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LNJ Logo 太田昌国のコラム : 「コロナ以前」の政治の延長上にしか、現在はない
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 ●第43回 2020年5月10日(毎月10日)

 「コロナ以前」の政治の延長上にしか、現在はない


*官邸前の「東部労組」メーデー(5月1日)

 コロナウイルスの流行が、決して軽視すべきではないと判断すべき段階に入って以降、だれもがそうであるように、感染症に無知であった私も素人なりに学習し、メディアを通して専門家が言うことを見聞きし、過去に出版されていたいくつかの文献も読んで、自分なりの判断基準を持とうとしてきた。過去の事例からいっても、どの分野にせよ専門家の言うことが常に信頼し得るとは限らないし、専門家間でも見解の違いがある場合もある。在野の自分がそれなりの時間を積み重ねて調べたり、研究したりしてきた分野での、専門家なる者の疑わしくも怪しい発言を見聞きした記憶は、多くのひとが持つだろう。ましてや、今回は、ウイルスの正体がいまだ定かではなく、既存の知恵が常に有効にはたらくとは言えず、ワクチンも未開発……という諸条件が重なっているのだから、事態が困難を極めていることは容易に想像がつく。

 だが、感染症の拡大をできるだけ最小限に食い止めるという公衆衛生の観点からいっても、これに関連して行政の推進する施策が社会を構成するすべての人びとの生活の隅々にまで影響を及ぼすものである以上、その補填策はどうあるべきかという社会経済政策の観点からいっても、政府および地方自治体が果たすべき「政治」の役割と責任は重い。とりわけ政府には、事態の「困難さ」に見合った「責任」が問われるのである。その意味で、私たちは最悪の政権の下で今回の事態を迎えている。現在の首相を冠とする政権の存在自体が「緊急事態」だとする趣旨のことを、私も、2006年の第一次政権成立時にも、2012年の、よもやの第二次政権成立以降の7年間有余も言い続けてきた。無念にも力及ばず、そのあいだに、この政権の下でさまざまな分野においてどれほどの制度的改悪が行なわれてきたことか。肝心なことは放擲し、私たちから見れば「不要不急」のこと――「戦後レジームからの脱却」なるスローガンを掲げてきた安倍からすれば本丸のこと――の実現に力を注いできたのが、この政権の一貫した本質だった。にもかかわらず、私たちはこの政権を倒すことができなかった。自分たちの不甲斐なさを思う気持ちが、この間わたしには強かった。彼らからすれば、この水準の「政治」で自分たちは権力の座を持ち堪えることができることを学び、自信を深めたのである。


 これだけの悪行を積み重ねても打倒されなかった現政権が、コロナ対策に限っては、突然変異のように、ことごとく「善政」を行なうはずがない、というのが私の見立てだった。マスク2枚の配布(5月10日現在、私にはまだ届かない)にしても、10万円の緩慢なる「給付」にしても、この程度のことを「施してやれば」大衆はコロッと「満足してくれる」とばかりに、私たちは見くびられているのだと考えるほうがよい。前者の措置を首相に囁いたという側近秘書官の物言いなどを聞くにつけても、私たちを「見くびる」態度は、政権首脳ばかりか官僚にまで及んでいることが分かる。もちろん、コロナ対策上「要請」されている「自粛」措置で、社会・経済的に困難な状況を強いられている場からは、当然にも抗議の声が挙っている。挙げ続けて、いささかなりとも「政策転換」を図らせることが重要なことは言うを待たない。

 同時に、繰り返し言うが、「コロナ以前」の「安倍政治」が、決してよいものだったわけではない。それを「許して」きたことが、直線的に現在に繋がっているという視点を手放すけにはいかないはずだ。この視点は、世界全体に広げて持つべきものだと思う。今回のコロナ禍が、思いもかけない広がりと深さで世界を「転倒」させたことは事実だ。だが、すべてをコロナ禍のせいにしては、私たちは間違うだろう。「コロナ禍」以前の世界だって、手放しで喜ぶことができるような、調和と平和に満ちていたわけではない。むしろ、敵対と分断を煽る社会・政治の在り方が、すでに世界に亀裂をもたらしていた。

 問題の所在に、いつ、どこで気づき、その克服のための努力をしてきたか。社会の基層を形づくる私たちに問われるのは、常にこのことだ。


Created by staff01. Last modified on 2020-05-11 13:26:30 Copyright: Default

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