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毎木曜掲載・第179回(2020/11/12)

農業こそが生きる道

『石川三四郎―魂の導師』(大沢正道 著、虹雲社、2020年8月31日)評者:根岸恵子
*「地より出て、地を耕し、地に還へる、是のみである」−石川三四郎「土民生活」 初出1920年「社会主義」掲載

 石川三四郎はアナキズム運動の先駆者と言われながら、幸徳秋水や大杉栄のようなカリスマ性を持つことはなかった。それは彼が、大杉や秋水のように権力に虐殺され、聖人化されなかったからではない。

 石川は大杉や秋水とともに明治、大正を生き、そして昭和を、戦後を生きのびた。解放され闘いのない時代は、石川にとって何だったのか。田中正造に学び、エリゼ・リュクリュ(アナキスト、自由意思主義、パリ・コミューンの一員)やエドワード・カーペンター(自由主義思想家)と交流を持ち、欧州での百姓経験を土台に「土民生活(デモクラシイ)」という独特の思想を打ち立てたのにもかかわらず、彼にとって戦後とは何だったのか。土民という石川の思想には大いに賛同し感動さえ感じるのであるが、たった一つの汚点によって、私は彼を許せないでいる。

 この本はアナキスト石川三四郎の伝記であり、1987年に出版されたものの復刻版である。なぜ今なのか。なぜ、いま石川三四郎なのか。

 本のしおりに「半農生活者の群れに入るまで」という彼の文章がある。「主農的共同生活」をジャン=ジャック・ルソーの「自然へ帰れ」とシャルル・フーリエの「土へ帰れ」から導き出し、こうした思想が「真実を求むる人々に深く喰ひ込む」と述べている。

 つまり、「従来の社会組織、経済組織が根本に狂つてしまつて人間生活が赤裸々になった時に、真実な生活そのものがハッキリと目の前に残され、あらゆる虚偽の生活、幻影を負った生活が覆へされ、真の人間生活がヒシヒシとわかって、百姓ほど強いものはないと言ふ事、真に強い土台になつたものは百姓であることがわかった」とあることから、農業こそが生きる道だというのが、石川が導き出した彼の思想の根本だったのではないか。

  この本が売り切れるくらい話題となるのは、今のコロナの現状、新自由主義で疲弊している社会状況を反映しているからではないだろうか。必死に生きる道を探し求める若者が、三四郎の思想の中に救いを見出そうとしているからなのかもしれない。それが、若者がこの復刻版を買い求める理由になっているのではないだろうか。

 本書のあとがきで森元斎という人が、フランスのZAD(守るべき土地)に言及している。生きることに逼塞する若者にとって、石川の思想がもう一つの生き方を提示する基本的な考え方を持ち合わせていることの現れだ。彼の考え方は決して古いものではない。

 私はナント郊外のノートルダム・デ・ランドのZADで、ザッディストと呼ばれる人たちと夏の間暮らしたことがある。彼らは政府の進める新空港に反対し、建設予定地を占拠して、家を建て、畑を耕し、パンを作っていた。広大なZADには多くの共同体があり、貨幣経済を拒否し、物々交換による生活を立て、自由意志で互いに結びついていた。そこでは人々は平等で、誰もが同志であったから、石川のいう「土民生活」への思想に近いものだったかもしれない。ZADで暮らして以来、私は「自由と大地を取り戻せ」という運動をしている。この考え方は、土地があれば百姓をして人間は生きていける。そして地主も権力もない共同体こそが私たちに自由を与えるというものだ。石川の思想と近いかもしれない。

 「土民生活」の中で石川は「人間は、自分を照らす光明に背を向けて、常に自分の蔭を追ふて前に進んで居る」と書いているが、この光と蔭は彼の思想の特徴である。命は光を発するが、国家だの、社会だの、道徳だのは蔭であり、これが人間に大苦痛をもたらしているのだという。だから自然の中で生きる百姓としての生活に光明を見たのだろう。有名な 「吾等の生活は地より出で、地を耕し、地に還へる、是のみである。之を土民生活と言ふ。真の意味のデモクラシイである。地はわれら自身である」という文章は私が最も好きな言葉である。そして、「種を蒔く者は幸福である。地は吾等に生活を与ふべく、吾等に労作を要求する。地は吾等自身であることを忘れてはならぬ」と述べ、土とともに生きることは、「不幸の間にも希望がある。恐怖の間にも度胸が坐る。種を蒔く者は幸いだ」と結んでいる。

 1913年石川は渡欧する。ヨーロッパに対する彼の考察が、本書第5章の「深く、静かに土着する」の中で述べられている。著者によると、それは「文明」「進歩」「自然征服」の三つのキーワードだという。「自然征服の思想は、自然と人間とを隔離させた。人間自身が自然の子であることを忘れさせた。そして近代人の心を淋しくした」と述べ、「文明」と「進歩」が「自然征服」を生んでいると、西欧人のあくなき物質主義を批判しているのである。そして、「解放と力学」の中で「人類や動物や植物やの各自の生活に適するやうに環境を分配し整理し、吾等の庭園即ち地球面を耕作し、吾等の囲繞する陸と海と大気とを整頓する」と書いていることから、これが現在の気候変動や環境破壊へ通じており、石川の先駆的なものの見方には敬服してしまう。

 さて、ここまで石川三四郎という人の素晴らしき思想を述べてきたが、最初に書いたとおり、私は彼を許せないでいる。それは彼が戦後、天皇に傾倒したからだ。多くの若者が、この本を読んで誤解するかもしれない。もともと無政府主義というのは、私の中では水平的で平等なものの考えの中でしか実現しないものだと思っている。それは天皇制とは全く相いれないものであるにもかかわらず、なぜ石川は玉音放送を聞いただけで天皇制無政府主義者のようになってしまったのだろうか。この本の中では、著者は深くは言及していないし、それに対し自身の考えもあいまいだ。

 それに、まったく理解できないのは、彼はなぜ敗戦翌日に東京に戻ってきたのか。山梨の山村に疎開していたにもかかわらず、なぜ「主農的共同生活」への実践を試みなかったのか疑問である。その答えを誰か教えてほしい。

*「週刊 本の発見」は毎週木曜日に掲載します。筆者は、大西赤人・志真秀弘・菊池恵介・佐々木有美・根岸恵子・志水博子、ほかです。


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