恐るべきタリバーンが復活するだけだ、とするこの「語り口」には大いなる欠落がある。

1.20年間続けられてきた「対テロ戦争」の本質を問う視点を欠くこと。米軍が特に無人機爆撃を多用した意味を問いただす視点がないこと。

2.タリバーン「掃討」を口実にした米軍などの軍事作戦は、貧しい民間人が住む村々に爆弾を落とし、その犠牲者数は10万人を超えると言われているが、正確にはわからないこと。つまり、アフガニスタン人の死者の数は、世界から気にかけられていないこと。しかも家族が殺された貧困層は直ちに生活に行き詰まり、タリバーンはその状況を巧みに利用するので、人びとはタリバーンに依存せざるを得ない境遇に陥るが、そのような構造を解き明かす視点がないこと。

3.世界総人口の百人にひとり以上に相当する8000万人にも登る難民・避難民(2021年度)の急増は、この「対テロ戦争」をきっかけとしていることを指摘しないこと。

 他にも挙げるべき問題は数多くあるだろう。ここでは、最低限、「対テロ戦争」が始められることは、無念にも必至と考えたイランの映画監督モフセン・マフマルバフが、映像と言葉で当時表現したことを何度でも思い起こしたい。その年=2001年に、彼は映画『カンダハール』を制作し、世界中の無関心の中で「映像のない国」アフガニスタンの実像を、フィクションを混じえて描いた。他方、文章では「もしも過去の25年間、権力が人びとの頭上に降らせていたのがミサイルではなく書物であったなら、無知や部族主義やテロリズムがこの地にはびこる余地はなかったでしょう。もしも人びとの足もとに埋められたのが地雷ではなく小麦の種であったならば、数百万のアフガニスタン人が死と難民への道を辿らずに済んだでしょう」と書いた(『アフガニスタンの仏像は破壊されたのではない 恥辱のあまり崩れ落ちたのだ』(現代企画室、2001年)。

 アフガニスタンからの米軍撤退のニュースのなかに、戦争の本質をこんな風に端的に描くものがないこと――この社会はまやかしの解釈に満ち溢れていると私が思うのは、そのせいだ。


Created by staff01. Last modified on 2021-07-11 11:35:24 Copyright: Default

このページの先頭に戻る

レイバーネット日本 / このサイトに関する連絡は <staff@labornetjp.org> 宛にお願いします。 サイトの記事利用について